感謝の気持ち
学校で全校生徒に配られたチョコレートは、一袋に3粒のトリュフが入った小さいものだ。それでも全校生徒分となれば結構な値段がするだろう。正直配る意味が感じられない。朝ポケットに突っ込んだまま忘れていたチョコを見て、くるはフン、と鼻を鳴らした。
だいたい、バレンタインデーはいつから『日頃の感謝をこめてチョコを渡す日』になったのか。
「……」
もう一度、チョコの袋を見る。赤いリボンでラッピングされていて、いかにもバレンタインデーらしい可愛いデザインだ。もう一度フン、と鼻を鳴らしたくるは、自宅のドアを乱暴にあけ、乱暴に閉めた。
◇
その日も翻訳の仕事に精を出していた斉賀実は、玄関から聞こえるインターホンの音にふと顔をあげた。
「はいはーい」
返事をしてから立ち上がり、玄関のほうへ歩いて行く。扉を開けると、心なしか少し顔の赤い葛城くるが立っていた。実がニコリと笑って少年の頭を撫でる。
「あ、くるくんこんばんは。どうしたの?」
葛城くるは、実と同じアパートに住んでいるお隣さんだ。兄と2人暮らしなのだが実よりはるかに料理が上手く、よく食事をご馳走になっている。
案の定、今日もくるは実を夕食に誘いにきたらしかった。
「飯できたから、食いにこいよ……ど、どうせ1人だとカップラーメンかなんかなんだろ!」
乱暴な口調は彼なりの心配と少しの甘えからくるものだと知っているので、実は笑顔で
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
と答え、またくるの頭を撫でたのだった。
◇
葛城兄弟の食卓はいつも栄養バランスの考えられたキッチリした食事だ。兄の葛城くずははプリンにしか興味がないので黙々と食べるのみだが、実はくるの料理が結構気に入っている。
「この煮物おいしいね」
「じゃあ……朝食うのに、もってけよ。どうせあまるから」
「いいの? いつもありがとう」
実が言うと、くるは拗ねたような顔でそっぽを向いた。彼は視線を実から外したまま、ポソポソと小さい声で呟く。
「今日、デザートも作ったから……食ってけよ」
「へぇー、珍しいね」
くるが俯き、口をへの字に曲げたままキッチンへ歩いて行った。しばらくして彼が持ってきたのは、小さいチョコレートケーキだ。
くずはが顔をあげる。
「プリンじゃないんですか」
「くる兄は自分でつくったプリンがあるだろ」
弟の言葉に、彼は少し不満げだ。いつもの様子に実が苦笑する。
「おいしそうだね」
くるは照れたように俯いただけで、なにも答えなかった。
ケーキと一緒に持ってきたナイフで丁寧に切り分け、皿に載せる。ケーキの6分の1が実の目の前に置かれた。
「……あんたには、世話になってるから」
実が首を傾げると、くるが赤い顔のまま彼を睨み、声を荒げる。
「バレンタインだから!」
それがどういう意味なのか3秒ほど考え込んで、実は笑う。
「ご飯ご馳走になって、お世話になってるのは僕なんだけどなぁ」
目の前にあるくるの頭を撫でて、お礼をいってからフォークをケーキに突き刺した。
「じゃあ、ホワイトデーは楽しみにしててね」
いらない、とくるが乱暴に言い放ったが、実は聞こえないふりをして笑って見せた。