自分に必要なもの
執筆者:影峰柚李
彩りが減り、世界を緑が覆い始めた。
爽やかな風が道を駆け抜けていく。
空の青さが絶妙なハーモニーを奏でながら
鮮やかな春を歓迎していた。
日を浴びるのには丁度いいお昼時。
和風な家の縁側で女の子がかしわもちを食べていた。
その隣では和服を着た男がそれを眺めている。
「美味しいかい?」
「うん」
「それは良かった」
女の子は柏の葉っぱをペロッと舐めると、渋い顔をした。
「ううん・・・、しょっぱい」
「葉っぱは食べないんだよ」
「じゃあ何でついてるの?」
男はお皿に乗っているかしわもちを手に取り女の子に差し出した。
首を傾げながらも女の子はそれを受け取る。
「どう思った?」
「え?」
じゃあ、と言って男はかしわの葉っぱを外して女の子に渡した。
空いている手でそれを受け取ると女の子は少し怪訝な顔をする。
「くっついちゃう」
「ふふ、そうだろう? これは先人の知恵なのさ。
お皿の代わりとでも言っておこうか」
「へえー」
指に付いた餅を食べながら女の子は男に問いかける。
「でも、今はお箸もお皿もあるよ。葉っぱはいらないかも」
「はは、邪魔かい?」
「うん」
「世の中、そんなものさ」
女の子はふうん、と素っ気のない返事をしてかしわもちをもう一つ頬張る。
男はほとんど食べていないのだがお皿は空になってしまった。
彼女のために用意したものだからか、その光景は微笑ましいものだ。
「他に、何があると思う? 世の中でいらないと思うもの」
「うーん、勉強?」
「ははは、本当にそう思うかい」
「だって、どうせ将来使わないもん。私画家になるの」
そうかそうか、と男は女の子の頭を撫でる。
でもね、と男は続けた。
「世の中に、要らないものなんてないんじゃないかな」
「そうなの?」
「たとえ要らないと思うものでも、存在しているということはきっと
誰かに必要とされているということだと思うよ。
君が今ここにいるのも誰かが必要としているからなのさ」
「でも、ゴミとかは誰も必要としてないよね?」
かしわの葉っぱを眺めながら女の子は問いかけた。
男は相変わらず柔らかい笑みを浮かべている。
「本当にそうかな? この世界にいるのは人だけじゃない。
虫がいたり、動物がいたり、この世界には命が溢れているのさ」
「へえ」
「勉強すればもっといろんなことが分かるよ」
男の言葉に少女は頬を膨らませた。
「それとこれとは関係ないよ」
「あれ? そうかな」
ふふ、と笑うと「じゃあ話を変えよう」と言って話し出した。
「今君が学んでいることは昔からこの世界に伝わってきたものだ。
これを怠れば今までの世界が無意味になってしまうだろう」
「・・・?」
「難しいかい?」
女の子はこくりと頷く。
「なら、もっと勉強しなければね」
「うう・・・」
「避けては通れない道なのさ」
男は着物の裾を持ち上げてゆっくりと立ち上がると空を見上げた。
話し始めた頃よりだいぶ日が傾いている。
「そろそろ、いい時間だ。最後に一つ言っておこうか」
女の子も立ち上がり男の横に並ぶ。
「さっき、世の中に要らないものはないと言ったね?
でも、自分に必要かどうかは自分で決めなくてはいけないよ。
世の中にはもので溢れているからね」
「行っちゃうの?」
「君とのお話、楽しかったよ」
男は小さく手を振ると門の向こうへと消えていった。
最後まで、その後ろ姿を眺めた後
少女は家の中へと入っていった。
今でもたまに思い出す。
名前も知らない男に聞いたあの話を。
今ならこのかしわもちの葉っぱも愛おしく感じる。
人はたくさん失うことで必要なもの、不必要なものを学んでいくのだと
彼はあの時そう言いたかったのかもしれない。
「今、私に必要なものはなんだろう」
突風で飛んでしまった葉っぱを眺めながら、そう呟いた。