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かくれんぼう/cache-cache

作者: 坂里 詩規

 暮れなずむ空 傾げる夕日に照らされ 

 薄紅色に染まる 子供の華奢な背中。 

 その子の前には 人影ひとつ見当たらず

 美しい太陽と 物静かに流れる 

 夕空の空気だけ。


 限りなく 空高く聳え立つ 傘のように  

 枝葉を大きく広げた幹の ごつごつした肌を

 組み合わせた腕に感じ 何も知らずに 目を閉じ 

 数を数える 一人の純真な子供。


「もういいかい?」 


 大きな声を 張り上げて 嬉々として呼びかける

 物陰に隠れる友達に向かって 大樹に顔を伏せたまま

 次に返ってくる言葉を期待して 胸を高鳴らせつつ。


「まあだだよ」


 至る所から 一斉に響き渡る 子供たちの

 陽気に弾んだ無数の声。 忍び笑いを漏らし

 その子に返す いつもの遊戯の言葉は

 ひた隠している 卑劣で罪深い裏切りを。


「まあだだよ」 


 ぽつりぽつりと 獲物を狙う子鹿のように

 物陰から 小さな顔を突き出す 不敵な笑みを 

 浮かべた子供たち 眼差しの合図を交わして。 

 それは 無数の声が 束となって結ばれた 

 集団的暴力の 冷たい刃の言葉だった。


「まあだだよ」 


 足音も立てず 遠退いていく 幼げな声たちは 

 火のない煙のように 薄れるその声の面影だけを 

 残したまま 「もういいよ」の言葉を 

 期待して待っている 母の顔を知らないその子を 

 何喰わぬ顔で 見捨てて。


 辺りは 一瞬にして 静まり返った。そして

 凍りついた 夕空の空気が それまで流れていたはずの。

 認めたくなかった なんとなく感じていた 現実を。

 だからこそ 一縷の望みを託した 不安に苛まれて

 顔を埋めた子は しばらく黙って 待った 呼び声を。

 鼻を啜る小さな音 頬を汚すのは 

 唇を噛みしめ 声を押し殺して流す 苦悶の涙。 


 それでも 諦め切れず 信じたくなくて 信用したかった

 だから その子は 灯火のように消え入りそうな

 淡い期待を 小さな胸に抱いて 待ち続けた。

 呼び声を待てずに つい振り返ってしまう 臆病さと

 あざ笑いの渦に 呑み込まれる 恥じらいを恐れて。


 耳に届くのは 頭上で擦れ合う 葉音だけ。

 置いてけぼり その言葉が 忽然と 頭を過った瞬間

 身体が強張った 身動きひとつ取れずに ただ

 小刻みに 肩を震わせるだけの その子は でも

 たくさんの涙で 息が詰まる声を 

 精一杯 ふり絞って 

 最後に もう一度だけ 

 震える声で 叫ぶ 


「もういいかい?」



 しばらくの間 きつく目を閉じて 待った。

 恐らく いつもより余分に長く。


 沈む夕日に染まった空は いつの間にか 暗がり。

 遠くにかすむ星が あちこちに散らばり 現れる。


 少年には 分かっていた こうなることは。

 それでも 言いたかった 言わずにはいられなかった

 届くはずのない 始まりの言葉を。


 だって、僕は鬼だから。


 返事のない静けさを 誰もいない気配を 孤独の現実を

 小さな背中で いっぱいに受けとめ 大粒の涙を流し 

 喚くように 泣きじゃくる 寂しく立ち竦む子供。


 子供にとって 耐えきれない重さだった

 沈黙という長い時間が。

 そして 苦しかった。

 それに 分からなかった

 どうやって この苦しみから抜け出せばよいか。


 怖いのは 孤独であることではなく 見捨てられたこと。


 立ち去った子供たちの 毒気のない 柔らかい心を 

 知らぬ間に 黒く染め上げた 狡猾な知識は 

 我が物顔で 闊歩する 口ずさみながら

 今度は どの子の心を 挫けさせようかと。


 はじめから決まっていた 誰でもないこの子を 

 鬼にすることは。 

 鬼は 子供たちから 恐れられている 拳をかざす強者

 ではなくて

 子供たちが 得手勝手に弄ぶ だらりと 垂れ下がった

 痩せ細った 操り人形。


 見境なく 隣人の不幸を 蜜のように 

 味わい酔いしれる 分別のない親たち。

 彼らの吐き出す べとついた 下劣な言葉を

 盗み聞きした 驚きに目の色を変えた 子供たちは

 無邪気に口走る 同じ言葉を 考える力もないままに。

 遊び心と悪意の境目も 善と悪の区別も 見失った

 言葉の身振り 時にそれは 知性の欠片も 感受性もない

 自動人形の 残酷な身振りである。


 幼さと無知は 手軽に手に入る 危険な毒である。


 その子の心を 当たり前のように 傷つける子供たち

 大人の前で見せる 無邪気な笑顔と あどけない声音

 その奥に潜んでいるものは すべてのものに対する

 嘲りである。 


 弱々しい声を 張り上げて 一人 寂しそうに立つ 

 貧相な後ろ姿を 思い返しながら ラッパのごとく

 げらげらと せせら笑う 子供たちの不協和音。

 彼らの姿は 残忍な影を 後に引き連れて

 夕日に染まる 雑踏の中に消えてゆく。 


 一体 何色だったのだろう そんな子供たちの

 目に映る 公園の空に沈んだ 太陽の色は?


 数え切れないくらい 涙で汚した枕に 顔を埋めるように 

 ざらついた幹に 顔を押しあてて また その木肌を

 涙で濡らし 会ったことのない 母親の 不在の香りを 

 求めるように 幹の匂いを嗅ぐ 一人ぼっちの子供。


 幹の香りは 内側から ともて優しく 子供を

 動揺させる まるで母親が 戻ってきたように。

 単なる幻覚でも 子供は 母親を抱きしめて

 見慣れた 母親のスカートの 襞を握りしめて 

 もう離さない ひだまりの現実を 見ている。


 子供と母親だけの 誰にも犯されない ひだまりの世界。

 頭上から差し込む 木漏れ日 美しく騒ぐ 葉擦れの音

 それは まるで積年の煤に汚れた 教会のステンドグラスを

 幻想的に輝かせる 太陽の光線と 教会全体を壮大に響かせる 

 パイプオルガンの旋律の 光りと音の調和の世界。


 光りの靄に 包まれて現れる いつも変わらぬ その姿は

 潤んだ瞳で見る 子供にとって 神では けっしてなく 

 取り替えのきかない 大切な 彼の母親だった。 

 黒ずんだ葉叢を 見上げる子供は 小さな両腕を 

 大きく広げて 大樹を抱きしめる しっかりと 離さないように。 

 枝葉を透かして その奥に輝く星が 無償の愛の微笑みを

 投げかけ 子供の名を 甘美に呼ぶ その声を

 聞き逃さないように 子供は じっと母の瞳を 見つめる。


 写真の中の 若い母親は 大事に抱えている

「ママ」という言葉も まだ知らず そして

 口にしたこともない つぶらな瞳の 赤子を。


 ひだまりの世界の幕は 閉じ 冷たい現実が 戻って来た。

 透かして見える 鬱蒼とした 枝葉の隙間に 

 ひっそりと佇む星に 彼に 一つの言葉も残さず

 子供の視界から 忽然と消え去った 母親の

 子供を見下ろす 薄らいでゆく眼差を 無我夢中で

 何度も重ね合わせ 今夜もまた 投げかける

 何度も繰り返される 切実な問いを 

 記憶にない 母の愛に焦がれる 汚れのない声で。


「どうして僕も一緒に連れて行ってくれなかったの?」


 押し黙ったままの星は ただいつもと変わらぬ輝きを 見せるだけ 

 大樹の陰に佇む 一人寂しく寄辺のない子供から 決して離れずに。 


 そして 今夜も聞こえてくる 夜の静けさの中 震える唇から 

 何度も零れ落ちる 力のないか細い言葉の滴が。

 

「お母さん、ねえ、お母さん 聞いてるの?」


 枯れ尽きることのない この幼気な声は

 一体、何処に届いているのだろうか。

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