次の犯人は誰?
「じゃあ頑張んなさいよ山田さん。大変だと思うけど、何かあったら相談には乗るから」
昼下がりのバス車内。
運転手と顔なじみのお婆さんはそんな事を言いながら寺の前のバス停で下車していった。
時間帯、それから結構な田舎という土地柄のせいでバスに乗る者は少ない。先ほどのお婆さんが下りたことで車内の乗客は3人のみとなった。
二人掛けの席に仲睦まじく座っている若い男女、それから一番後ろの5人掛けの席の隅にポツンと座っている中年の女性。
それから数個バス停を通り過ぎ、山の入り口のところで一人の男が乗り込んできた。骸骨のように痩せこけていて、黒いパーカーを着ている姿はまるで死神である。
彼は空いていない席を探す方が難しいにもかかわらず席に座ろうとはしない。そしてバスが発車するとほぼ同時に運転手の元へ行き、懐から取り出した何かを運転手に向けた。
運転手がそれを銃だと認識するのには、少しだけ時間がかかった。
「バスジャックだ! このバスは俺が乗っ取った。今から行くのは鳴楼駅じゃねぇ、地獄だぜ!」
バスジャック犯は背が高い割に甲高い声でそう宣言すると、荷物などを奪ってから乗客を一ヵ所に集めた。
乗客たちは初めて見る銃に酷く怯え、若い女性などは泣き出す始末であった。女性の彼氏と思われる男性は彼女の背中をさすりながら、震える声でバスジャック犯に尋ねた。
「いったい何が目的なんだ。金か? なら早く警察に電話しないと」
「目的?」
バスジャック犯は少々驚いた顔をした後、なにやら口をモゴモゴとさせた。
「別に……金は目的じゃない。何か一発、大きなことをしようと思って」
「なによそれ、じゃあどうしたら私たちは解放されるのよ」
おばさんが少々呆れたようにそう言うと、バスジャック犯はカッと顔を赤くして興奮した様に乗客に銃を向けた。
「うるさいッ、黙れ黙れ! お前らは人質なんだぞ、俺の機嫌を損ねるような事をするな!」
「ヒッ……ごめんなさい。もう言わないから」
乗客たちは一様に怯えた表情を浮かべ、座席の上で小さくなる。
バスジャック犯はそれに満足したのか銃を下ろし、少々考えるようなそぶりを見せた後邪悪な笑みを浮かべた。
「そうだ、良いコトを思いついたぞ。おいそこの女……ババアじゃねぇよ!」
男の横で小さくなって泣いていた若い女性を指差し、手招きをした。
「こっち来いよ……早く来いって言ってんだろッ!!」
「ほっ、ほら。早く行かないと」
泣いている女性を男性が立たせ、背中を押した。
女性は男性の方を気にしながら恐る恐るバスジャック犯の元へ歩いていく。
「へへ、良く見りゃなかなか可愛いじゃねぇか。殺されたくなかったら俺を楽しませろよ」
「そんなこと……」
「彼氏の前じゃできねぇってか? なら良いぜ、彼氏を消すまでだ」
「ッ!? そんな、やめてください!」
バスジャック犯の言葉に、女性の顔が蒼くなる。しかし一番顔色が悪くなったのはむしろ彼氏の方であった。
「おっ、おいミキ! 頼む、やってくれ!」
「へ?」
「俺はまだ死にたくない! なぁ頼むよ、俺は気にしないから全然!! 一回くらい大丈夫!」
「えっ」
これには彼女も唖然とした。バスジャック犯も苦笑いを隠せない。
「ま、まぁ彼氏もこう言ってる事だし……へへ、楽しもうぜ」
バスジャック犯はゲスな笑みを浮かべながら女性の身体に手を這わせる。
女性は目に涙を貯め、身体を震わせながらも抵抗することはなかった――
と、思われた次の瞬間。
身体を触るのに夢中で油断しまくった犯人の手から、女性はいとも簡単に銃を奪い取った。そしてその鉄の塊でバスジャック犯の頭を思い切り殴打する。
鈍い音が車内に響き渡る。バスジャック犯は銃を奪われたことに気が付く前に意識を失った。
「すっ、凄いよミキ! 君は英雄――」
「近づかないで」
喜んで駆け寄ろうとする男性に、女性は銃口を向けた。
男性は戸惑いの表情を浮かべながら固まる。
「なにをするんだミキ!?」
「それはこっちの台詞よ、自分が助かるために彼女を売るなんて最低!」
「ごっ、ごめん。それは謝るよ……でも死んだら君と結婚もできなくなるだろ? 式はもうすぐなのに」
「そう言う問題じゃないでしょ。っていうか結婚も正直まだ迷ってるの」
「はぁ!? 式場の予約もしたしドレスも選んだじゃないか! 招待状だって送っちゃったよ!?」
「……だからさぁ、そう言う問題じゃないじゃん。あんたが浮気してんの、私全部知ってるんだからね?」
「うぇっ? そそそ、そんな話誰から聞いたんだ! きっと僕たちの幸せを妬んだやつが君に嘘を吹き込んで――」
「この前マリちゃんから直接聞いたんだけど?」
「ウヒャッ!!???」
男は素っ頓狂な声を上げ、目を白黒させた。
「マリちゃんだけじゃないよね? 同僚のカナコちゃん、合コンで出会ったミズキちゃん、ネットで出会った女子高生のカオリちゃん……っていうか女子高生に手を出すって大人としてどうなの?」
「い、いやそれは」
「あとパートのミチコさん。彼女50歳超えてるよね? 本当ストライクゾーンが広いね、あんた」
「あ……いや……」
最早言葉すら出ないのか、男は目を回しながら口から泡を吐いている。
「結婚したら落ち着くかと思って黙っててあげたけど、さっきの様子じゃそれも無理ね? いっそのことここで殺しちゃおうかしら」
女は無表情でそう言い放ち、引き金に指をかける。
「ひぇっ……お助け……」
車内が再び緊張に包まれる。
しばらくの沈黙の後、女は涙を流しながら首を振った。
「……やっぱダメ。どうしてもできない」
女は銃を放り投げ、その場に崩れ落ちる。
「こんなに憎たらしいのに……ダメな人なのに……やっぱり好きなの……」
女性は頭を掻き毟りながら悲痛な叫びをあげる。そして彼女は呆然と立ち尽くす男に抱きつき、彼の胸で泣いた。
「お願い、もうこんなことしないって約束して。私だけを見るって……」
「う、うん……」
女性の方はこの感動的な光景に酔っているようだったが、男性の方はそれどころではなく未だに酸欠の金魚のように口をパクパクしている。
このまま無事にバスジャック事件は幕を閉じる、かに思われたが――
「ハッピーエンドにはさせないわよ」
「え?」
カップルは二人揃えたようにアホ面で首をかしげた。
女の投げた銃を拾い、二人に銃口を向けているのは――乗客のおばさんだった。
「なっ、なんなの一体?」
「なんなの、ですって? あなた自分がしてきた事を全部忘れてその男と幸せになろうってんじゃないわよね?」
「なんのことよ、全然意味が分からないわ」
「じゃあこう呼べば思い出すかしら。『ティアラ』さん?」
その瞬間、女の顔が凍りつく。
相変わらず意味が分からず狼狽える彼氏に、おばさんは吐き捨てるように言った。
「この女は風俗嬢なのよ。私の旦那もこの女に惚れこんじゃって、色々貢いでたみたいでね。おかげで借金ができて旦那は蒸発。多額の負債を私が背負い込むことになっちゃったのよ」
「風俗!?」
「それなのに少し身体を触られたくらいでピーピー喚いちゃって……馬鹿みたい」
「風俗……風俗……」
男は再び泡を口から吹いて、目を白黒させた。
「私がアンタのせいでどれだけ大変な思いしてると思ってるの? もう……殺してやりたいほどアンタを憎んだわ……」
おばさんはするどい眼光で女を睨みつけ、銃口を彼女に向ける。
女は気が動転したのかあちこちに視線を泳がせながらヒステリックに叫んだ。
「そっ、そりゃあプレゼントが貰えるなら貰うに決まってるじゃない! あんたの旦那は私がいなくても他の娘にプレゼント渡してたに決まってるわ、私は悪くない!」
「そうね、もし他の娘に貢いでいたなら私はその娘を恨んだわ。でも旦那が貢いでいたのは他の娘ではなくあなた。私はあなたを恨んでいるの」
「ひっ、ひいッ!!」
おばさんが引き金に指をかける。
女は鼻水を垂らしながら床に這いつくばった。涙と鼻水でグチャグチャの彼女は、大きく口を開けて絶叫した。
……しかしいつまでたっても銃声は聞こえない。火薬の臭いもしてこない。
彼女が恐る恐る目を開けると、銃を持ったおばさんは彼氏である男に取り押さえられているところだった。
「こいつめッ……」
おばさんの手から強引に銃を奪い、銃口をおばさんに向ける。
女性は思わず涙をこぼした。悲しみの涙ではない、嬉しさからの涙だ。ようやく彼氏が自分を守ってくれた。そう思うと嬉しくて涙があふれて止まらない。
が、男は予想外の言葉を口に出す。
「やっと見つけたぞこの詐欺師め」
男の言葉に首をかしげる女性。
おばさんは座り込んだままポカンと口を開き、ただ男を見つめている。
「お前から売られた絵、500万も払ったのに鑑定に出したら500円の価値しかないって言われたぞ。俺を騙したんだな!」
「えっ、500万? 500万って……どうしたのそれ、どこから出したの?」
「……借金。消費者金融で」
「は、はぁッ!? 借金!? 聞いてないわ、いくらしてるのッ!」
「550万……だっ、だってこのババア、絵を売れば1000万円になるから借金してもすぐ返せるって言ったんだ!」
それを聞き、女性はその場に崩れ落ちた。
脱力する女性を横目に、おばさんはうつむきながらも弁解の言葉を吐く。
「その女のせいで借金して……どうしてもお金が必要だったのよ。それで、生きるために仕方なくて」
「自分が生きるためなら他人がどうなったっていいってのか? ああ? お前のせいでこっちは色々と死にかけてんだぞ」
「そっ、それは……悪かったと思ってるけど」
「悪かったと思えばそれでいいってのか? 舐め腐りやがってこのクソババア。いますぐ500万円返しやがれ」
「そ、それは無理よ。借金は返し終わったけどスーパーのパートじゃ自分が食べていくので精いっぱいで……」
「言い訳してんじゃねぇ! てめぇの脳天にぶち込むぞ!!」
男は顔を真っ赤にしながら銃口をおばさんに向ける。
そしてそのまま考えなしに引き金に手を掛けた――が、すんでのところで男は銃から手を離した。
田舎特有の山道の連続カーブにより男はバランスを崩して転倒し、さらに手を滑らせて銃を放り投げてしまったのだ。
銃は綺麗な放物線を描きながら運転手の膝へと落ちた。運転手はその銃を誰かに向ける事なく、窓から放り投げる。銃は深い深い渓谷へと落ちていった。
憑物が落ちたように脱力し座り込む乗客たち。
彼らに向けて運転手はアナウンスをした。
「行き先に変更はございません……次は地獄、地獄です」
予想外の運転手の言葉に、乗客たちの顔が一斉に青ざめる。
彼らの疑問に応えるように運転手は口を開いた。
「実は僕もキャバクラ通いで貯金を使い果たしちゃって、金を取り返そうと始めた投資がこれまた詐欺でね。多額の借金をおっちゃいまして。女房にも逃げられ……もう死のうと思ってた矢先にこれですよ……へへ、まるで運命じゃないですか。一人で逝くのは寂しいって思ってたんです」
顔を青くしたまま言葉も出ない乗客たち。
しかし若い男だけは果敢に声を上げた。
「確かにこいつらは人の人生を狂わせたクズだ! 死んで当然かもしれない! でも俺はそこまで酷いことはやってない。たかが浮気だ。運転手さん、あんたも男なら分かるだろ? 男なら浮気の一つ二つするものだ。なぁ頼むよ、俺だけは降ろしてくれ」
男の懇願に、運転手は抑揚のない声で応える。
「実はね、僕の女房は美智子ってんだよ。いやぁ、妻がお世話になったね」
その言葉と同時に運転手はアクセルを踏み抜く。
バスはガードレールをぶち抜き、銃と同じように深い深い渓谷へと真っ逆さまに落ちていった。