☆1☆
シロンの劣勢は、明らかだった。
あたしは大声をあげて応援したいのをグッとこらえ、爪が食い込むほど両手を握りしめた。手のひらに、じんわりと汗がにじんでくる。伝統ある競技だから、物音一つたてずに観戦しなくちゃいけないんてナンセンス。応援や歓声で盛り上がれば、戦う方だってもっと気合いが入ると思うのにな。
中世ヨーロッパ宮殿の、舞踏会場そっくりな室内競技場。高い天井に嵌め込まれた色とりどりのステンドグラスにかもし出される虹色の光彩が、磨き上げられたチークのフロアに散乱する。
鋼の擦りあう澄んだ音を響かせながら、その場に対峙する二人の男子。クラス一番の長身で体格の良いライハルトとスマートな身のこなしで体格差をカバーするシロンだ。ライハルトは肩幅の広い背に栗色の巻き毛を波打たせ、高い位置から叩き付けるようにサーベルを振るう。でも森や岩場を跳躍するカモシカのような機敏さで逃れるシロンを、捕らえることは出来ない。だけど、あたしは気がついていた。シロンの息が上がり、動きがだんだん鈍くなってきた事に……。
世界の理を支配する十三賢者。その候補生六十人が学ぶ『ファートゥーム魔法学校』は、時間と空間の狭間にある『クラッシュ・ケイブ』という場所に存在する。頂上が雲にかすんで見えないほど高い山に四方を囲まれた盆地で、小さな街と学校、ささやかな耕地と深い森、そして流れ落ちる先が水煙で見えない大きな河がある。この場所の外がどんな世界なのか、賢者様しか知らないらしい。
『ファートゥーム魔法学校』では毎年クリスマス直前に、現在の時の賢者シグルス様を讃えて『シグルスの銀杯』という剣技を競う競技会が開催される。競技場中央壁面には『時の賢者シグルス』の勇壮な姿がレリーフとして掲げられ、その両サイドのロイヤルボックスで七人の先生が試合の行方を見守るのだ。
サーベルを手に競技に参加できるのは、男子生徒四十二名だけ。十八名の女子生徒はフロア後方のギャラリーから、お気に入りの男の子や内緒で付き合っている恋人を胸の内で熱く応援する事しかできない。
刃のないサーベルが命を奪うことはないけど、競技会は毎年かなりの重傷者を出している。まあ重傷を負うって事は防御の魔法が下手だって証明してるようなものだから、自信がないヤツは出ない方が無難、参加は任意なんだしね。それでも男の子って戦うことに夢中になるんだからホント、馬鹿みたい。
あたしがシロンを応援してるのは、戦ってる相手が大嫌いなライハルトだから。ライハルトは『十三賢者』の一族だからって、エリート風を吹かせてる鼻持ちならないヤツ。『ひろいっ子』のあたしやシロンに風あたりが強くて、蔑むようなことばかり言うのよね。落ちこぼれのあたしに比べ、シロンは成績優秀だ。学園入学後に全員が二人一組のチームになるんだけど、あたしのパートナーになってしまってきっと後悔してるだろうなぁ。でも賢者様が決めることだから、逆らうことは許されない。
ゆったりと結んだ漆黒の長い髪をたゆたわせ、シロンは銀鱗の魚影が水面に踊るがごとく優美にサーベルを操る。力任せで振り回すライハルトが、呆れるくらい格好悪く見えて笑っちゃいそう。でも十九歳のライハルトに十五歳のシロンじゃあ、やっぱり分が悪い。汗で額に貼り付いた髪、苦しそうに結んだ唇。それでも諦めずに、ライハルトの突きを払い、攻撃を押し返そうと前に踏み出す。サーベルが絡み合い、柄で競り合う。睨み合うライハルトとシロン。力任せにのし掛かられ、シロンの眉間にライハルトのサーベルが迫る。
もうだめっ! あたしは観ていられなくなって、つい立ち上がった。ところが、次の瞬間目を疑う。シロンがライハルトを弾き飛ばしたからだ。
「よしっ!」
頭上に拳を突き上げたあたしを、他のクラスメイトが白い目で見たけどかまうもんか。
気勢をそがれたライハルトは、攻撃に隙が出来た。機を逃さずシロンの繰り出すサーベルが勢いを増す。形勢逆転! 勝てそうな予感がしてきたぞっ。
「ふうっ……ライハルト様ったら、手加減なさっては相手が増長いたします」
むっ、後ろから聞こえた甘ったるくて癪に障る声はクラリッサね。嘘ばっかり、手加減してるどころか今のライハルトは、シロンの攻撃をかわすのに必死じゃない。
「あら、そうかしら? ライハルト様に余裕があるとは思えないけど」
あたしは赤毛のツインテールを、わざと大きく振り回して後ろを向いた。跳ね上がった髪が鼻先をかすり、クラリッサは顔をしかめる。
「勘違いなさらないでね、サイ。どう考えたって『ひろいっ子』である、あなた方が勝つことなどあり得ないのです。でも不遇な境遇同士でいたわり合う姿は、美しいですわ」
エメラルド色の瞳に偽りの慈愛を讃え、クラリッサは品よく微笑んだ。ライハルトの腰巾着のくせに、ホンッと嫌な女!
怒りと嫌悪を思いっきり灰色の瞳に込めて睨んだあたしを無視するかのように、肩に掛かったハニーブラウンの髪を右手でかき上げクラリッサは踵を返す。これ以上、会話するのも煩わしいと言いたげに。
クラリッサの言うとおり、あたしもシロンも賢者様が人間界から連れてきたよそ者だ。人間界で特出した力を持つがために居場所を失い、『時の賢者』様に助けられこの世界に来た子供達は『ひろいっ子』と呼ばれている。あたしは二十一世紀のアメリカから、シロンは十七世紀のフランスから連れてこられた。この世界では過去の名前を捨てるから、あたしはサイ(ψ)、シロンはイプシロン(ε)。ギリシャ文字のアルファベットが呼び名になる。
十三賢者一族の血を引く候補生にくらべて肩身の狭い思いをしてる『ひろいっ子』学生も多いけど、賢者シグルス様以外の血筋なんて祖先はあたし達と同じなのよね。
世界がまだ混沌だった時、大いなる意志に派遣された『名も無き時の賢者』様が最初の秩序をおつくりになったという。そして世界が複雑になるにつれ弟子を増やし、現在は『十三賢者』を頭に大勢の弟子達が『理』を管理しているのだ。
『名も無き時の賢者』の血を引く賢者シグルス様を筆頭に、実のところ現在の賢者様は十二人しかいない。十三人目は世界が再び『混沌』に覆われたときに現れるそうだけど、どうやら伝説でしかないみたいね。
適性を認めて貰って弟子になり、ゆくゆくは十三賢者に名を連ねることが出来ればクラリッサの鼻をあかせて気分が良いだろうなぁ……まあ、あたしの成績じゃ多分無理だろうけど。
ホールをあとにするクラリッサの背に心の中で悪態をついた時、突然、会場がざわついた。
「なに? 勝負、ついたの?」
あわてて振り返ったあたしは、前に立つクラスメイトを押しのけて競技場を見た。そして思いもよらなかった光景に、愕然とする。
半身を起こした姿で床に倒れているシロン。その喉元には、ライハルトのサーベルが突きつけられていたのだ。いやらしく口元をゆがめ、蔑んだ笑みを浮かべるライハルト。肩を落とし、うつむくシロン。
「うそっ、ナンでこうなるの? さっきまでシロンが……いったいどういう事よっ!」
近くにいた同じ『ひろいっ子』のクラスメイトを捕まえ、あたしは額を突きつけて状況説明を迫った。ちょっと天然で、のんびり屋のイータ。あたしと気の合う友達だ。
「落ち着いてよぅ、サイ。確かにシロンが優勢ぎみだったんだけど、一瞬、動きがおかしくなったのぉ」
小柄なイータは、小さな目をしばたかせながら怯えたように言葉を震わせる。
「おかしくなったって?」
あたしが身体を引くと、ホッとしたようにイータは大きく息をついた。
「うぅんとねぇ、そう、何かに気をとられて注意がそれた感じ。目にゴミが入ったんじゃないかなぁ、そんな動きをしたような気がするんだけどぉ」
それくらいのことでシロンが負けるなんて……納得できない! こうなったら、直接本人を問いつめなくちゃ。 あの嫌みなライハルトをやり込めてくれると期待してたんだから。
だけど退場するシロンの背中が震えているのを見て、あたしの胸にいい知れない感情の渦が巻き起こる。悔しそうだな、シロン……。
「そんな事よりぃ、決勝戦が始まるよ。サイはオーギュ様を応援するって張り切ってたじゃない」
あっ、そうだった! 憧れの君、オーギュ様。プラチナブロンドの眩しい髪、涼しげなエメラルドの瞳、気品あふれる鼻梁、優しい笑みを絶やさない口元。『時の賢者シグルス』様の血を引く一族に、相応しきお姿。
案じる必要もなく、勝負は見えている。ライハルトなんてオーギュ様の足元にも及ばないんだから、瞬きをする間に撃砕されてしまうでしょうね。
女生徒達がもらす、羨望の溜め息が競技場を満たした。白い詰め襟の制服に、瞳と同じエメラルド色のスカーフをあしらったオーギュ様がサーベルを構えたのだ。その何者をも寄せ付けない美しさに気圧され、既にライハルトは色を失っている。
試合開始の合図とともに、オーギュ様のサーベルが目に留まらない早さで回転した。その一瞬に、ライハルトのサーベルは弾き飛ばされ堅いチーク材の床に突き刺さる。切っ先をめり込ませて小刻みに振動するサーベルは、勢いの凄まじさを表していた。競技場は水を打ったように静まり、次に大きくどよめいた。まさに神業、華麗すぎて物足りないくらい。もっとライハルトをやっつけて欲しかったんだけどなぁ、まあこれはこれでプライドがズタズタに傷ついたとは思うけど。
一人ほくそ笑むと、あたしはシロンを探しに競技場の外へと急いだ。
競技場から出て、中庭の周囲を巡る回廊を歩きながらシロンの姿を探す。すると、白い石畳が引き詰められた中庭の中央に立ち、シロンは天を睨んでいた。声を掛けにくい雰囲気に戸惑っていると、あたしの気配に気がついたシロンが顔を向ける。
「決勝戦は?」
「えっ? あ……試合開始数秒で決まっちゃった」
「オーギュか」
「うん」
試合結果だけ聞いたシロンは、踵を返すとあたしに背を向けて歩き出した。
「ちょ、ちょっとまってっ!」
慌てて後を追うあたしを無視して、シロンは歩調をゆるめない。敗因について根掘り葉掘り聞かれるのを、たぶん警戒してるんだ。
「試合中に気が散るなんて、シロンらしくないよっ! 決勝戦でオーギュ様と戦うのが怖くなったから、わざと負けたんじゃないでしょうね?」
「なんだとっ! あれは……っ」
あたしはシロンの目をまっすぐに見た。挑発に乗ってしまったことを悔やんだのだろう、鳶色の澄んだ瞳に浮かんだ怒りはすぐに消え、シロンは唇を噛むと顔を背ける。
「勝てなかったことに変わりはない、言い訳は見苦しいだけだ」
なによ、格好つけちゃって。その様子からすると、避けきれないアクシデントがあったに違いない。ライハルトが、反則技を使った可能性もある。なお食い下がろうとシロンの前に立ち塞がったあたしは、コバルト色のスカーフについた黒いシミを見つけた。
「血が、ついてる」
ライハルトが喉に突きつけた、サーベルの切っ先で傷ついたんだ。刃のない武器を使用しているはずなのに、ライハルトのヤツ、まさかシロンを?
「ねえ、先生に言わなくちゃ、ライハルトの武器はルール違反だって……」
「余計なことを言うな」
シロンは脅すような低い声で言うと、怖い目で睨んだ。その迫力に怯えて、あたしは思わず縮こまる。すると狼狽えたようにシロンは目をそらし、スカーフで首を押さえて足早にその場から立ち去った。
「ひねくれ者、強情っ張り、心配してあげてるのに、ホント馬鹿みたい……!」
背中に向かって挑発したけど、シロンはもう振り向くことはなかった。




