3.懸念
「ねえ、どうしてこの子はあなたに似ていないの? どこもあなたに似てないわ。似てないのよ」
「でも、君に似てるだろう?」
「私に似ても、意味ないのに」
くしゃくしゃの顔をしたその子は、小さな手を僕に差し伸べた。
* * *
「お前は、以前、わたしに悪いことをしたと言ったが……あれは、お前の正当な権利を行使しただけだ。謝る必要などなかった」
出発の前日、魔王からわざわざ話があると呼び出され告げられたことを、ヴァリは歩きながら思い出していた。
いったいどういうことなのかと問うと、彼は「お前はわたしの待ちびとに間違いなく、だが、わたしが待ちきれなかっただけなのだ。お前には怒る権利がある」と答えたのだ。
待ちびと、待ちきれなかった──そして、子供の頃から感じていた、“探さなきゃ”という焦燥感。
不意に、パズルがぴたりと合わさるようにヴァリの頭の中がクリアになって……。
「“イツキ”って、もしかして、私のことだったのね?」
「──お前ではないお前だというのが、いちばん近いだろう」
納得がいったと頷くヴァリに、魔王は少し自嘲気味に笑う。
「あまりに長過ぎる時間に、わたしは負けてしまった。謝らなければならなかったのは、わたしのほうだ」
そのことを、ずっと負い目とでも考えていたのか、彼はわずかに俯いた。
「よく、わからないわ。でも……」
なんと言えばいいのかわからず、言葉が続かない。それでも、少しだけ考え、続ける。
「でも、罪悪感を感じることはないと思うの。その、“イツキ”がわたしだっていうなら……すごく陳腐で、きれいごとかもしれないけど……あなたがちゃんと幸せに生きてれば、それだけで嬉しいんじゃないかと思うのよ」
ゆっくりとヴァリが述べると、魔王は驚いた顔で彼女をじっと見つめた。その視線になんとなく落ち着かず、「ほんとに、ありきたりすぎるんだけど」ともう一度繰り返すと、彼は、ヴァリがどこか懐かしいと感じるような笑顔を浮かべたのだった。その笑顔に、やっぱり探していたのはこのひとだったのだなと、改めて感じる。
「……ありがとう、その言葉に感謝する。“ヴァリ”」
──彼の言うとおり、“イツキ”という人物がヴァリ自身のことだったのかどうか、本当に本当のところはわからない。けれど、口に出した言葉が自分自身の本心であることは間違いない。もしそれでヴァリ自身の心が痛む結果になったのだとしても、萎れきった探しびとをみるよりも遥かに良い……と思う。ただの強がりかもしれないけど、そう思う。
「あなたを、“魔王”じゃなくて、なんて呼べばいいかしら?」
ヴァリは無理やり笑顔を作って、尋ねる。
「シーアと……いや、やはりカルシャと呼んでくれ」
「わかったわ。“カルシャ”」
そうして、何かを吹っ切ったような魔王……カルシャと握手を交わしながら、少し惜しむような寂しいような、そんな気持ちをほんのりと感じた。
トイヘルンの町に出て旅の支度を整え、すぐにターシスの住まいがあるという村を目指して先を急いだ。
何事もなかったなら転移魔法を使うところだが、もうしばらくは用心のため、目立つ魔法は使わず、歩いて移動することにしたのだ。
「お父さんは、何をそんなに焦ってるの?」
なるべく日数を短縮するためにと道無き道を歩きながら、疑問に思っていたことを尋ねる。ほんとうにデルトがひとりきりなのであれば確かに一刻を争うけれど、そうではなく、ヴァリが信頼しているところにいるのは間違いないのだ。もう少し余裕があってもいいのではないか。そもそもそんなに焦ったところで、どうにかなる程の距離でもないし。
「僕はあの子に、もうひとりにしないと名にかけて誓ったんだよ」
「けど、それにしても焦りすぎよ。他にも理由があるんでしょう?」
眉を顰めるヴァリをちらりと振り向いて、なおも口を噤むターシスをじっと見続けると、彼はようやく観念したように、ぼそぼそと呟いた。
「……あの子が、もしかしたら全部を諦めてしまうんじゃないかと思うと、怖いんだ」
「諦める?」
全部とは、何が全部なのか。不穏な言葉にますます眉間の皺を深くして、ヴァリは聞き返す。
「……あの子は、あまり執着しない子だから」
「執着しない?」
ターシスは答えず、ただ遠く……東へと視線を向けて眉を寄せた。そんなターシスに、ヴァリは少し納得がいかないように首を傾げる。
「確かに、デルトはずいぶんとあっさりしているタイプだなとは思うけど……執着しないってどういうことなの?」
「デルトは、あまり他人に期待していない。期待していないから、執着もしない」
はあ、とターシスは溜息を吐いて立ち止まる。
「……そんな風には思わなかったけど」
「デルトは、そうなんだよ」
あの子が自分に起こったことをあっさりと受け入れてしまうのはそのせいなんだと、ターシスは考えていた。アロイスから聞いた、自分が来るまでのようすからも、そう思えたのだ。
一番の原因はリーゼとの関係だったのかもしれない。どうして自分はデルトを連れて行かなかったのか……考えても仕方ないのに、考えてしまう。
あの子は、リーゼが生きていた時も、リーゼが亡くなった時も、村に飛ばされた時も、自分がやってきた時も、旅に出るという話をした時も……起きたことをすんなりと受け入れた上で、どうせそれはすぐに消えて無くなるものなのだからと考えているようだった。これまでずっと、デルトが得たものはすぐに全部目の前から消えてしまったのだ。本当は消えてないのに、それでもデルトは消えたと考えている。だから、これまでもこれからも、デルトは与えられたものを受け入れるだけだ。なくなればそれで終わり。自分が聞いた限り、あの子が本当に自分から望んだことなんて、“魔法剣士になりたい”ということくらいなのだ。
「だから、早く行かないと……特に、僕はデルトに信用がないから」
そんなことない、と言おうとして、ターシスのひどく真剣な顔になにも言えなくなってしまう。
「……前から少し気になってたんだけど、デルトのお母さんて、どんな人だったの?」
「リーゼは……」
少し、考えるように、ターシスは呟いた。
「たぶん、執着し過ぎる子だったんだ」
「しすぎる?」
こくりと頷くターシスは、「執着し過ぎて壊してしまう子だった」とぽつりと呟く。
「……突っ込んだこと聞いちゃったみたいね」
それ以上聞くのは余計なところまで踏み込んでしまうことだと感じて、ヴァリは少し軽い調子で肩を竦めてみせた。ターシスも、少しほっとしたように息を吐く。
「いや、いい。まあ、とにかく、なるべく早くデルトのところへ行きたいんだ。けれど、アロイスたちのことも心配だから……」
「なら、急ぎましょう。止まらせちゃって悪かったわ」
ターシスを促して、ヴァリはまた歩き始めた。
ターシスと並んで歩きながら、ヴァリは、本当はもっと気楽に西を物見遊山的に回って、いろいろ楽しんだところで東に帰るつもりだったのに、と考える。
やっと見つけた探しびとはアレだし、運良く見つけた同行者はコレだし、なかなかままならないものだ。もっと違う結果をイメージしていたはずなのに、どうしてこうなったのだろう。ヴァリにはわからない。なんかややこしいひとに縁があるのだろうか。
たしかに種族としては順調に歳を重ねれば1000年くらい平気で生きられそうだが、その最初の50年でこれでは、長生きも楽じゃなさそうだ。
ターシスの歳はたしか200年くらいと言ってたけど、それでもいろいろ面倒な目にあって苦労したようだし、自分のこれまでの50年が単に運が良かっただけなのだろうか。
ヴァリは、これからのことを考えて、つい溜息を吐いてしまう。
「どうした、ヴァリ」
「んー、西も大変なんだなあって」
「僕からすると、東のほうが気楽に思えるんだけどね」
「やっぱりそういうものなのかしら」
いわゆる、“隣の芝生”ってものなのかもしれない。
「ターシス、嫁を取ったのか?」
ようやく村に到着し、さっそくアロイスの家を訪ねると、シャスの目が丸くなり真っ先にでた質問がそれだった。
「……いつも思うんだけど、どうしてシャスはすぐそっちの発想になるのかな。違うよ。彼女はヴァリ、デルトの恩人だ」
「まあ、いいじゃないか。それで、恩人というのはどういうことだ? 中で話を聞かせてくれ。ヴァリさんもどうぞ中へ」
アロイスが苦笑しながら、ターシスの“恩人”という言葉に反応し、すぐにふたりを中へと招き入れる。
「なんだ、違うのか。相変わらずふらふらして、落ち着かないやつだな」
シャスはどことなく憮然としながらも、すぐに手際よく茶を用意して、全員の前に並べた。
王都を出てからのことをターシスが掻い摘んで話すと、アロイスは眉を寄せた。
「……この村にも、そばの町にも、まだ太陽と正義の神の騎士が来たことはないが、気をつけたほうがよさそうだな」
「幸い、ヴァリの姿変えとその隠蔽魔法は見破られなかったんだ。だから、シャスにそのやり方を教えておいてもらおうと思って」
教会自体は悪いものではないだけに、面倒だなとアロイスが零す。
「まあ、そういうのが出てきたことについては悩んでも仕方ないだろう。誤魔化す方法を教えてもらえるなら、なんとかなるさ。さすがにここも長くて愛着があるから、引越しせずに済めば万々歳だ。お嬢さん、よろしくたのむ。逃げ出す準備はしておくけどな」
笑顔でばしばしとアロイスの背を叩くシャスに、まだバレると決まったわけじゃないんだからと肩を竦め、もうひとつ伝えなければいけないことを思い出した。
「ああ、そうだ、アロイス。魔王が引っ越すと言っていた」
「引っ越す? 魔の森から?」
「そう。魔王を辞めるらしいよ」
「辞める?」
ぽかんとするふたりに、ターシスはくつくつと笑う。
「君たちの孫が生まれると話したら、落ち着いた頃にここへ顔を出すと言っていたよ。だから、その時にでも詳しい話を聞くといい」
「それは楽しみだな。デルトがいないのは残念だが、今年の冬は賑やかになりそうだ」
シャスは楽しそうに目を細める。
「それじゃ、しばらくはふたりとも、ここに留まるんだな? 家を掃除するのも大変だろうから、うちに泊まるといい。部屋ならあるぞ」
「それはありがたい。お言葉に甘えてそうするよ」
お前たちが出てからはふたりだったからな、久しぶりに賑やかだとシャスは立ち上がる。
「今日は腕を振るうぞ、楽しみにしていろ」
「あ、じゃあ、私も手伝います」
「それは助かる」
慌てて後に続くヴァリにシャスが頷き、ふたりが連れ立って奥へ引っ込むのを見ながら、アロイスは少し考えるような顔で口を開いた。
「ターシス、それと、東行きの船なんだがな、ひとつ、伝手があるかもしれん」
「そうなのか?」
「マンスフェルダーに東と交易してる商人がいたと思うんだ。絶対とは言えないが、ハラルト……弟に手紙を書くから、領主家を訪ねてみるといい。便宜を図れるかもしれない」
「それは助かる。何の伝手もないから、ファーレルまで行って総当たりしようかと考えてるところだったんだ」
「デルトは俺の息子でもあるんだ。できることがあるなら、何だってやるさ」
アロイスは笑って、ターシスの肩をひとつ叩いた。





