☆7☆
『イグドラシル(世界樹)』の頂上に戻ると、ちょうど月が天頂にきたところだった。
頂上は葉の茂みになっている。あたしはその上に、木の大きさからしてかなり貧弱に見える星を、そうっと置いた。すると星は、大きくふくらんで輝きはじめる。
「急いでここを、離れるんだニャあ」
桃猫に言われて頂上を離れると、光の球体はますます大きくなっていった。そして、さらにまばゆく、光り輝く。
見る間に相応しい大きさになると、煌めきが雪のように『イグドラシル(世界樹)』を覆い尽くした。呼応して、ヤドリギの明滅も輝きを増す。
金と銀、蒼と白、そして映し出される緑の色彩が、荘厳で神々しくスミレ色の雲の中に浮かび上がる。いつまでも見ていたくなる眺めだった。
だけどあたしには、もう一つやりたいことがある。
「桃猫、お願いがあるの。第三階層の中で一番立派な枝のある場所が解るかしら? そこに連れて行って欲しいのよ」
「ニャんだって! そりゃあもしかして『主の洞』のことかニャ」
「『主の洞』? ユリウスが教えてくれたの。そこに住む老人が、あたしのお願いを叶えてくれるんだって」
「ううぅむ……俺はあまり会いたくニャいが、まあいいだろう。ところでサイのお願いってニャんだ?」
「それは秘密。行っても良いかな、シロン?」
シロンは仕方なさそうに肩をすくめた。
「ここで少しくらい寄り道しても構わないさ、お前の気まぐれにも慣れたしね」
いつもながら、気になる言い方。だけど、ここで喧嘩して気まずくなったら水の泡だ。
あたしは言い返したいのをグッと我慢した。
第三階層まで下ると、再び辺りはミルク色の霧に包まれた。お日様がある時と違い、薄ねず色で少し不気味。『イグドラシル(世界樹)』を覆う光のベールがあるおかげで、暗くならないでいられるのだろう。
桃猫が着地した場所は平らで広く、磨き上げられた石が引き詰められたような場所だった。幹に近い方へと進むと、大理石で造られた東屋のようなものがある。小さな頃に絵本で見た、ギリシャの神殿のような形だ。
樫木に棲むリスの住み処のような場所を想像していたあたしには、思ってもいなかった様相だ。いったいどんな人が、ここで暮らしているのかな?
建物に近付いていくと、一人の老人が入り口の前に立っていた。床まで伸びた白髪と髭、深緑色のローブ、黒炭の杖。
「あっ、あのぅ……あたしの名は……」
「サイじゃな、そしてそなたはシロン。ようきた、久々の来客じゃ」
老人は、あたし達を東屋に招き入れた。桃猫は石畳に寝そべり、呑気に毛繕いをしている。
あたしの心臓は、緊張感で高鳴った。
この老人は、いったい何者なんだろう? 願いを叶えてくれるって言ったけど、どんなことでも大丈夫なんだろうか?
「さて、わしに用があってきたのだろう? クリスマス・スターを得た者よ、願いがあるなら言うがいい。わしの力が及ぶ限り、力になろう」
東屋の小さな茶室で、老人はお茶を振る舞ってから向かい合って腰掛けた。白い髪や髭の見かけに比べ若々しい生命力にあふれ、瞳はいたずらっ子のような輝きを宿している。
「私の願いは、シロンのお母さんを呼び出してくれる事よ。ちゃんと、シロンが伝えたいことを伝えるだけの時間で!」
緊張で萎縮しそうになる気持ちを抑え込み、あたしは老人に向かって思いの丈を告げる。
驚いたのはシロンだ。座っていた椅子から跳び上がると、老人に向かって叫んだ。
「必要ない! その願いはもう、終わったものだ!」
だけどあたしも、負けてはいなかった。
「シロンは、あたしを助けるために自分の願いを犠牲にしてくれたのよ? あたしは、そのままでは嫌なの! シロンは今の姿をお母さんに伝えなきゃいけない、そうしなくちゃ前に進めないの。後ろ向きのまま生きるシロンをあたしは見たくないんだもん。ずっと、ずっと、応援したいんだよ。だからお願い、シロンをお母さんに会わせてあげて!」
あたしの勢いに気圧されて、シロンは黙り込んでしまった。老人は目を細め、優しい笑みを浮かべてあたしを見た。
「本当に、優しいお嬢さんだ。いいだろう、その願い叶えてやろう」
老人に促されて東屋を出たあたし達は、石畳の広場を横切り灌木の茂みに案内された。そこには、これまで目にしたヤドリギの実よりも大きな実が茂っている。その根元、まだ堅いつぼみを老人は黒炭の杖で数回叩いた。
「ヤドリギの花よ、今宵開きてこの若者の亡き思い出の者を呼んでおくれ」
するとヤドリギの花が、早送りの映画のように開きはじめた。一枚、また一枚と萼が開き、白く厚みのある花弁がほころんでいく。それと同時に、ぼんやりと輝く霞のようなものが花の周りに渦を巻きはじめた。
息をのみ、その霞をシロンが見つめる。あたしは二人の再会を気遣って、その場から立ち去ろうとした。
だけどシロンは、あたしの腕を掴んで話さない。
「一緒にいて欲しい」
シロンのとび色の瞳が、真っ直ぐに見つめる。あたしはその手を取って、ギュッと握りしめた。
徐々に早く、渦が回る。回りながら霞の渦は、すうっと人型になって……と、思った途端、それは霧散する。
あとには、柔らかな白さを放つヤドリギの花だけが残されていた。
「ちょっと、お爺ちゃん。これってどういう事なのよっ! 願いが叶わないならそう言ってよねっ! 無駄な期待させられたら傷つくじゃないのっ!」
複雑な表情のシロンに代わり、あたしは老人に詰め寄る。
「それともアンタ、年取って役に立たないから追放された賢者の弟子? 見かけ倒しなんて、許さないんだからねっ!」
あたしの剣幕にタジタジとなりながら、老人は小さな息を吐く。途端に、あたしの身体は自由がきかなくなり、言葉を発しようとしても酸欠の魚のように口をパクパクさせることしかできなくなった。
「やれやれ……これは短気なお嬢さんだ。この私を役立たずの見かけ倒しというとは、前代未聞の跳ねっ返りじゃのう」
老人は、あたしから身をひいて高らかに笑った。なんてムカつく爺さんだろう!
「サイを元に戻せ! 彼女に何かしたら、俺が許さない」
シロンが前に進み出ると老人の杖がくるりと円を描き、あたしは急に自由になった。
「まあ、待ちなさい。わしの魔法に偽りはない。つまり、呼び出せなかったということは、この若者の願い人は冥府には居らぬということじゃ」
「えっ? それって……」
「生きておるんじゃよ、どこかの時代で生を全うしておる」
予想もしなかった言葉に、あたしはシロンと顔を見合わせた。
「生きている……まさか。老人、俺は『時の賢者』に命を救われた『ひろいっ子』だ。その時、母は俺を救うために死んだと思っていた。『時の賢者』は母も助けて、どこか違う時代に連れて行ったのか?」
老人は眉根をよせ、首を横に振った。
「それはわしにも解らん。そなたが『時の賢者』の側近となり、自ら確かめるより他に術はないのう」
シロンは放心したように肩を落とし、そして急に、床に向かって拳を叩き付けた。
あたしにはシロンの心が悲鳴を上げているように感じた。
生きている、でも、届かないところにいる辛さが、ひしひしと伝わってくる。
「……ゴメンね、シロン。あたし余計なことを……」
ゆっくり立ち上がったシロンは、あたしに向かって微笑んだ。意外なことに、その瞳に暗さの欠片は微塵もない。
「生きていると解った、感謝するよサイ。『時の賢者』になる望みが叶わないなら、俺は『冥府の賢者』になっても良いと思っていた。だけどもう迷わない、必ず『時の賢者』の弟子になり、母さんのいる場所を探し出してみせるよ」
「うんっ、シロン。きっと、きっとシロンなら出来るよ」
嬉しくなってあたしは、何度も何度も頷いた。
涙がまたあふれ出し、恥ずかしくなってローブに顔を埋める。そのあたしの肩を、シロンはそっと抱きしめてくれた。
「さて、願いを叶えることが出来ないままでは申し訳ないのう。お詫びに一つ、贈り物を進ぜよう」
老人は黒炭の杖で、とんっと床を叩いた。そしてローブの中をまさぐり、何かを掴みだすと目の前で手を開く。
そこには翼竜の彫金が封じ込まれた、凝った細工の指輪がのっていた。
「シロンとやら、『時の賢者』を目指すなら、いつかこれが役に立つじゃろう。受け取るがいい」
シロンは指輪を受け取ると、神妙な顔をして手の中で転がす。
「装飾品を身につけるのは、賢者の一族か弟子になった者だけだ。俺が弟子になるまで、お前が預かっていてくれ」
首からコバルト色のスカーフを外すと、シロンは物理魔法で細い鎖に変え指輪を通した。そして、あたしの首に鎖を掛ける。
「見つかると、うるさい連中がいるぞ? これでおまえも、あまり露出の多い服装が出来ないな」
いたずらっぽく笑うシロンに、あたしは返す言葉がなかった。まったくもう、どういうつもりなんだか……。
「さあもう帰りなさい、勝者が戻らねば皆が心配する」
「はい、ありがとうお爺ちゃん」
あたしが深々と頭を下げて顔を上げると、老人の姿はそこになかった。
あのお爺ちゃん、けっきょく何者だったのかな? 首を捻りながら桃猫を探して歩いていると、突然シロンが立ち止まりあたしは背中に激突する。
「ぷぷっ、突然止まらないでよシロン……」
「そうか! あの老人は恐らく『イグドラシル(世界樹)』の主だ。サイの無鉄砲のおかげで、貴重な経験が出来たようだな」
振り向いたシロンは、真剣な顔であたしを見つめる。間近になった顔に、あたしはまた、かあっと顔が熱くなった。
そうね、あたしもようやく解ったよ。
喧嘩や憎まれ口の時は気にならないけど、シロンが素直に話してくれるときや、あたしのこと褒めてくれたときに頭に血が上って胸が苦しくなるんだ。
「いつもあたしのせいでシロンに迷惑掛けてるもの……少しでも役に立てたなら嬉しいよ」
こんな時は、まともに顔を見ることができない。あたしはわざと、視線をそらした。
「今回は、サイに色々助けられた。特に……その、母さんのことは……」
「あたしこそ、ライハルトから危ないところを助けて貰って、まだお礼も言ってなかったね」
ミルク色の霞の中で、ヤドリギの蒼白い光が明滅する。
あたしの心臓の音と、同じリズムで。
「おまえホントにドジでオッチョコチョイだからな、目が離せないんだよ。だからライハルトに捕まったとき、すぐに解った」
その言葉に、ひときわ心臓が高鳴った。お母さんを待ちながらも、シロンはあたしを気に掛けてくれていたんだ。
ヤキモチやいて馬鹿だな、あたしってば……。
「お礼なら、キス一つでいいよ。ヤドリギの下だしな」
「えっ……」
「なんてね、冗談だよ」
あたしが顔を上げると、今度はシロンが背を向けた。
もしかしてシロン、ヤドリギ伝説の話を知っているのかな?
ヤドリギの下にいる女の子には、キスして良いんだって。
ヤドリギの下でキスした恋人達は、幸せになれるんだって……。
ゆうべ夢で見た、ヤドリギの下のキス。その相手は……。
石畳の広場中央まで来ても、桃猫はいなかった。シロンは不機嫌そうに小さくため息をつく。
「ったく、どこに行ったんだロセウム! ロセウ……!」
桃猫を呼びながら振り向いたシロンに、あたしはキスをした。
ほんのかすったような、ぐうぜん唇が当たったようなキス。
シロンは驚いて、鳶色の目を丸く見開いた。そして、誰よりも優しい素敵な笑顔で微笑むと、そっとあたしを抱きしめる。
柔らかな暖かさがあたしの身体と、あたしの唇を包み込んだ。
ミルク色の霞の中で桃色の影が「メリー・クリスマス」と言うのが聞こえた。
おわり
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