~第四章 束の間の平穏①~
「よっと」
愛用のフライパンの上で、食材がアクロバティックに舞い、鍋肌に再び着地する。
黒羽は今、自身が泊まる宿屋の厨房を借りて、料理の真っ最中である。
塩、胡椒を振り、味見をすると、一旦食材を皿に移しておく。黒羽は流れるような手つきで、今度は魚を三枚におろし始めた。
「秋仁、まだ?」
食堂の方から聞こえる彩希の声に、「もう少しだ」とだけ返し、下ろした切り身をさらに切り分け、赤い木の実を用意するとニヤリと笑った。
数十分後、三つの皿を木の板に乗せた黒羽が、腹をすかせた二人の元に現れた。
「遅いわよ。怪我して体力を失った直後なんだから、早く食べさせなさいよ」
「分かったって。最近、お前わがままばかりいうようになったな」
「へ、駄目だなあんたは。女性の扱いがなってねえ。男は女性のわがままなところも含めて愛するのが、役目ってもんだろう。ねえ、姫君、そうは思いませんか」
ニコロの渾身の口説きは、彩希の食欲の前にあっさりと敗れ去る。彼女は、ろくに返事もせず、目の前に置かれた皿に目を輝かせた。
「へえ、あんた意外と料理が上手なんだな。もっと、酷い飯が出てくると思ったぜ」
皮肉を込めたニコロの言葉に、二人を顔を見合わせて笑った。
「お前、俺の職業を何だと思っている?」
「ハア? そりゃ、冒険者だろ」
「フフフ、やっぱり勘違いしていたのね。この人は飲食店を経営している人よ。私は、そのスタッフっていったところかしら」
一拍間をおいて、ニコロは素っ頓狂な声を上げた。
「イヤイヤイヤ、あり得ねえよ。だって、あの状態のファマを倒したやつが、飲食店の経営者! あ、でもよ。君がウエイトレスなのは良い。エロイ」
彩希はニコロの脛を蹴ると、お構いなしに食事をはじめた。皿には、こんがりと揚げた魚にたっぷり野菜のあんかけがかけられた料理が乗っている。
「魚料理ね。美味しそう。まずは魚を……ウーン、最高」
サクッとした食感に、滲みだす魚の旨みが頬を緩ませ、優しい味付けのあんかけが包み込むように味覚を刺激した。
「素材そのもの味が活きているわね」
「あー、そういう料理か。嫌いじゃねえけど、もう少し、がっしりした料理が食いたかったな」
ニコロは、ぼやきながらもひとまずと言った様子で、魚を口に含む。黒羽はその瞬間に、ニヤリとした笑みを浮かべる。
「あ、うめえな。確かに素材の味が……んだコレ! ズガンと辛れぇ」
「あ、それな。お前のには、魚のフライの中にレッド・ペインを入れておいたから」
「れ、レッド・ペイン。それって」
ニコロは水で喉を潤しながら、旅で聞いた話を思い出す。
「あ、アレだ。この辺の地方で食べられている木の実だ。確か、すっげぇ辛いけど、旨みが半端ねぇって聞いたことがある」
「そう、食べた感じ、白身魚の淡白な味を引き出すのにピッタリだと思って入れといた。どうだ、コレなら探索で疲れた体にも刺激的だろう」
「あ、あーと。まあ、そうだな。まあまあ美味いかもな」
そう言いつつ、勢いよく口に頬張るニコロに、勝ち誇った様子で拳を握る黒羽は、食べるのもそこそこにまた、厨房へと引っ込んだ。
「彩希ちゃん。あの野郎、マジで飲食店の経営者なんだな」
「そうよ。開店してまだ一年経ってないけど、人気店なんだから」
「フーン。ところでさ、君はドラゴンだったりする?」
ジッと様子を伺うようなニコロの視線を、彩希は同じくらい真剣な眼差しで見つめ返し、
「私の腕を見てそう感じたのね」
と言った。
ニコロは水を口に含み、頷きで肯定を示した。一方の彩希は、魚をスプーンで掬い、たっぷり一分以上噛んでから、妖艶に笑った。
「どっちだと思う?」
「……それを聞いてるんだけど、教えるつもりはないと。ヘヘヘ、まあいいや。そのうち、知る機会があるかもしれない。その時までの楽しみとしてとっておこう」
(ほとんど答えたようなものだ)と思ったことは、胸にしまっておく。
手にカップケーキがたっぷり入ったお皿を持って現れた黒羽は、首を傾げた。
「何かあったのか?」
「いいえ、何も。ねえ、それは?」
「ん? これはな」
説明する黒羽を意識の外におき、ニコロは心臓の高鳴りを抑えようとする。
全く本当に、良い女ってのは厄介だ。表情一つで、男を手玉にとる。
「あのさ、これを食べ終えたら、俺は釣りに行ってくるよ」
「あら、どうして? 魚屋さんで買えば良いじゃない」
「そうだけどさ。自分で釣ってみて、この土地を感じたいんだ」
何の話だろうと彩希は思ったが、ハッと思い当たる。彼は料理を作る際、テーマを決めることが多い。大方、そういうことだろうと当たりを付ける。
「そう、好きになさい。このケーキ、もらっていくわね。私はもうひと眠りするわ」
彩希は立ち上がり、その場を後にする。残された二人は、しばらく沈黙していたが、黒羽が口火を切った。
「で、お前はどうする?」
「あ?」
「俺は彩希の体力が戻るまでは、動かない。まあ、報酬をもらいにギルドへ行った時にでも、情報収集くらいはするけど、お前はどうするってんだ。暇なら一緒に釣りでもどうだ」
「あ? そんな暇は……」
断ろうと思ったが、止めた。やみくもに動いても代弁者は、尻尾を見せるような男ではない。
……ちょっと息抜きするか。
考え直したニコロは、黒羽に俺も行くと告げ、宿を出た。
陽光の町プリウは、入り口から港まで一本道である。大河のような幅の広い大通りが中心にあり、その道を挟む形で建物が連なっているのだ。わき道に入れば、迷路のように入り組んでいるが、幸い釣りのスポットはそれほど難しい場所にあるのではない。