6.少しの後悔
熱くてぼうっとする頭に浮かぶのは、シスのことばかり。
あの時、どうしてだという問いに、私が「だって、こうしないと、シスは行ってしまうでしょう」と薄く微笑むと、彼は青褪めた顔で絶句していたっけ。
「君は……」
彼は、その先をどう続けようとしたのだろうか。
「ああ、でも結局、シスは行ったまま帰ってこなかった」
小さく声にもならない呟きを漏らすと、「おかあさん」子供がおどおどと声を掛けてくる。
「……お前には、悪いことをしちゃったわね」
微かに囁くように口に出し、頭を撫でてやろうとしたけれど、私にはもう、腕を伸ばす力すら残っていなかった。
* * *
「なんだか落ち着かない」
「でも、慣れて貰わなきゃ困るわ」
「もう3回も入り口で角を引っ掛けてしまったんだよ」
宿の食堂で頭をさすりながらぼやくターシスに、ヴァリが笑う。
「あなたの角の形なら、引っ掛けたりしなさそうなのにね」
「……200年角無しで来たのに、そうそう慣れたりなんてできないさ」
はあ、と溜息を吐くターシスに、ヴァリはまた笑った。
「で、本題よ。やっぱり戦争は始まってるみたい。そろそろ国境を越えて来ている頃だって話だったわ。北のクラインリッシュの勢いは結構なものみたい」
「そうらしいね。僕が聞いたのもそんな話ばかりだったよ。それで、どうすればいい?」
「少し面倒なことになるわ」
今度はヴァリが、はあ、と溜息を吐く。
「このまま北上はできないし、海岸沿いの国を通るのもアウトよ。魔族狩りに捕まるから」
「魔族狩り、か」
眉を寄せるターシスに、ヴァリは頷く。
「クラインリッシュはいくらでも戦力が欲しいと考えてるもの。見つかった途端に捕まるのは間違いないわね。海岸沿いの2国はクラインリッシュの属国みたいなものだから、やっぱり魔族狩りがいる」
「じゃあ……」
「いったん南下して、それから内陸を通って行くつもり。かなり遠回りだけど、それが確実よ」
ターシスはじっと考える。
「……転移魔法は?」
「やめたほうがいいわね。国を跨いでの転移はだいたいにおいて対策が取られてるから、うっかりすると引っ掛かって面倒なことになるの。伝達魔法も感知されたらいろいろ不都合なことになるわ」
「……東はやっかいなんだな」
肩を竦めるターシスに、ヴァリは頷いてみせた。
「西ではそんなこと考えないでかなり気軽に使えたみたいだけど、こっちじゃ転移封じに伝達封じは防衛の基本なのよ。ましてや、戦争が始まってるなら余計ね」
これが、国が乱立してるということなのかと、ターシスは思わず顔を顰めてしまう。伝達魔法で東に来たことを伝えて、それを目印に飛べる距離なら飛んでしまえば目的は達成だと考えていたのに。
「なかなかままならないものだね」
「時間はかかるけど、ここまでくればもう少しよ」
ヴァリは励ますように、肩を落とすターシスの背を叩いた。
シェアーネスの南方には、全部ひっくるめて“南方国家群”と呼ばれる小国がひしめいている。だいたいが、そこそこの町を中心に治める領主同士がついたり離れたりしている、国というよりは領主間の同盟のようなものだが、それだけに国境も状況もあまり安定していない。
「ちょっと、注意しながら進むことにしましょう」
「具体的には?」
「傭兵組合で、そこに出てる仕事を確認しながら行くわ」
「へえ?」
「南方じゃ、兵を常備できるほどの国力があるところは少ないから、代わりに必要な時だけ傭兵を雇うのよ。だから、組合に来てる依頼である程度情勢も読めるわ。それに、あそこは商人組合並に情報があつまるから」
「なるほど」
ヴァリの説明に、ターシスは納得する。魔物退治や隊商の護衛が主な仕事だった西とは違い、こっちでは都市間の争いや戦争にこそ傭兵を使うということだろう。
「だから、ターシスもこの町で傭兵登録してしまいましょう。そうすれば、大手を振って組合に出入りできるわ」
傭兵組合への登録は紹介制になっていると、ヴァリは説明する。つまり、誰かが腕前と経歴を保証したものでないと、登録は不可であると。さらに、魔法により嘘の申告も防止されているのだ。
「だから、傭兵として登録があれば、国境を越えるのも町へ入るのも、だいぶ難しくなくなるの。組合の保証があるってことでね」
「よくできてるね」
「その代わり、犯罪はもちろん、組合の規則を破ったときの制裁はとても厳しいわよ」
もっとも、そうは言っても傭兵組合なので町のような決まりとは違っていて、規則のほとんどは基本的に依頼主との契約や組合の評判を守らせるためのものらしい。ヴァリに連れられて訪れた組合の窓口で、ひととおりの説明を受けて申告を終えると、軽く実技の確認の後にすぐ、組合員証ともいうべき、半分に割られたメダルを渡された。
「これで、とりあえずの準備はできたわね」
マルドンの宿で夕食をつつきながら、ヴァリが言う。西とはかなり勝手が違い、自分ひとりではここから先どうなっていたかと考えるとぞっとするなと、ターシスは考えた。
「かなり助かったよ。君が一緒でよかった」
「こっちは私のホームグラウンドだもの、任せてもらって当然よ」
ふふ、と笑ってヴァリは胸をそらす。「一応、こっちで20年は傭兵やってるもの。それなりに事情も抑えてるわ」
「20年……そういえば、君はまだ若いのか?」
ふと気になって尋ねてから、ターシスはしまったと思った。ヴァリは軽く目を瞠る。
「え? そうね……そろそろ50くらいだから、あなたに比べたらずっと若いわよ」
「ごめん、失礼なこと聞いたね」
「別に。失礼なことなんて、私のほうがよっぽどだったし……その、王都のこととか」
今度はターシスのほうが目を瞠る。
「……気にしてたのか」
「気にしてたっていうか、あの時は、あなたの意思を無視した形になっちゃったし」
「別にどうってことないよ。僕には役得で済むことだったしね。
──もしかして、後悔してるのかい?」
「そういうわけじゃないけど」
ほう、と息を吐いて、ヴァリは言葉を続けた。
「私ね、“運命のひと”を探してたの」
「“運命のひと”?」
意外な単語に、ターシスは驚いた表情になる。
「笑わないでね。小さい頃から誰かを探さなきゃって思ってて、でもずっと、その誰かはよくわからなかったんだけど、たぶん相手は私の“運命のひと”なんだろうなって考えてたのよ」
「……へえ?」
「王都で、騎士団本部で“魔王の角”を見て、あ、この人だってすぐわかった。ここにちゃんと私の“運命のひと”がいたって思ったの。だから、私、西に行ってみたかったんだなって。呼ばれてたのか、なんて少し浮かれてね」
「魔王が、“運命のひと”だった?」
ヴァリはこくりと頷いて、料理をひとくち、口に運ぶ。
「今ここに“運命のひと”が近くにいるんだってわかって、ひたすら王都の中を歩いてね。ようやく気配を見つけて、喜び勇んで駆けつけたら、ちょうど馬車から降りるところだった」
ターシスは黙って先を促した。
「そしたら、あの人をきれいにエスコートしてて、あ、まただ、って思ったの。また、ゆるふわだって」
少し潤んだ目を伏せて、ヴァリはもうひとくち、ぱくりと料理を食べる。
「いつもそうなの。皆、小さくて、かわいくて、ふわふわの女の子のほうばっかり選んで、私みたいなのは選ばない。まさか“運命のひと”までそうだなんて、思わなかった」
今度はふたくち、ぱくぱくと口に運び、ぐいと麦酒を飲む。
「魔の森で、彼に謝られたわ。彼は本当に私の“運命のひと”だったみたい。でも、待ちきれなかったんだって」
「……魔王にもわかったんだ、君のことが」
「そう。でも、どうやら待たせすぎたみたいなの。私、タイミングの悪い女だったんだな」
あの時考えてたことも魔王に言ったことも本当だったけれど、やっぱり痛いものは痛い。あれからひと月以上経つのに、思い出すとやっぱりきりきり胸の奥が痛むのだ。
……そう、あと10年早く西へ渡ってれば良かったのに、とも、エルネスティさえいなければ、とも考えてしまう。
「魔王と話して、かっこつけて大層なこと言って、私偉いなんて思ったけど、日が経つうちに、やっぱりいろいろぐだぐだと考えちゃうし」
はあ、と溜息を吐いて、ヴァリはカランとフォークを置いた。
「なんだかかっこ悪いわ。私、結構諦めが悪かったみたい。こうやって、未だにぐじぐじ考えちゃうんだもの」
また麦酒をひとくち飲んで、突っ伏してしまう。ターシスは頬杖をついて、ヴァリに手を伸ばし、頭をそっと撫でた。
「でも、ちゃんと区切りはつけたんだろう?」
突っ伏したまま、ヴァリは頷く。
「なら、あとは時間が経てば落ち着くさ」
「だと、いいな」
小さく呟くヴァリに、仕方ないなとターシスは笑う。
「そういうものじゃないの? まあ、僕には経験がないから、あまりたいしたことは言えないけど」
「ターシスは、奥さんが亡くなったって知って、どうだったの?」
ヴァリが顔を上げて尋ねると、ターシスは困ったような顔になった。
「……どうともならなかったし、何とも思わなかった」
「え、でも……」
ターシスは肩を竦める。
「たぶんね、僕は、君みたいに、誰かをちゃんと好きになったり、愛したりしたことはないんだと思うよ」
「なら、デルトは、どうして……」
唖然と目を見開いて、ヴァリはじっとターシスを見つめた。
「どうしてと訊かれると、困る」
苦笑して目を逸らすターシスのようすに、ヴァリはシャスが言っていたことを思い出した。“普通よりもふらふらして定まらない”……ターシスは、誰かと何かを分かち合いたいと思ったり、ひとりの時に誰かにいてもらいたいと思ったり、そういうことはないんだろうか。
「でも」
「考えてもみてごらん。僕は、妻子を10年も平気で放っておいた男だ」
「だって、平気なひとが、10年経ったからって戻ってくるの? 思い出したからって、それだけでわざわざ戻ってくるなんて。それに、今だって子供を迎えに行くところなのに」
視線を戻して、やっぱり困ったような顔のまま、ターシスは肩を竦める。
「デルトには、誓ったから……どうして君が泣きそうな顔をするんだ?」
「だって、奥さんは? 好きだから結婚したんじゃなかったの?」
ターシスは軽く息を吐く。
「……リーゼと僕は、正式に結婚したわけじゃない。名前も交換していなかったんだ」
「そんな……」
じゃあ、どうしてデルトが産まれたの? と訊きそうになって、ヴァリは言葉を飲み込む。これ以上は、たぶん踏み込んではいけないところだ。
「……ごめんなさい。余計なことまで、言わせちゃったみたい」
「別に、もう今ではどうでもいいことだ」
また、ターシスは肩を竦めてへらりと笑う。このひとがこういう笑い方をする時は、何かをごまかしている時なんじゃないだろうか。
「その、デルトは知ってるの?」
「ああ……名前を交換してないことなら、前に話したよ」
「そう」
ターシスは苦笑する。
「君が落ち込む必要はないのに」
「ごめんなさい」
「いや、謝ることは何もないだろう?」
おどけるように言われて、ヴァリはなんだかますます泣きたい気分になってしまった。





