5.「敬意について、教えるべき」
過去編3
「敬意について、教えるべき」
昼営業の食材を仕込みながら、カプリースがぼやいている。朝食の場で、主役の座をリョウネンに奪われ、空気のような扱いを受けてから、今までずっとこの調子だった。
「……ええと、今日の日替わりは生姜焼きだったかな」
「……敬意を」
生姜焼きの豚は厚めに切ったロース肉4枚をだす。付け合せは新鮮なキャベツの千切りとポテトサラダ。
文官や学者なんかの一部のオフィスワーカーを除いて、この世界ではまだまだ、小作人や、酪農家に、傭兵や冒険者といった具合に肉体労働に就く人間が多く、こういう塩気が強く、こってりとした料理が好まれる。
「敬意……」
「……」
「そうだな、言っとこう」
突き出された下唇が震えだしたのを見て、あわてて声をかける。
カプリースが鼻をすすりながらこくりと頷いた。
はーあ……
これまでの付き合いで分かったのは、カプリースは不愛想で、人付き合いに興味がなさそうに見えて、誰より人好きな性格で、さびしがり屋ということだ。
さっきの朝食のような場で、他の人間が、自分の話をしていれば、上機嫌になって、隠れてニヤニヤとしているし、自分以外の話題が続けば、だんだんと下唇が突き出てくる。
いわゆる、厄介なタイプのコミュ障だよな、こいつ。
それでも、カプリースと従業員たちの間に距離ができないのは、従業員たちがカプリースのこの面倒な性格を見抜き、面白がり、やりとりを楽しんでいるからだろう。
ほんと、人には恵まれてるよ……まぁ、分かりやすいしな、こいつ、そんでおもしろい。
カプリースのほうを見れば、もう機嫌が直って鼻歌交じりに生姜を摩り下ろしていた。
こういう引きずらなさもカプリースが慕われる理由の一つだろう
単純で裏表がなくどこまでも素直な性格のカプリースを前にする時だけは、言葉の裏側や、相手の思惑についてあれこれ思いを巡らせずに済む。
日本ほど豊かでなく、貧しいものは奪い、奪われるのが当然のこの世界にあって、それがどれほど貴重な素質なのか、おそらくカプリース以外のこの店の従業員全員が知っている。
手を止めてカプリースを見つめると、それに気づいたカプリースがぱちくりと大きな目を瞬かせたあと、にへらと表情を崩した。
……まぁ、気を許した人間に時々こういう表情を見せるのも、こいつの人気の理由の一つだろう。
「ウタカ!あがったよ!」
「おう、さんきゅーリトゥーノ」
久しぶりの不意打ちにぼーっとなっていたところを、腰の位置からの元気な声で一気に現実に引き戻される。カプリースとそういう関係になった今でも、不意打ちの笑顔には、まだ対処できないことがあった。
「相変わらずちっさいなあ、お前」
「んだよ、それ」
呆れたような声の出所には、小人族のリトゥーノが立っていた。頭の先が長身とはいえない俺のへその上ぐらいという高さしかなく、付け合わせのポテトサラダがなみなみ入ったボウルを、腕全体で抱えるように持っている。
厨房スタッフの中で最古参のメンバーの一人であるリトゥーノは俺のサブとして、主に付け合せの調理を担当してくれている。
前の世界の労基が見れば、児童労働で一発で指導が入るほどの見てくれだが、実は店内のスタッフで一番年をくっている。
耳族と同じく長命な種族にあってなお、飛び抜けて若さを保つ存在であると自称するところのこの副料理長は、なるほどその年齢が3桁を超えている思えないほど、若くというより幼く見える。
「それより味を見てくれよ、今日のマヨネーズはすげー自信あるんだよ!」
その喜ぶ姿がまるで近所の小学生のようでなんとも和む。
「どうかな……うん、いいな!」
ポテトサラダは実際にいい出来だった。しっかりと効いた胡椒に新鮮な卵を使ったしつこすぎないマヨネーズの味とわざと大きめに切ったベーコンの塩気が程よい調和を見せている。表情を輝かせ自慢げな笑みを浮かべるリトゥーノの頭を撫で回したくなる。
「けいい……」
まじか……
どうも面倒な場所のスイッチが入ったらしいカプリースが、背後霊のように忍び寄り、後ろから服の裾をつかんでくる。
「……あー、リトゥーノ、この店で僕たちがこうして愉快に働くことができるのもカプリースの尽力あってこそだ、そうだよな?」
「あ?……ああ!そうだな、その通りだ!こいつがいなけりゃ、こんないい店はできなかった」
……さすが年かさだな、まぁ、こいつの顔を見りゃわかるか。
何かを期待するような表情から、今は満たされたような満足げな表情を浮かべるカプリースを視界の端に入れながら、リトゥーノに小さく目配せして礼を伝える。苦笑いを浮かべたリトゥーノが一度小さく頷いてからポテトサラダにラップをかけ、冷蔵庫にしまっていた。
「っし、準備はOKかな?」
そういってキッチンからホールを見渡す。昼営業用の机と椅子に入れ替えられたホールでは、開店の準備を終えた従業員たちがカウンターやテーブルに寄りかかってわいわいと話していた。
「……見てくる」
なぜか鼻息を荒くしたカプリースがふんすふんすと厨房を出て行った。ホールスタッフの注目浴びる中、各テーブルを回ったカプリースが、そのまましょんぼりと肩を落として戻ってくる。
「問題なかった……」
「ああ、そっか」
そういえばテーブルの並べかたや掃除のしかた、調味料の置き方なんかを指導するのはカプリースの役割だった。自らの威厳を示すためカプリースは立ち上がり、そのままぐるっと戻ってきた。
せめてもの慰めとして、その頭をぽんとなでてやる。
「みんな聞いてくれ!今日の日替わりは生姜焼きだ、今日は天気も良くて、暑いから、みんなしっかりしたもんが食べたくなって、客足は増えると思う」
開店前の簡単なミーティングの時間は従業員の調子を探る貴重な機会だ。
寡婦や戦災孤児、そういう少しわけありの背景を持つ従業員も含めて、皆、リラックスした明るい表情を浮かべていた。
「それとカプリースがみんなの開店準備は完璧で、店主として誇らしいと言っていた!みんなすばらしい仕事をありがとう」
右斜め前に立つカプリースの肩がぴくんと跳ね上がると同時に、ホールスタッフの間から「わぁ」という歓声が上がった。これまで不遇な時期を過ごし、褒められなれていない従業員たちが本当に嬉しそうに頬を染め「やったね」などと言い合っている。
背中からでもわかるぐらい真剣にその光景を見つめていたカプリースが、勢いよく、ぐるんと振り返った。
「……ありがとう、そういうとこ、好き」
従業員達と同じように頬を染め、目に少し涙を浮かべたカプリースの顔は、いつもと同じように綺麗で、誇らしげだった。
「けっ……」
厨房の低い位置から、心底、馬鹿にしたような声が聞こえたが、努めて聞こえないふりをする。
「……まぁ、とにかく今日もがんばっていこう!皆からはなにかあるかい?」
そういってホールを見渡すと、固まってひそひそと話していた一団の中からおずおずと手があがった。
「あ、あの、最近は女性のお客さんも増えてきたと思うんです、なんで、そういうお客さんが食べやすい料理を出すのはどうでしょうか?」
「女性向けのメニューか、確かにそれはうちの店に欠けていたものだと思う、ありがとうローズ!今日のまかないは期待して欲しい!」
その言葉を聴いて、おどおどとしていた鳥人のローズがぱっと顔を輝かせた。鳥人の特徴である側頭部から生えた小さな羽が彼女の内面を示すかのようにパタパタと動くのが可愛らしい。
ああ……癒される。
夜営業の従業員達とは違い、昼営業の従業員達は種族も年齢もバラバラで、バラエティに富んでいる。その中で鳥人のローズは、見てくれも動作もいかにも小動物といった様子で、庇護欲をそそられる。
「はいはいはい!衛兵のおっちゃんたちは、もちょっと腹持ちするようなメニューを増やして欲しいっつってたよ!」
ホールの入り口のほうから、人を掻き分けるようにしてどたどた現れたのは犬人のマリーだ。少しだけソバージュがかかった髪の間から垂れた耳、長めのスカートの中でふぁさふぁさと揺れる尻尾、ローズとは別の趣があるかわいさで、ぐりぐりと頭を乱暴に撫でてやりたくなってくる。
「確かにそれも重要な視点だ、でも残念、こういうのは最初の一人が一番偉いんだ」
皆が黙り込んでいるような場面でも、誰かが意見を出せば、それに追従するように周囲が意見を出し始める。ネットなんかを使った大規模なマーケティングが望めない以上、彼女達の目はうちの店にとってこの上なく重要な道具になる。
「まぁ、でもそう言っちゃうと、早く言えばなんでもOKになるから、明日からは一番良い意見を出した人にサービスすることにしよう」
「「「えー!」」」
明日、朝一番の回答を狙っていた従業員たちから恨みがましい声が上がる。
「だからみんな、今よりもっと、お客さんの様子に注意しながら仕事をしてほしい、そしたらたぶんこの店に足りないものが見えてくるよ」
従業員たちはみな一様に真剣な表情で考えている。皆、ここに来る前は給仕なんてしたことがなかったのだから、すぐに思いつかないのも当然だ。
昼営業が始まってから約半年、慣れてきた従業員も増えたとはいえ、まだまだ、サービスも行き届かないところも多い。俺だって、前の世界で似たような経験はあるにしろ、こういう大衆食堂のような場所で働くのは初めての経験だ。
「みんなで意見を出して、みんなでこの店をいい店にしていこう」
皆がこちらを向き、明るい表情を浮かべて、頷きあっている。隣で人一倍深く何度も頷いているカプリースの肩を抱き、もう一度語りかける。
「この店はカプリースの店だ、でも我々の店でもある」
一応、カプリースのほうを窺うが、カプリースはさっきと同じように、むしろより深く、何度も頷いていた。
ほんと、人がいいというか、純粋というか……
カプリースが、別に従業員たちを盛り立てるためにそうしているわけではないことを、この場所にいる全員が知っている。カプリースがそんな腹芸ができるほど器用な人間じゃないことを、誰もが知っているからだ。
思わず透き通った金髪にそっと手を置き、わしゃわしゃと頭をなでる。カプリースは振り返り、きょとんとした表情を浮かべた後、ほわっとした笑みを浮かべた。
反則級の可愛さに、手に入る力が強くなってしまい、気づけば、ぐしゃぐしゃになっていた。
少しジト目になったカプリースから目をそらし、従業員たちのほうを見ると、厨房の従業員たちも、ホールの従業員たちも、カプリースの方を向いて、ほんわかとした笑みを浮かべていた。
保護者かな……?
我は強いくせに、おおらかできっぷがいい。
経営者としては心配になるが、人間として信頼の置けるタイプ。リョウネンとはまた別の形で人に慕われ、周りに人を集められる。
「よし、今日はそれぐらいかな?じゃあ店を空けようか」
***
店を開けるのは、割と早く、体感としては前の世界の朝9時から10時くらい。
夜勤明けの衛兵や、徹夜続きの学者、深酒して遅くから作業を始める鍛治師連中なんかの要望もあって、店はいつも、準備が整い次第、開けている。
「ビール」
「俺も、後、枝豆と唐揚げね」
「コーヒーくらさい……泥みたいなやつ」
「モーニング、卵はハーフボイルドで」
「「「はーい」」」
各テーブルに散っていた従業員達がばらばらの注文を取って帰ってくる。
長い一日がようやく終わる者と、新しい一日が始まる者。その両者が重なり合うこの時間帯は実は一日で最も多彩な注文が入る時間帯だ。
「リトゥーノ、モーニングのほうは頼むよ」
そう言ってから、今朝仕込んで冷蔵庫に入れておいた唐揚げ用のモモ肉をとりだす。朝一で油物を調理するのはつらいものもあるが、この店に多くの客を呼ぶには仕方のないことだ。
オイルパンに油を補充して、ガスコンロのつまみをひねる。調理台の上に3台並べられたプロパン式のガスコンロは、前の世界から運びこんだものだ。温度管理が重要なフライ系の料理を作る場合は、やっぱり、こういうものに頼らざるを得ない。
そろそろガスが不安だな。
前に、小型のボンベに入ったプロパンガスを取り寄せてから、今日でちょうど1週間が経っている。
勿論、19世紀の西部開拓時代といった程度の文明度であるこの世界には、ガスボンベもガスコンロなんてものも存在しないはずのものだ。
俺たちがこの店で、そんなものを使えているというのも、ひとえにこの店の冷蔵庫のおかげだった。冷蔵庫万歳。
あの冷蔵庫で手紙を見つけてから、その仕組みについてあれこれと考えていた。冷蔵庫は間違いなく動作している。それは、すくなくともどこかからかは、あの冷蔵庫に電源が供給されているということだ。
勿論、この世界の科学技術で、冷蔵庫に安定した電源を提供できるわけはない。だから、冷蔵庫の電源は、あり得ない物か、あり得ない場所のどちらかから供給されている。
望ましいことじゃないのはわかっているが、この店は、冷蔵庫に多くの部分を依存している。
そしてそれは、俺とカプリースも同じだった。