~第九章 集う力と交わされる密約①~
「う……うう」
黒羽が瞳を開けると、緑色の布が見えた。ぼんやりとする頭で思考し、その布がテントの一部であることに思い当たる。
なぜこんなところに。
疑問に対する答えを見つけるために、体を動かした。体のあちこちにしびれを感じたが、どうにか上半身を起こすことに成功し、周りを見渡す。
黒羽が横たわっていたベッドは、入り口から正面奥に位置している。そこから入り口に向かって一直線にベッドが並んでおり、全部で十台ある計算だ。黒羽からみて右側に樽がずらりと並び、左手にはテーブルが二つ設置されている。
「面白い形のテントだな」
黒羽は上に視線を向ける。
テントの骨組みは、傘そっくりだ。恐らく閉じた傘を開くように、骨組みを広げ、その上に布をかぶせるのだろう。
感心してまじまじと観察していた黒羽は、食器が割れる音で驚いた。
「秋仁! 目を覚ましたのね」
太陽の光を背に受けて、入り口に彩希が立っていた。駆け寄り、黒羽に抱きつくと、全身を手で触り始めた。
「な、何をする」
「どこも異常はないかしら? 代弁者に毒を盛られたんだから心配だわ」
「代弁者……」
ふわりふわりとしていた意識が、カッと覚醒する。真っ暗な地下道から飛び出し、代弁者と対峙した記憶が映像となって頭を駆け抜け、ゾワリとした感触に身震いした。
「ど、どうなった。俺はその後どうなったんだ」
「落ち着いて。ゆっくり説明するわ」
彩希は椅子をベッドの横に設置すると、わかりやすく説明をした。
――彼女は、ニコロを残し代弁者のアジトを脱出した後、豊潤の森を彷徨った。プリウに黒羽の鍵を使って戻ろうとしたが、彼女が使っても反応せず、とうとう体力が尽きてへたり込んだ。
その時、光源石の柔らかな光が、木々の隙間から漏れ出ているのが見え、彼女はすがるように、その光に向けて叫んだ。
「そして、助けてくれたのが騎士団だったのか」
「そうよ。豊潤の森を調査していたんだって。キースって人が隊長らしいわ」
「そうか。その人にお礼が言いたい。悪いけど、呼んできてくれないか」
「分かったわ。あなたはまだ本調子じゃないんだから、横になって待ってなさい」
母親かお前は、と思ったが、言われた通りに黒羽はベッドに仰向けになった。
「……馬鹿野郎」
心の中は、申し訳なさと無力感、早くニコロを助けなければという想いが交差し、不出来なスープのようになっている。
清々しいはずの森の空気は、いくら吸っても重たく粘り気のある泥のようで、少しも楽にならない。黒羽はいてもたってもいられず、体を起こした。
「おっと、突然体を動かしては駄目ですよ。あなたはまだ寝ていなければならない」
低いが、安心感を抱かせる声。呆れた顔で息を吐く彩希の横に、角刈りで口ひげを生やした男性が立っている。
「あなたがキースさん?」
「ハイ。キース・ベルナール・シリル・ダミアンと申します。キースとお呼びください」
「この人はね、ニコロの友人だってさ」
彩希の言葉に頷き、キースは深々と頭を下げた。
「友が語っていた冒険者とは、あなたのことだったのですね。アイツがあんなに楽しそうに人の話をするのは、初めて見ました。言っても簡単には認めんでしょうが、きっと友人と思っていたに違いない」
「友人? 本当にそう思っているでしょうか。めんどくさい野郎と思っているほうが正解では?」
黒羽の皮肉が効いた言葉に、キースは大きな声で笑い。嬉しそうに手を握った。
「あの男ならばあり得ますな。さて、起きて早々申し訳ないが、何があったのか説明してもらえませんか。こちらの女性とあなたの話を聞いた上で、代弁者の捕縛とニコロの救出を考えたい」
黒羽は頷くと、順を追って説明した。かいつまんで要点のみを話したので、伝わっているか不安だったが、いらぬ心配だったようだ。
キースは隣のベッドに腰かけると、唸り声を上げた。
「ぬうう。代弁者、何という男だ。まさか、ギルドマスターに成りすまして、地下道を巧みに使っていたとは」
「地下道は、いつ頃作られたものなのでしょうか? どうも最近作られたようなものではなかったのですが」
キースはジッと、地面を睨みつけ、足で軽く二度叩いた。僅かな土煙が生じて、入り口から吹く風に流されていく。鼻腔に土の香りを感じた時、彼は口を開いた。
「我がウトバルク王国は、千年を超える歴史ある国でしてな。建国当初から、戦ばかりが発生していたのですよ。その影響で、ウトバルク領内には、こういった古い地下道や避難所があるのですよ。
皮肉ですな。敵から身を守ったり、戦を有利にするために作られたはずなのに、よりにもよって代弁者に利用されてしまうとは」
「地下道の構造は把握しているのかしら」
彩希の問いに、キースは首を振った。
「残念ながら、私の記憶が正しければ、記録には残っていない。随分と古い施設であるようだから、放置されていたのではないでしょうか。いずれにせよ、代弁者はドラゴンの力を操る男。どんな場所にせよ、苦戦……下手をすれば全滅も覚悟せねばならないでしょう」
黒羽は彩希と視線を交わす。瞳を見つめれば、互いの意思がどうなのかがすんなりと理解できた。だからこそ、言葉を発する必要すらなく、頷きで肯定する。
「ありがとう彩希。キースさん、あなたをニコロの友人と見込んでお伝えしたいことがあります」
「……重大な話のようですな。少々お待ちを。人払いをします」
キースが外に出て戻ってくるまでの間、黒羽は深呼吸を繰り返した。心臓が荒ぶって仕方がないのだ。
きっと、情けない表情をしていたに違いない。彩希が、そっと黒羽の背中を撫でた。
子供のようで気恥ずかしかったが、おかげで話す決心がついた。
「おまたせしました。周りには誰も来ません。流石に大声を上げれば聞こえますがね」
キースなりの冗談にぎこちなく笑った黒羽は、一度息を吸い、それから口を開いた。
「今から話すことは、あなたと僕達だけでの秘密にしたい。お約束できますか?」
キースは、直立不動の姿勢になると、槍を胸の前に持ち、左手で胸をリズミカルに二度叩く。
「我が国と、女王陛下に誓って、ここで聞いたことは誰にも他言いたしません。もちろん上司であり、君主である女王陛下にも」
「……信じます。ところで、お話をする前に確認を。ドラゴンはこの国では、どういった扱いですか?」
「ドラゴンですか。強大な力を持つもの。知恵者。そして、人間と同様に良い者もいれば、悪い者もいる。個人ごとに違いはあれど、この認識の者が多いでしょう」
黒羽は安堵したように息を吐き、それから打ち明けた。自身が異世界人であり、彩希がドラゴンであること。その他にも、様々なことを話した。
キースは決して笑わず、真剣な眼差しで話を聞き終えると、両手を組んだ。
「なるほど。突拍子もない話だが、どうも私には嘘を言っているようには感じない。事実であれば、秘密にしたい気持ちはよく分かる」
「ええ。それで、ニコロの救出の件なんですが、僕達に任せてくれませんか」
「……それは、私達の損害を心配しての発言でしょうか?」
穏やかだが、重みのある声。彼の瞳は「騎士を愚弄するな」と言っているような気がした。だが、それでも黒羽は強く見つめ返す。
「はい。ウロボロスを扱う者を倒すには、同じ力を扱う者が適任です」
しばし、沈黙が重苦しく漂う。
小鳥が嬉しそうに鳴き、羽ばたく音が外から聞こえた。
まるで、テントの外と中が別の世界になってしまったような感覚が、数分続いた頃。キースは「少々お待ちを」と言い残し、外へと出て行ってしまった。




