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異世界でキャバレーを  作者: ニトベ
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6.「それで、何から始めよう?」

過去編3

「それで、何から始めよう?」


 手紙に書かれていた言葉を知り、泣いている彼女を見ていられず、あわててそう声をかけた。正直なところ、泣いている彼女は、これまで見てきた何よりもはかなげで美しかったが、それを正視し続けることができるほど、悪趣味でも豪胆でもない。


「ん……ごめん」


 そう言って彼女は指で涙をぬぐった。

 赤い目をして、自分の中にある何かを押さえつけながら、それでも彼女は話し始める。


「お店を開ける」


 ……ん?


「お店を開けてお客さんに来てもらう」


 ……んんん?


「い、いや、そういうことじゃなくて、お店を開けるために何から始める?ってことだよ」


 予想外の答えに慌てて言葉を重ねると、彼女はキョトンとした表情を浮かべていた。

 ……まさかのノープランか。


「オーケー、まず、今の店はテーブルにも床にも埃が積もってる状態だから、すぐにお客さんを呼びこむのはまずい」

「おお……なるほど」


 ……ほんとにだいじょうぶか?

 この時点で、彼女が飲食業のノウハウを全く持っていないことは明らかだった。


「何をおいても、飲食店ってのは清潔であるってことが重要だから、まずは、そこから始めよう、そのハムとかはひとまず冷蔵庫に入れておいたらどうだい?」

「わかった」


 驚くほどの素直さで、彼女は麻袋を持って冷蔵庫の方へ向かう。


「そんで、箒とか雑巾とかがあるとこは……」

「そういえば、あっちで見たことがある」


 見た、ことね……

 その後の作業は地獄のようだった。彼女は冗談抜きで、人生で一度も掃除をしたことがないらしい。箒を持ったまま仁王立ちを続ける彼女が、指示を待っているんだと気づくのに少し時間がかかった。


 店に立つというか、生活能力すら皆無だな……これ、ていうかなんでそんなに堂々としてるんだ。


「なんでまた、ここで店をやろうと思ったんだい?」


 箒を奪い、やり方を見せつけるように床を掃きながら、ずっと疑問に思ったことを聞いてみる。

彼女が飲食店を営むのに必要な最低限の知識や技術を持っていないのは明らかだった。


「……?ここが私たちのお店で、私たちのお店はお客さんに食事を出すところだから」


 当たり前のことでしょ?と言わんばかりの表情で彼女は言う。


「いや、そうじゃなくて……」

「こんな世界で、多くの人と食事を共にして、笑いあえる、こんな幸せな仕事はないと、お母さんが言っていた」


 その言葉を口にした瞬間、彼女の雰囲気がどこか変わったのを感じた。

 それはどこか少し不安げで、その言葉にすがるかのような雰囲気だった。

 おそらく彼女自身はまだその感覚を味わったことはないのだろう。


「そっか」


 それきり少しの間、会話がなくなって、店の中には箒が床をなぞる音だけが響いていた。

 彼女は、相変わらずまんじりとも動かず、こちらを見つめている。


「やり方は理解した、任せて欲しい」


 そう言って彼女は、ん、とばかりに手を突き出してきた。


「そ、そうか、まかせた、こうやって埃を一箇所に集めといてくれる?」

「まかされた」


 若干どころではない不安を感じながら、道具置き場にあった雑巾を取りに行く。

 

「おお!ごみが集まる」

「……そうだね」


「じゃあ、俺は棚とかテーブルを拭いていこう、本来は、上から順番にやってくのがセオリーなんだけど、今回はどのみち、後から床も拭き掃除したほうがいいだろうから、おおざっぱに掃いてくれるだけでいいよ」

「ほほう、わかった」


 それからは、二人で黙々と作業を続けた。


「だいぶきれいになったね」

「すごい、見違えた」


 黒ずんだ雑巾を片手に、二人して頷きあう。気が付けば、二人とも、汗だくになっていた。

 まだ床とテーブルの掃除が終わっただけで、鍋や包丁、それから皿なんかの準備も終わっていない。幸い、以前使われていたものが全て残っているから、買い物に行く必要はなさそうだ。


「ここでは、何を出すつもりなんだい?」


 食材を買い込んではいたみたいだが、ここまでの計画性のなさを見るとあまり期待できなさそうだとは思いつつ、一応そう聞いてみる。


「ハムとチーズ、切ればそのまま出せると聞いた」

「まぁ、そりゃそうだけど……じゃあ酒は?」

「?……ない」

「そりゃどっちも酒のあてだよ、単品で頼むやつはまずいない」

「そうなの……」


 まぁ予想通りの答えにため息をつきたくなるのを押し殺す。


「……まぁいいや、んじゃ、まずは買出しだ」

「わかった、でもまだあなたの返事を聞いてない」


 そう聞かれて初めて、自分が、いつの間にか100パーセントその気になっていたことに気がつかされ、気恥ずかしくなった。


「手伝わしてほしい、君の店はいい店になりそうだ」


 なぜそう思ったのかは、自分でもうまく説明できない。

 勿論、彼女をそのまま放置するのは寝覚めがわるくなりそうだと思ったということもある。


「嬉しい、とても助かる」

「僕も助かるよ、正直この世界のことは何もわからない、君に拾われてよかった」

「君ではない、カプリース」

「ああ、えーと、カプリース……さん?」

「カプリース」

「……カプリース」

「よい」


 ようやく満足してくれたのか、カプリースは、その口元をうっすらと緩めてみせた。

 いちいち可愛いな、こいつ……


「それより、案内してくれよ、カプリース」

「わかった、ついてくるといい」


 そう言ってカプリースはまた自信満々の足取りで店を出て行った。

 



「つかれた」

「……お疲れ」


 買い物は思いのほかスムーズに進んだ。店から300メートルぐらい離れたところに小さな露店がならんだヨーロッパのマルシェのような場所が広がっていて、肉も野菜も調味料も、そこで揃えることができたからだ。

 カプリースと話して、今日はメニューの開発にとどめ、店を開けるのはその様子を見て考えることにした。


 生活感のない見た目と言動に反して、カプリースは意外に金を持っていた。

 この世界では、紙幣こそないものの、そこそこ精巧な貨幣が使われていた。


 店に帰り、買ってきた食材を調理台に並べてみる。

 呼び名こそ違うが、この世界にも牛、豚、鳥に類する動物が畜産されていると分かったのは僥倖だった。

 

 量あたりの値段は、豚、牛、鳥の順。前の世界と比べて牛と豚の値段が入れ替わっているが、これは牛が主に乳牛か農耕牛として利用され、食肉市場に回るのは、ほとんどがそこで使い潰された廃牛であるというのがその理由らしい。


 今回、買ったのはロースっぽい豚肉と鶏のむね肉をそれぞれ俺の感覚でだいたい3キロ。

 牛肉を使った料理は仕込みに時間がかかるのが多いから今回は見送った。


「おーい、持ってきたよー」


 それから、買ったのは薪だ。

 店の中には、田舎暮らしを扱ったドキュメンタリー番組で見たような、石でできたかまどが2つ設置してあった。勿論、使うのは初めてだが、構造がシンプルで、それようの中華鍋に近い鉄鍋も用意されていたので、何とかなる気がする。


 薪は2人で運ぶにはあまりにも重すぎて、材木屋に手数料を払って運んでもらうことにした。店の前に出ると、ちょうど、材木屋を訪ねた時に、親父さんの背後で積み下ろしの作業をしていた女の子が、後ろにまきを背負った牛を引き連れて歩いてきていた。


「はやいね、助かったよ」

「いやいや、今後ともごひいきに」


 ニヒヒと効果音がつきそうな笑みを浮かべてから、女の子は牛の荷紐をほどき始める。

 材木屋の看板娘である、と自称していた女の子は、小さななりをしている割に、苦も無く直径30センチはあるだろうまきの束を担ぎ上げた。


「すごいな……って、おもっ」


 荷卸しされたもう一つのまきを担ごうとしたところで、思わずそう声が出る。

 まきの重さは想像以上で、担ぎ上げるどころか、地面を引きずりながら運ぶのが精いっぱいだった。


 女の子のほうを見れば、なんとも優しげな微笑みを浮かべている。

 カプリースのほうは相変わらず、何とも言えない、ぼんやりとした表情を浮かべている。


 ちくしょう、なんか言えよ。


 結局、残り半分ほどの道中は、材木屋の女の子に運んでもらった。


「まぁ、小人族ってのはそんなもんだよ、兄ちゃんも人族にしてはそこそこだと思うよ?」


 なんともわかりやすい気遣いにさらに傷つきつつも、気になったことを聞いてみる。


「小人族?」

「ん?小人族は小人族だよ、アナタ人族、ワタシ小人族ってね」

「ん?あ、ああそうだよな、ごめん」


 怪訝な顔をされ、慌てて話を合わしておく。

 どうやらこの話題は質問とすら捉えられないぐらいに常識というか基本的な知識であるらしい。


「小人族は小さいのに力が強い、後、成長が遅くてたぶんあの子もあなたより年上」


 驚くことに気を利かせたらしいカプリースが声を抑えて話しかけてくる。

 

 カプリースは、生活力や家事能力は間違いなく壊滅的だが、おそらく洞察力は高いように思える。あの道で倒れこんでいた俺を見て、いち早く何が起きたかを悟ったのも、カプリースが自身の知識とあの状況を瞬時に結び付けることのできる頭の回転の速さを有していたからだろう。


「まぁ、とにかく、今後ともひいきにね」

「ああ、そうさせてもらうよ」


 女の子?は、気のいい笑顔を見せて、牛を引き連れて帰っていった。

 

「薪なんかはじめて使うな」

「ここじゃごく一般的と言ってた」

「……へんなこと聞くんだけど、カプリースは料理って」

「したことない」


 ……うん、知ってた。


「教えて欲しい」


 茶化そうとして、言葉をつぐむ。まっすぐにこちらを見つめるその目はどこまでも真摯だった。


「いいよ、でも俺だってたいしたものはできないぜ?」

「それでいい、少しずつ覚えていくから」


 カプリースは、無表情ながらこぶしを握って気合を入れるようなしぐさをした。

 それは、カプリースの容姿からは似つかわしくないようにも思える子供のようなしぐさだったが、どこか微笑ましいような、ほっておけなくなるような、そんな姿だった。

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