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ぼくを取り巻く世界のできごと  作者: 銀月
5.西大陸からの旅

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1.魔の森

 魔力の使い過ぎで頭が朦朧とし始め、ふらふらと覚束ない身体をターシスが支えた。膝が笑ってどうにも力が入らない。けれど、転移先には何故だか懐かしいという気配を感じて、思わずどこだろうと呟くヴァリに、ターシスは「魔の森だ」と告げた。

「……魔の森?」

 頭をもたげようとしてずきんと痛みが走り、思わずこめかみを抑えるように手を当てると、ヴァリは周りをゆっくりと見回す。

「そう、魔王のお膝元。危険な魔物も多いし、めったにひとは入ってこない」

「……大丈夫なの?」

 魔王……ヴァリの探しびとだった魔族だ。

 あの時はついカッとなって殴り飛ばしてしまったけれど、“西の魔王”といえば相当な長生きだと東でも名前だけは知られている魔族なのに、なんてことをしてしまったのだろう。もう会うことはないと思ってたはずが、こんなにすぐに関わることになるなんて。本人がここにいなければいいのだけど、と考える。


 はあ、と溜息を吐くヴァリを、ターシスはちらりと見下ろしてから、ゆっくりと歩を進め始めた。

「魔王の結界のすぐそばまで来てるんだ。このまま結界に入れば魔物も来ないし、ここまで入ってくる人間もいないだろう。それこそ、“王国の英雄”でもない限りね」

 どうにもふらふらしてしかたないヴァリを支えて、ターシスは歩き続ける。彼も少しふらついているようだけど、ヴァリに比べれば幾分しっかりしているようだった。ヴァリもなんとかゆっくりと足を動かし、ついて行く。ターシスの話によれば、この場所から魔王の結界まではほんの少し、半時のさらに半分もかからないくらいの距離だという。

 ──さすがに、あの騎士もどきや魔法使いを相手にするのはきつかったし、何より、デルトを飛ばすためにヴァリが持って行かれた魔力量が半端ではなかった。あの腕輪を使うだけで、総量のほぼ9割を持って行かれたんじゃないかと感じるほどだ。緊急時だったとはいえ、もうあまりやりたくはない。


 歩くうちにもどんどん消耗していくように感じる。それでも朦朧とする頭で疲れた身体をどうにか動かし続け、ようやく結界の中に入ったところでふたりとも倒れこんでしまった。

「ここで少し休んで、それから移動しよう」

 寝転がったままそう言うターシスの声に、ヴァリもかすかに頷いてそのまま目を閉じた。誰かが来たような気配を感じてターシスはもう一度目を開けたけれど、ヴァリの目は開かない。とうに限界を迎えていて、とうとう気を失ってしまったのだろうと考えてから、ターシスは起き上がり、近づいてきたもののほうに目を向けた。

 近づいてきた長身の人影は、誰だ、と言いかけて驚いたように見えた。

「……魔王、か? すまないが、少しここでこのまま休ませてくれ。もう限界なんだ」

 座り込んだままそう言うターシスを見下ろして、魔王は「構わない。だがここよりは家の中のほうがよかろう」と魔法を唱えると、たちまち周囲の景色が変わった。


「お客さんなの?」

 転移の感覚がして気づくと既に屋内だった。それと同時にもうひとりの声がして、慌ててターシスはそちらへ顔を向ける。

「こんな夜更けに申し訳ない。僕はターシスで、彼女はヴァリ。朝までこのまま休ませてもらえると助かる」

 そちらへ目をやれば……人間? 魔王の屋敷に人間がいるなんて、と少々驚くが魔法使いらしい気配に納得する。魔族と親交を持つ魔法使いは一定数存在する。たぶん彼女もそうなんだろう。

「……人間なの?」

 首を傾げる彼女に、ターシスは「いや、僕らは彼の同族だ」と答える。

「少しトラブルに巻き込まれてしまって、逃げてきたんだよ」

「そういえば、傷だらけなのね」

 彼女はそう言って手早く魔法を唱えてふたりの傷を癒すと、魔王を振り返った。

「ねえ、カルシャ。客室を使ってもらってもいいかしら」

「ああ」

「じゃ、少し待って。用意するわ」

 別にこのままここで、とターシスが止める間もなく、彼女は2階へと上がってしまった。考えていたよりも、魔王と呼ばれる魔族はお人好しなのだろうか。そういえば、アロイスがそんなことを言っていたこともあったようなと、ターシスは思い出す。

「夜中に突然押しかけたのに、すまない」

「いや、構わない。それよりもトラブルとは何だ?」

 もう一度魔王に視線を戻すと、こちらをじっと伺うように見ていた。ターシスをというよりも、ヴァリをというべきか。

「……太陽と正義の神の教会に、人間以外の種族を不浄とか弾圧すべきだとか言っている一派があるのは知ってるかい? 言うなれば、人間純粋主義というか……」

 魔王は続きを促すように頷いた。

「その一派が、東のほうで随分と本格的に活動していたんだ。モント湖のあたりに本拠となる教会でも建てようとしてるのかというくらいにね……驚いたのは、彼らが人間じゃない騎士を使ってることだよ」

「人間じゃない?」

 訝しむように顔を顰める魔王に、ターシスは頷く。教会が、しかも過激派が人間でないものを使うということを、にわかには信じ難いと感じるのは無理もない。

「正確には、通常の生き物なのかも怪しいという騎士だ。

 ……このあたりはまだ大丈夫なようだけど、あの騎士もどきには気をつけたほうがいい。そのうちここへも来るんじゃないかと思えるくらいには、呆れるくらいの頑丈さと馬鹿力で、剣の腕も悪くないからね」

「それが、どうして人間でないとわかった?」

「溶けたからだよ」

「──溶けた?」

 ひとつ息を吐いて、ターシスは続けた。

「そう、死んだら気味の悪いどろどろになって溶けてしまったんだ。死んだら溶ける人間……に限らず、そんな生き物が存在すると思うか?」

 その言葉に、魔王はかなり驚いたようだった。口元を手で覆い、考え込むように「溶ける」と呟く。

「教会がどうして人間じゃないものに手を出したのかは知らないけど、僕の姿変えの魔法も見破って襲ってくるくらいだ。君もここを出るなら気をつけたほうがいい」


「用意できたわ」

「ありがとう、感謝する」

 階段の上から掛けられた声にターシスは応え、もうひと働きかと簡単な強化魔法をかけてヴァリを抱き上げた。ヴァリはぴくりとも動かず、完全に意識を無くしているようだ。

「……恋人か?」

 不意に魔王に尋ねられて、少し慌てたようにターシスは振り向いた。

「いや。成り行きの同行者で……僕の息子の恩人だ」

「息子?」

「そう。今は別な場所にいるけど、彼女がいなかったら、たぶん助けられなかった」

 そう言いながらヴァリを抱えて立ち上がり、ふと彼女へ向かう魔王の視線に何かを感じる。……階上の魔法使いを見て、魔王の名前を聞いた時のヴァリの様子を思い出し、「ゆるふわ、か」と小さく呟いてから、ああなるほどなと納得した。ここに転移したのは失敗だったかもしれないが、他に思いつかなかったからしかたないな、と内心で考える。

 あの日、けじめをつけるとヴァリは言っていたのだから、ここでターシスがどうこう言うことでもないだろう。

 そのままヴァリを寝かせた後、与えられた部屋に落ち着くと、すぐに眠りについた。


 ヴァリは翌日になっても目を覚まさなかった。目を覚ますまではと、ターシスは魔王の屋敷に滞在することになり、その間、魔王と一緒にいた魔法使いエルネスティからふたりを襲った騎士もどきのことをについていろいろと細かく確認された。彼女には何かこの“騎士もどき”に対して心当たりがあるようでもあった。

 それから、魔王がここから移ると聞いて、少し驚いた。もう、“魔王”と呼ばれるのを止めにすると。

「……もしここを移るなら、アロイスにも教えてやってくれ」

「黒森の娘婿を知っているのか」

「ああ、彼には息子共々とても世話になってるんだ。アロイスから君の話を聞いたりもしたよ。年明けには彼の孫も産まれるし、たぶん春まではそこに留まるはずだ。顔を見に行けば喜ぶと思う」

「孫……そうか、王都の魔法使いの子か。では、そのうちにでも」

 魔王は少し嬉しそうに頷いた。

「“魔王”でなければ、君のことは何と呼べばいい?」

「カルシャと名乗ることにしている」

「わかった」


 ヴァリが目を覚ましたのは、それから丸2日後のことだった。


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