2.出発
「これでもう、私を置いては行けないわよね?」
そう呟いて薄っすらと微笑む彼女は、とても恐ろしかった。
* * *
ぱちりと目を開けると、何故かベッドに寝かされていることに気付いて、戸惑った。しかも、何故か見覚えがあるような気がして、ますます戸惑った。
「ここ……?」
まだ少し身体に怠さが残っているように感じてゆっくり起き上がると、見計らったようなタイミングで、がちゃりと音を立てて扉が開く。
「あら、目が覚めたのね。私はエルネスティよ、よろしくね」
入り口に立っていたのは、いつか王都で見た彼女だった。つまり、自分がいるのは……。
「──エルネスティさん? ここは、魔王の、屋敷?」
「そうよ。あなたが目を覚まさないから留まってもらったの。無茶させるわけにいかないもの。ターシスさんなら居間にいるわ。調子はどう?」
「あ、ええと、もう大丈夫、だと思います」
彼女は、起きられるようなら起きて食事を摂ったほうがいいわ、とふんわり柔らかく微笑んだ。
「私、どれくらい寝てたんですか?」
「そうね……ここに来たのが夜中だったから、丸2日半ってところかしら。ターシスさんから少し話を聞いたけど、急にたくさん魔力を使いすぎちゃったから身体が付いて行かなかったのね。どこか痛みがあったりはしない?」
「大丈夫、です」
丸2日と聞いて、ヴァリは少し呆然としてしまった。そんなに寝たままだったなんて。
「あの、本当にありがとうございます」
「いいのよ。お水はここに置いておくわね。どう、起きられそう? ダメならここに食事を運ぶけど」
「あ、起きます」
にっこりと首を傾げて問われ、慌てて上掛けをめくってベッドを降りようとすると、彼女は「慌てなくていいわ。着替えはこれ。洗っておいたの。念のため言っておくけど、着替えさせたのは私だし、洗ったのも私よ。安心してちょうだい」と、また笑った。
身支度を整えておずおずと下に降りると、ターシスと魔王がいた。
「調子はどう?」
ターシスに尋ねられて、魔王に目礼をしながら「上々よ。もう大丈夫」と答えながら腰を下ろす。どうしても魔王のようすをちらちらと伺ってしまう。そんなヴァリのようすをじっと見て、ターシスは何か考えるかのような顔で「君さえ問題なければ、すぐにでもここを出ようと思うんだけど、どうだい?」と尋ねた。トイヘルンの町ならふたり揃って転移で行けるからというターシスの言葉に、少しだけ、ヴァリは安堵した。
「構わな」
い、と、しかし、言いかけたところで、ちょうど居間にやってきたエルネスティが、眉を吊り上げた。
「だめよ。無茶は良くないわ」
つかつかとテーブルへと向かうと、腰に手を当てて、ターシスをキッと睨む。
「病み上がりの起き抜けにそれはないわよ、ターシスさん。いい? 絶対だめよ? せめてもう1日休んでからにして。また寝込んだりしたらどうするつもり?」
それから、ヴァリに軽食の乗った皿を差し出し、茶を入れる。
「さ、ヴァリさんは、あれこれ考える前に、まずちゃんと食べてちょうだい」
男の人って、すぐに自分の体力を基準にものを考えるからだめなのよ、と憤慨しながらカップを置くエルネスティに、ヴァリは思わずくすりと笑ってしまった。
「笑い事じゃないわよ。ターシスさんはちょっとのうき……気が回らないところがあるみたいなんだもの。無茶を全部聞いてたら、大変なことになるわ」
指を立ててきっぱりと言うエルネスティに、ターシスは苦笑する。
「なんだか息子みたいなことを言うんだね」
「あら、さすが息子さんはよくわかってるのね」
「……そういえば、確かにデルトにも全く同じこと言われて怒られてたわよね。あれは、鷲獅子に追いかけられて無茶をした時だっけ?」
思わずその時のことを思い出してくすくす笑うヴァリに、エルネスティは「鷲獅子に?」と目を丸くした。
「……あの時は、3頭もいるのにもったいないと思ってしまったんだよ。鷲獅子の狩り場に行くのは本当に大変なんだ。それに、あのおかげでアラベラの弟子入りの準備だってできただろう?」
「鷲獅子を3頭も? 何人で?」
「僕と息子がメインかな。ヴァリにはアラベラを見ていてもらったから」
どことなく言い訳をするようなターシスに、エルネスティは呆れた視線を送る。魔王──カルシャも呆れているようだ。
「……いかに魔物狩り専門にやってるひとでも、そんな無茶聞いたことないわ。あなた、本気で脳筋なのね」
「脳筋って……さすがに僕でもひとりだったらやらないさ。デルトはまだ下位に毛が生えた程度だったけど、優秀な師にみっちり魔法を教わっていたし、狩りのセオリーもひと通り叩き込んであったから、デルトがいればなんとかなるなと思ったんだよ」
やっぱり苦笑するしかないターシスに、ヴァリは溜息を吐く。それから、宙を眺めて思い出すように、「どうしてデルトが歳の割にあんなに器用にいろいろこなすのか、わかった気がするわ」と呟くと、「そこは、僕の自慢の息子だからと言わせてくれ」とターシスは肩を竦めた。
それからおもむろにヴァリへと身体を向けると、ターシスは真剣な顔になった。
「……それで、君が起きたら、きちんと確認をしたかったんだ。デルトが送られた先のことを教えてくれ」
ヴァリは小さく頷いた。
「東大陸の北西にあるヴァルツフート王国よ。南西寄りにオスロスっていう町があって、シーロンという妖精の魔法使いがいるの。彼のところが送り先」
「……東大陸? そんな遠くに?」
瞠目するターシスに、ヴァリはもう一度頷いた。エルネスティもカルシャも驚きに目を瞠っている。
「ええ。あの腕輪は妖精の道みたいなものを開く魔道具だって、彼は言ってたの。道の片側に必ず妖精がいないとだめなんだけど、繋がる先はシーロンの屋敷で必ずシーロンがいるから、ちゃんと引き上げられて手当を受けてるはずよ。シーロンは、癒しの魔法も得意だから」
「……ずいぶん無茶な魔道具のようだな」
呆れたような感心したような微妙な声音でカルシャが呟いた。エルネスティが首を傾げて彼を見やる。
「無茶なの? 魔道具はともかく、妖精の魔法は専門外だからよくわからないわ」
「妖精の道は、妖精の門外不出の魔法だ。そもそも妖精でないと使えないのだとも言われている。それを魔道具にしてしまうなんて聞いたことがない」
ふう、とひとつ息を吐いて、さらにカルシャは続ける。
「それに、通常の転移魔法では西大陸の最東端から東大陸の最西端ですら行くことは無理だ。海が邪魔をするからな。妖精の道は転移でも無理な場所を繋ぐことができるとはいうが、それにしても無茶な距離だ。よく魔力が足りたな」
「魔力量にはちょっと自信があるの。それでも使い切ってひっくり返っちゃったけど」
「……どうにかして、東に行かなきゃならないな」
肩を竦めるヴァリの横で、ターシスは考え込むように宙を睨む。西まで渡るのにどれだけの期間がかかるか。冬が来る前に渡らなければ、春を待たなければいけなくなる。そうすると、最低でも半年以上先だ。
「……おそらくだけど、しばらくは無理かもしれないわ」
「どうして?」
「私がこっちへ来る直前に、戦争の噂があったの。港がある国の北側にやっかいな国があって、そこがまた戦いの準備をしてるって聞いたわ。戦争が起こると西との定期便はしばらく止まってしまうし、商人たちもそうそう船を出さなくなってしまう。海の上も荒れるから。
首尾よく渡れても、ヴァルツフートはそのやっかいな国のさらに北だから、デルトよりもあなたが危険になるのよ」
「それでも行かないと……まずはファーレルか。ああ、その前にシャスのところへ寄って、警告しなくちゃいけない」
眉を顰めてがしがしと頭を掻くターシスに、「焦らないで、お父さん」とヴァリは言った。
「デルトは当面のところは大丈夫。戦争が起こっても、さほど影響はないはずよ」
「そういう心配じゃないんだ……けど、その話はまた後で」
焦りと不安を感じているのか、ターシスは溜息を吐いた。
結局、ふたりが魔王の屋敷を出たのは、翌々日の朝だった。
暇を告げるついでに、「アロイスには君がここから移ることを伝えておくよ。近いうちに来るだろうということも」と言うのも忘れない。
「ああ、そうだな、産まれて少し後くらいに顔を見に行くと伝えてほしい」
「わかった」
それから転移魔法でトイヘルンの町へと移動し、改めて旅支度を整えながら、ターシスはヴァリに尋ねた。
「で、君はあれでよかったのかい?」
ヴァリは虚を衝かれたように、ターシスを見上げた。
「君が探してたって、彼だろう?」
「どうして」
「見てれば、それくらいわかる」
少し視線を泳がせてから、「変なところで察しがいいのね」とヴァリは呟いた。
「だって、彼にはもうお相手がいるのに、どうしろっていうの。何かするなんて、私の主義じゃないわ」
「……君がいいならいいけどね」
そう言って、ターシスはヴァリの頭をぽんぽんと叩く。
「あと、ゆるふわとかは関係ないんじゃないかな」
「……ちょ! 何言ってるのよ!」
はは、と笑って、ターシスは「準備ができたら、さっそく出発しようか」と言った。





