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異世界でキャバレーを  作者: ニトベ
1/7

1.カーテンをしていない窓から、透明な朝の光がまぶたをさす

現在編 1

 カーテンをしていない窓から、透明な朝の光がまぶたをさす。そのまま、抵抗せずに目を開けて、ゆっくりと体を起こした。

 窓から見える大通りに、まだ人通りは少ない。窓を音が鳴らないよう、静かに押し開くと、この季節特有の涼しく乾いた風と共に、町外れの馬房から馬がいななく音がうっすらと聞こえてくる。

 なんとも健康的な生活だ。昼とも夜とも知らず、モニターに向かい合い、背筋を丸めていたころの生活に比べれば。


 しばらく風を楽しみ、何を見るともなく大通りを眺めていると、隣でもぞもぞと動く気配がした。さしこむ光を避けるように布団をかぶろうとするのを苦笑して手でとどめる。


「おきなよ、カプリース」


 白みがかった長い金髪を手にとって、それで彼女の鼻の下をくすぐってみる。カプリースは目を開かず、むしろぎゅっと閉じた後、むずがるようにしてから両手を差し出してきた。

 ため息をついてから、差し伸べられた両手の間に体をいれ、覆いかぶさるようにして顔を近づける。相変わらず目を閉じたままのカプリースの表情は、お?と意外そうな形を作った後、にへらとだらしなく崩壊した。


「カプリース……」


 そのまま白く透き通った産毛が見える位置にまで近づいて名前を呼ぶ。カプリースのにやけた表情が、いっそうゆるむ。


「……あ、鼻毛」


 カプリースの幸せそうな表情が一瞬で静止し、閉じられた目がカッと見開かれた。


「おきろ、朝だよ」


 そのまま体を起こし、カプリースの鼻を少しつまんでみる。


「……最悪」


 さっきまでの多幸感が1ミリも残さず吹き飛んだような憮然とした表情で、カプリースは天井を見つめていた。


 あ……泣きそう。

 固く結ばれた口元がフルフルと動き、まなじりに光るものが浮かび始めるのを見て、あわててベッドからおりる。


「先、降りてるよ」



***



 部屋を出て、なるべく音がしないように扉を閉め、廊下突き当りの階段を下りる。まだ寝ている従業員を起こしてしまうと、後でまかないの要求が高くなってくる。この街ではまだ珍しい、3階建ての木造建築である『宿舎』では、現在、30人弱の住人が暮らしている。

 3階の奥の部屋から、廊下を渡り、慎重に階段を降りて食堂の奥の裏口に向かう。


 裏口を出れば、まず一番に、透き通った青い空が目に入った。空を仰いだまま深呼吸すれば、少し冷たい空気が、鼻の粘膜を刺激し、肺に落ちてくる。

 きれいで新鮮な空気とほんの少しの煙草のにおい。


「よお」

 

 裏口の木でできた階段の端には今日もリョウネンが座っていた。こちらの背を向けたリョウネンの短い赤毛の裏側から紫煙が空に昇っていく。

 

「よお、リョウネン、夜はどうだった?」

 

 言いながら階段を降り、彼女の隣に座る。


「……最悪だ」


 どこかで聞いたようなセリフに苦笑し、彼女が差し出した煙草を受け取った。煙草を咥え、そのままリョウネンに顔を近づけて、彼女の煙草の火をもらう。


「あいつら日が出なきゃ永遠に呑み続けるぞ……どうなってんだ」

「金はきっちり払う、ちゃんとしたもんさえ出しとけば妙な絡みかたもしてこない、最高の客じゃないか」


 地道な営業活動の結果、鍛冶師の親方連中は仕事の立て込む時期を除いてほぼ毎晩のように店に来るようになっていた。いまだに、暴力が有効な交渉手段として見做されるこの世界で、水準を満たすものさえ出せば、ごねもせず後腐れなく金を払う客は貴重な存在だ。


「ああ?……わかってるけどよ」


 リョウネンは面倒くさそうにつぶやき、再び煙草をくゆらせはじめた。こんなことはリョウネンにとってもいわずもがななことだろう。だからこそ、リョウネンに夜の営業を任せているわけだ。

 

 リョウネン・ノヴァ。狼の獣人。

 獣人はみな、元になる動物の種族特性をいくらか受け継いでいる。夜に強く、荒事にも通じたリョウネンに、商売の基礎を叩き込み、先月から店を任せた。

 まだ19になったばかりだというのに、動じない胆力と、物事を俯瞰から見る力を持っている。

 とはいえ、純粋な人族からすれば比較にならないほどの体力を持つ彼女でも、ひっきりなしに続く来客に対応し、席の割り振りや従業員のフォローを行うのは、精神も体力も消耗するだろう。


「まぁ、ゆっくりやすみな、愛してるよリョウネン」


 そう言って、リョウネンの頭上に突き出た耳ごと頭をポンポンと叩いてから、立ち上がる。


「……ちっ、うるせーよ」


 舌打ちをし、こちらを睨め付けるようにして立ち上がるリョウネンだが、スカートから突き出た尻尾だけは、別の生き物のように左手に絡みついてくる。あまりの可愛らしさに笑いそうになるが、笑うと本気で怒り出すので、必死に笑顔をかみ殺す。


「お疲れ、リョウネン」


 そういって、頬をなでるとリョウネンは頬を染めながら小さな声で「おう」と応えた。



***

 


 リョウネンが宿舎に戻るのを見届けてから、改めて階段を降り、裏口から10メートルほどの距離に建てられた鶏舎へと向かう。鶏舎の奥には広葉樹の木々が広がり、さらにその置くが丘になっている。


「さて、今日はと……」


 通気性を高めた物置のような小屋の扉を押し開けると、濃い動物の匂いが鼻をつくが、もう随分と慣れてしまった。卵を回収し終われば、餌箱に餌を補充してやる。この鶏舎から卵を回収するのが僕の朝の仕事ひとつだった。

 20羽の鶏に卵17個。悪くない結果に自然と笑みが浮かぶ。良い出来事で始まる一日は、たいてい良いことが続くものだ。回収した卵を手提げの麻袋に入れ、気分よく小屋を出る。

 新鮮な卵の味の濃さと旨みの強さは、この世界に来て初めて知ったもののひとつだ。これを使って何を作るか考えただけで、自然と笑みが浮かんでくる。


 ……チーズオムレツだな、バターを山ほど使ったやつ。

 以前出して好評を博したメニューを思い浮かべながら宿舎の脇を通る。朝食の前に夜営業を終えた店の様子を確認するのも、重要な仕事のひとつだった。店は宿舎の正面玄関から20メートルほど先で、この街の目抜き通りに面して建てられている。



***



「みんなおはよう!」


 前の世界では出したこともないような大声で、店中に届くように挨拶をする。

 店内に散らばり、木張りの床や店内に設置されたテーブルやソファを磨く10人ほどの女達がいっせいに顔を上げた。なるべく明るい表情を浮かべながら、従業員たちの表情をすばやく、満遍なく窺っていく。

 皆、少なからず疲れてはいるが、暗い表情を浮かべる人間はいない。ひとまず、ほっとして、店の奥へと進む。


「今日も疲れたー、でも結構注文はいったよ!」


 入り口近くでテーブルを拭いていた栗色の髪の女が、屈託のない笑顔でしなだれかかるように首に手を回してきた。


「ありがとノーラ!給料期待して!あと布巾が冷たい」


 そう応え、体に手を回し、腰の辺りをぽんぽんと叩いてから体をはがす。ノーラはアハハと機嫌よく笑った後、テーブルに戻る。


「「「おはよう、ウタカ!」」」


 ソファの間を抜けてそのまま奥に進むと、店のあちこちから明るい声がかかる。それぞれに声を返し、店の奥のカウンター席に座る。


「調子はどうだい、グレン?」


 店内の様子を眺めながら、カウンター内でグラスを磨く、スキンヘッドの大男に声をかける。


「悪くないですよ、客層が偏ってるのが少し気にはなりますが……道理のわからん客も減りましたしね」

「そうか」


 グレンはグラス磨きを続けたまま、落ち着いた声で答える。中年ながら筋骨粒々、落ち着きと威圧感を併せ持つグレンは、この店で用心棒兼、バーテンを務めている。リョウネンがこの店の女たちの長なら、グレンはこの店を守る男たち、黒服たちの長だ。荒事に慣れ、そういった輩の心理にも明るい彼は、この店のあり方、楽しみ方をこの街の住人に浸透させることに、大いに貢献してくれた。


「悪いけど、頼むよ、この店がもっと大きくなりゃ、もう誰もこの店のルールを無視できなくなる」


 最大級の感謝と信頼をこめて、グレンに告げる。グレンは、しばらく何も答えず、グラスを磨く手を止め、店で働く女たちを眺めていた。


「いい店だ……女たちの顔を見ろよ」


 周りで働く人間たちには聞こえないほどの小さな声で、グレンは言う。客や従業員たちに上下関係を意識付けるため、第三者がいる場所ではけして聞かせてくれることのない砕けた口調が、グレンもまた自分を信頼してくれていることを感じさせてくれる。


 店内では、持ち場の掃除を終えた女たちが、笑みを浮かべ、リラックスした様子で昨夜の売り上げや、新しく拵えた衣装について話していた。空気を入れ替えるために開かれた窓から、早朝の心地良い風が吹き込んでくる。


「お疲れ様!朝ごはんにしよう!」


 最後の一人まで掃除が終わったことを確認して、声を張って呼びかけた。


「「おっつかれさまー」」


 従業員のうち、クロエやミュゼットといった若い世代がそれぞれ伸びやあくびをしながら応じてくる。女たちが和気藹々とした雰囲気で店を出て、宿舎のほうに帰り始める。

 グレンがいつの間にかまとめておいてくれた売上金を預かり、女たちの後を追った。


「じゃあ、後でねナルコ」


 早めに来て掃除を手伝っていた鳥の獣人ナルコに声をかける。種族柄、夜に弱いナルコには早朝の仕込みと、昼のピークが過ぎるまでのホールチーフを任せている。ナルコは柔らかな笑みを浮かべて「ええ」と答えた。


「グレンもまた夜に」


 グラスを全て片付け終え、部下たちのために簡単な軽食を作り始めているグレンは視線を軽く上げてそれに応えた。

 店の出口に歩き始めると、女たちを見送った黒服たちが店に入ってくる。カウンターでグレンが作った簡単な朝食を食べてから、夜営業の時間帯よりは少ない交代要員を残して帰るのが、彼らの勤務スタイルだ。


「お疲れさんです!」

「うす」

「お疲れ様、また頼むよ」


 彼らなりの敬意の示し方に笑顔で応じながら店を出る。少し高くなった太陽が、今日もいい稼ぎができそうだと告げていた。


 はやくもどんなきゃな。

 店で確認したいことはまだまだあるが、あまり遅れると、一晩働いて、腹をすかした従業員たちが、暴れだしかねない。

 手提げに入れた卵をもう一度確認した。今日も楽しくも長い一日が始まろうとしている。

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