~第九章 集う力と交わされる密約②~
「やっぱり、侮辱だと思われたかな」
「どうかしら? 騎士って戦士のことでしょう。だったら、ドラゴンと戦うことの愚かさは、よく分かるはずだわ」
黒羽は外を見つめ、現れるのを待った。入り口から見える景色は、草の生えた地面と同じ形のテントのみ。少し味気ないが、風に運ばれる濃い森の香りが、痛む体には心地良い。
「秋仁、お水飲む?」
「ああ、そういえば喉が渇いたな」
彩希は右手にある樽の蓋を開けると、中にコップを浸してから黒羽に手渡した。
「お、ありがとう。……ゲホ」
「ゆっくり飲みなさい」
彩希がトントンと背中を叩いた時、キースは外から戻ってきた。
ニヤリと笑いキースは、一言。
「いやー。良いもんですな。私も早く奥さんが欲しいものです」
「ち、違います」
黒羽が首を激しく振ると、
「アラ? そうなの」
と彩希がワザとらしく小首を傾げる。
「ハッハッハッハ。これはニコロの入り込む余地はありませんな。フフフフ、おっと失礼」
キースは表情を引き締めると、はっきりとした口調で宣言する。
「先ほどのお話は、お断りいたします」
有無を言わせぬと言った様子の彼に、黒羽はため息を零した。予想していたとはいえ、承諾してほしかったのが本音だ。
「どうしてもですか」
「ハイ。危険なのは承知ですが、ウトバルク内の問題ですし、それに」
言葉を切り、闘志に燃ゆる瞳で虚空を睨んだ。
「友人が危険な状態なんです。私が行かないでどうするというのです」
キースにそう言われ、黒羽は妙に納得した。その通りである。なまじ大きな力が扱えるがゆえに、人の気持ちを無視していた。それは、黒羽が信じる経営者像とは大きくかけ離れている。
分かりました、と言おうとした黒羽だったが、彩希が手で静止し、キースに問いかけた。
「……あなたの想いは理解したわ。でも実際問題、ウロボロスにどう対処するのかしら?」
彩希の疑問に対する答えは、意外にも自信に溢れたものであった。
「我が国では、災厄に立ち向かうべく、あらゆる戦略・戦術が生み出されておりましてな。今回は、そのうちの一つがお役に立てそうです」
「具体的には?」
「お見せする方が早いでしょうな。外へ出てお待ちになってください。準備をしてきますゆえ」
そう言うとキースはテントを出て、大声で部下を呼んだ。
よほど訓練されているようで、五百人もいる兵士が集合するのに、数分もかからなかった。
騎士達が集められたのは、テントが整列している場所から数百メートル離れた森の広場である。
一糸乱れぬ隊列の一番前に、キースは陣取ると、黒羽達を呼んだ。
「どうかそちらに。危険ですから、それ以上は近寄らないでください」
「一体何を始めるつもりなんですか?」
「ちょっとしたものですよ。あ、もう少し後ろへ。そうです。よし、では始めます。――トライデント・シールズ」
気の弱い者であれば、それだけで気絶するような大声をキースが出すと、騎士達は一斉に右手を前に掲げた。すると、手から霞ような光が放出され、キースに集まっていく。
イワシの大群が集まり、まるで一匹の大きな生き物に見えるように、キースの体が何倍も膨れ上がったと錯覚してしまう。
彼は腰から剣を抜き、大上段に構えた。
「〈炎よ、爆ぜよ〉、ヌン」
その瞬間、爆音が大気を震わせ、斬撃が上から下に駆けた。キースの正面にあった木々は、斬撃の余波で大きく枝をしならせ、葉が遠くへ流されていった。
「な、何をしたんですか?」
「驚いたでしょう。コレは、我がウトバルク騎士団が誇る戦技トライデント・シールズです。
仕組みとしては、簡単でしてな。個々の魔力を一点に集め、その莫大な魔力を使って戦うのですよ。本来であれば、敵地に数人しか送りこめない作戦の際に使われるものでして、高魔力の魔法を次々と放つのがセオリーなのですが。まあ、いかんせん相手が魔法を無効化するのであれば、剣技の補助として使うまでです」
「あ! そういうことですか」
キースの説明で、黒羽は彼が何をしたのかに思い当たった。
「剣身の側面に爆発を生じさせて、斬撃の推進力として利用したんですね」
「その通り。コレならば、戦い方次第でウロボロスが相手でも通用するでしょう。どうです? まだ力不足ですか」
「駄目ね」
冷たい声の主は、彩希だ。彼女はキースに歩み寄ると、人差し指で甲冑を叩いた。
「確かに凄い技だけど、代弁者は桁違いのウロボロス量を保有しているわ。アイツが、そこら中にウロボロスをまき散らしてしまえば、それでおしまい。あなたと騎士達は倒れて終わりよ」
彩希の言葉を侮辱と受け取り、周りの騎士達がざわめきだした。
黒羽に「その辺にしとけ」と言われたが、彩希はなおも言葉を重ねた。
「世の中には、どうにもならないことも多い。ウロボロスを使える相手に、ヒュ―ンの操り手である人間が勝つことは大変に厳しい。ましてや、代弁者は狂人。セオリー通りにはいかない。足手まといだわ」
彩希が言い終える頃には、場の空気は険悪な状態となってしまった。
「ふざけるな」
「どこの誰だか知らんが、騎士をなんだと思っている」
自身に向けられる怒りの視線を、彩希は一身に受ける。騎士がいた時代の生まれではないが、戦士がどういう生き物なのかを彼女は理解している。それでもなお、言わずにはいられなかった。
――そう、彼女は恐れているのだ。過去の亡霊に、無関係の人間が巻き込まれることを。
チラリチラリと、ニコロが代弁者に突撃した瞬間が映像となって脳裏をよぎる。
(お願い。今回は退いてほしい。……え?)
騎士達の視線が断ち切れた。黒羽が、彩希と彼らの間に割って入ったからだ。
「皆さん。お腹すきません?」
この場の誰も予想だにしてない言葉に、一同は頭が真っ白になった。
「何を?」
誰かがそう問いかけ、黒羽は朗らかに笑った。
「そろそろお昼の時間でしょう。続きはお昼ご飯を食べてからでどうですか? ニコロを救うにも、代弁者を捕縛するにも、お腹が減ってはままなりません」
「……フ、フハハハハハ」
キースが笑い声を上げる。騎士達はポカンと指揮官を見つめたが、やがて釣られて笑い出す。
「まったく、大した御仁だ。ほら、お前達。食事の準備に取り掛かれ」
「あ、キースさん。食事は僕が作りますので、数名の方にお手伝いを頼みたいのですが」
「了解した。ジョエル、料理が得意な者を集めろ。それ以外の者は、テーブルと椅子の準備だ」
毒気を抜かれた騎士達は、和やかな笑顔で動き出し、彩希は戸惑った様子で彼らを見つめた。
「彩希」
黒羽はピクリと肩を震わせる彼女の頭を、ポンと叩いた。
「あんまり一人で抱え込みすぎるなよ。お前は優しい人だと思う。でも、その優しさは他人を思いやるがゆえに、時にお前を救わないように感じる。それは、相棒として悲しい。辛い時、どうしていいか分からない時。何でもいい、俺に相談しろ。俺は、そんなに頼りないか」
彩希は強く首を振った。そんなわけはない。正直、人に嫌われるのは慣れたが、毒を刷り込まれるような苦しみは感じるのだ。さっきは、手を握りしめ震えを強引に堪えていた。張り裂けそうに辛くて仕方がなかった。
……でも、今はじんわりと心が温かい。
「ううん、ありがとう。……さあ、料理を作るんでしょう。私はお皿の用意してくるわね」
背を向けて駆け足で離れた。きっと、頬が燃えるほど赤くなっていることだろう。彩希はしばらく、黒羽の顔を直視できそうになかった。




