端的に言って絶望。
*
『美少女はおしっこをしない。』
これは、世に巣食う男達が美少女を自分の中で神格化する為に生まれた言葉だ。もちろん、額面通り本当に美少女がおしっこをしない訳ではなく、想像上の話である。いつからこの言葉が生まれたかは定かではないが、遥か昔の「平中物語」にも同様の記載があることからも、残念ながら人類は全く進歩していないことが分かる。
これは、言わば人間が長年の間受け継いでいった暗黙のルールであった。
そんな男達の願望が詰まった叡知を冒涜するかのように、僕はとある女子トイレにいた。
正確に説明するならば、私立織姫学園、本校舎、四階、北側の女子トイレ、窓口から三番目の個室。
汚れに汚れた男子トイレよりも明らかに清潔さを感じられ、髪の毛一本、ホコリ一つすら落ちてなさそうな神聖な聖域であるというのが僕の第一印象だ。ついぞこの瞬間まで生きている内に女子トイレを表現する時が来るとは夢にも思っていなかった。というか、女子トイレって………こんなんなってんだ………こんなんなってんだ!
そんな男子禁制の聖地に僕がいる理由。
それは、七夕冷子のおしっこを盗撮する為である。
恥知らずな僕は、臆面もなく、ぬけぬけと告白する。
七夕冷子。
何処にでもいるような、何処へでも行けるような。
取り立てて目立つ所もない普通の少女。放課後には友達と遊んだり、休日には彼氏とのデートに勤しんだり、少女漫画を見ることが趣味だったり。そんな、普通の少女。
しかし。
強いて普通ではない所を挙げるとするなば。
僕は七夕冷子が、誰かと話している所を見たことがない。それは勿論、あくまで僕の知る範囲ではということにはなるのだけれど。
もしかしたら、本当は友達がいるのかもしれない。他のクラスにでも。他の学校にでも。しかしながら、僕の認識では彼女の友達らしき人物を見たことがない。
何処か憂いげで、何処か儚い彼女には近寄りがたいイメージがあるのかもしれない。
触ると砕けてしまうような、手を繋げば泣き崩れてしまうような、そんな儚さが。
人の温もりが欲しかった僕としては理解し難いことではあるが。そんな温もりさえも七夕冷子にとっては毒に成り得るのかもれない。
誰からも傷つけられないように、誰も傷つけないように。そんな生き方をしているように捉えてしまった僕としては、七夕冷子はどこか僕とは違う世界の住人かと思うほどとても関わり用のない人物であった。
勿論。
私立学園に通っている生徒としては、全員と知り合う事なんて無理だとは思う。仮に一クラスを三十人程度だとしても、果たして全員と話す事すらも怪しいと思う。ジャンケンに相性があるように、カードゲームに相性があるように。人間関係にだって相性はあるのだ。況してやクラス替えのことを考えれば尚更である。
限られた建物の中での限られた関係。しかし実際にはそれで成り立っているのだから、僕と彼女に全く関わりがないのは問題ない。
しかしながら。
果たして僕は予想していただろうか。
そんな何の縁もゆかりもない僕と彼女が最悪の関係を持ってしまうということを。
「…………天野クン。」
狭い個室の中で囁いた彼女の吐息は、僕の肌を撫で上げ、どこか言いようのない気持ちにさせる。
制服と制服の擦れる音が聞こえ、なんとなく気まずく、後ろめたく、穴があったら入りたい気持ちになる。
一歩でも動けば肌と肌が触れてしまいそうな距離。言い換えるとするならば、互いの心臓の音が今にも聞こえて来そうな距離。
そんな中で、僕は喜ぶわけでもなく、恥ずかしく思うわけでもなく、ましてや興奮するわけでもなく。
ただ。
ただただ自分の運の無さを呪った。
悲壮感漂う顔で七夕冷子を見つめながら、事の発端を思い出す。わずか数ヶ月前のことだ。
*




