資料 神話武器
デュランダル
またはドゥリンダナ(イタリア語読み)とも。フランスのシャルルマーニュ伝説、また「ロランの歌」にでてくる武器。 (フランスだけでなく、イタリア、スペインなどでも人気のある英雄叙事詩)
シャルルマーニュの12勇士の一人、ロラン(オルランド)の持つ名剣。
驚くことに、剣の由来はヘレネス(ギリシャ)のイーリアスに謳われたトロイの戦いまで溯り、英雄ヘクトルの使っていた剣だという。
後にペンテレジアという王妃のものになり、子孫に受け継がれ、アルモントという騎士が持っていたのを、ロランが倒して手に入れた。
名匠の鍛えた業物であり、強靭かつ鋭い切れ味で、どんな防具もひとたまりもないという。
また「ロランの歌」では、この剣はシャルルがモリアーヌ渓谷で神のつかわした天使より授かったものだという。
黄金の柄の中には聖遺物(サン・ピエールの歯、サン・パジールの血、パリ最初の司教サン・ドニの髪、サント・マリアの衣の布端など)が収められている。 ロランは死にゆく時、敵の手に剣を渡すまいと、縞大理石の岩に数度切りつけて刃を折ろうとするが白く輝く鋼の刃を折ることはできなかった。
デュランダルの柄に収められている聖遺物一覧
「聖バジルの血」サン・パジールの血
「聖ペテロの歯」サン・ピエールの歯
「聖ドゥニの毛髪」サン・ドニの髪
「聖母マリアの衣」サント・マリアの衣の布端
フラガラッハ Fragarach
ケルト神話の光の神ルーの持つ魔剣。アンサラーanswererという英訳名もみられる。 名前は「報復するもの、返答するもの」の意。
この剣の刃を見た敵は力失せ、誘われるように切り伏せられてしまうという。 また、どんな固い鉄でも貫く。
ウルリクムミ Ullikummi >>関連項目一覧
この神、巨人について書かれた「ウルリクムミの歌」は、たまたまハットゥサから出土したハッティの粘土板から知られたが、フルリ人、古代アナトリアの神話からハッティの神話に加えられたという。
名前の意味は嵐の神テシュプの居住地「クムミアの破壊者」かもしれないということで、はっきりしない。体は閃緑岩の石でできている。
エア神はエンリルに相談し、事態に全く関心のないウペルリのところへ行った。ウペルリは「天と地が私の上におかれたときも、気が付かなかった。彼らがきて青銅の鋸で天と地を切り裂いた時も私は気づかなかった。今は何かが私の右肩に苦痛を与えているが、この神が誰であるのかはわからない」と言った。ウペルリの右肩にはウルリクムミの足があった。
エアはウペルリの言ったことをよく考え、宇宙を切断した、または天と地を切り分けた青銅の鋸のことを思い出し、古い倉庫においてあった、あるいは地中にあったこの品物でウルリクムミの脚を切断した。
この「青銅の鋸」については、日本語で剣という訳をあてている文献もある。また英文でknifeの語があてられているものも見るが、原語が何か、わからない。
シチシトウ 七支刀 しちしとう
>>関連項目一覧
七枝刀、ななつさやのたち、とも。日本の実在する刀剣、または神話伝承 に由来する刀剣。神剣。
奈良県天理市布留の石上神宮伝世の鉄剣。伝世呪刀。
全長74.9cm、刀身約65cmの鍛鉄の刀。左右に3本ずつの枝刃を交互に出す。
石上神宮では長く伝世し、神事でも「七支刀」は神聖視されて、 「六刀」「六鉾」ともよばれていた。目釘穴がなく、 茎の部分が短い。
刀身の表と裏の金象眼の銘文61字には「4c世紀後半に百済で作られた」とある。
「泰(和)四年(369)五月十(六)日丙午正陽」と始まる銘文に「七支刀」とあり、 「百済王世子」が「倭王」にもたらした呪刀であると判読される。
七枝刀、ななつさやのたち、の名は「日本書紀」の神功皇后52年9月の条に 「久等、 千熊長彦に従ひて詣り、則ち七枝刀一口、 七子鏡一面及び種々の重宝を献る」という記載があり、 この七枝刀にあたるとされている。
また象嵌の文とあわせ、百済王から献上または下賜されたか、説があるが百済王世子が 作刀の主体で、 この頃(369)年の百済は勢力が高まり、371年には平壌に侵入して、 高句麗の故国原王が戦死している状況だった。
クラウ・ソラス Claimh Solais
>>関連項目一覧
ケルトの神話伝承、ヌァダ神の持つ魔剣。光の剣、炎の剣。
剣を抜けば、光を放って敵を眩惑するという。 また、その一撃は決してはずれないので「不敗の剣」ともいわれる。
オオデンタミツヨ 大典太光世 おおでんたみつよ
>>関連項目一覧
日本の名刀(国宝)、太刀 銘 光世作(名物大典太)。天下五名刀、天下五剣のうちのひとつ。大伝多など幾つか漢字の違う記録もある。 読みも、おおてんた、だいでんた、とも。長さ66.1糎(cm)。反りが深く堂々たる体配で大典太といわれる名物。
平安時代後期1070年頃の筑後の刀工、三池典太光世の作。 この刀は足利将軍家の重代で、のちに秀吉にわたり、前田利家に与えられ今日にいたる。
伝え聞くところでは、
「三体の遺体重ねぎりし、一番下の背骨まで刃が達した」
「娘に守り刀として持たせたら病気が治った」
「しまって置いた蔵にとまった鳥がバタバタと死んだ」
などの怪奇譚がある。