10.夏の終わりに
夏もそろそろ終わろうという頃、またエーメがやってきた。
「少し前のクラインリッシュの魔法設備の噂、本当みたいなのよねえ」
いつもどおり師匠をがっちり固めて逃亡を阻止する手際は流石だと思うけど、これをやるからますます師匠が逃げようとするんじゃないだろうか。
「お前はいちいち俺を押さえ込まなきゃ話もできないのか」
「なんていうか、シーロン様抑え込まないと物足りないというか落ち着かないというか……」
でも、いちばん悪いのはシーロン様が逃げようとすることなのよと言ってから、エーメは微笑みながら、けれど非常に名残惜しそうにゆるゆると腕を解いた。
「それで、さっきの続きなんですけど、その魔法設備を“解放者”を名乗る集団が狙ってるみたいでね」
「そりゃ、普通に考えて狙うだろうな」
「あの“陣”をばら撒いた魔法騎士も現れるっていう話があるから、“解放者”に密偵を何人か紛れさせておいたの。そのうち、はっきりしたことがわかれば報告が来るんじゃないかしら」
エーメはそれだけを告げると、今日はもう戻らなきゃならないのよ、と暇を告げた。また今度、ゆっくりしに来るわねとも残して。「来なくていい」という師匠の呟きは、たぶん、本気だと思う。
「……魔法設備なんてそんな大掛かりなもの、襲撃したくらいで壊せるんでしょうか」
「さあな。もしかしたら、壊す手段があるから襲うのかもしれない」
魔法設備というのは、だいたい大掛かりな魔法陣や魔道具をいくつも組み上げて作った、その場所から動かせないような巨大な魔道具の一種だ。動かせない分、普通はさらに大掛かりな魔法や建造物で厳重に守られる。師匠の話では、どんな魔法設備でも単純に壊すなんてことはまずできなくて、無理やり壊そうとするなら最低でも数人の魔法使いが数日がかりで行う大仕事になるらしい。
「だから、襲撃しました壊しました成功しましたみたいに簡単に済むはずはないんだが……それができるとなったら、クラインリッシュは終わるだろうな」
「終わるんですか?」
「あの国の戦力は半数近くが戦奴隷だ」
師匠はいつの間にかすっかり講義口調になっている。ぼくは、国が滅ぶというのがいまひとつピンとこなくて首を傾げた。戦争もあまり実感がないけど、国がなくなるというのはもっと実感がわかない。
「そいつらが全部解放されてなおかつ補充もできないとなったら、クラインリッシュの戦力は半分以下になるからな。シェアーネスは放っておかないし、アーバインやスケルモアリーだっていつまでも属国に甘んじちゃいないだろう。東の国々も黙ってないはずだ。ことによってはあちこち結託していっせいに襲いかかるだろうな」
「……南が、しばらく戦場になるかもしれないんですか?」
師匠は頷く。
「いかにクラインリッシュ王家が高位の魔法使いだといっても、数名の魔法使いにできることなんて高が知れている。クラインリッシュがなくなった後も、しばらくあの辺りは荒れることになるぞ」
……いつになったら、西へ帰れるくらいの情勢になるんだろうか。本気で10年か20年は無理なんじゃないだろうか……それじゃ、二度と会えなくなるひとだって出てくることになる。人間の寿命は短いっていうのに。
「焦るな」
とん、と背中を叩かれて、いつの間にか考え込んでしまっていたことに気付いた。
「シェアーネスが滅ぶんじゃないんだ、またすぐ西航路に安定して船を出すようになるさ」
「そうだといいんですけど」
「実際、交易で成り立ってる商人も多い。このまま船を出さないことはない」
「はあ……」
師匠はぼくの背中をどんどん叩きながらそう言うと、ふと何かを思いついたようににやりと笑った。
「そうだ、お前、今日から上級やるか」
「え?」
師匠は笑ったままだ。
「……師匠、何か変なこと考えてませんか?」
「いや? ここんとこしばらく放置してたからな、たまには師匠らしく教えてやろうかと思っただけだ。それに、そろそろ頃合いだろ」
「師匠らしく……」
全然師匠らしくない言葉に、少し驚いてしまう。
「なんだ、文句でもあるのか?」
「いえ」
慌てて首を振ると、師匠は、「なら、始めるぞ」とくるりと振り向いて歩き始めた。ぼくもすぐ師匠の後を追う。
久しぶりに師匠の講義を聴きながら、頭の片隅では西のことを考えてしまっていた。アロイス父さんたちは元気だろうか、エディト姉さんの子は無事に生まれたんだろうか、アラベラはどうしてるだろうか。
それに、父さんやヴァリはどうしただろうか。あの後、教会からちゃんと逃げられたんだろうか。目をつけられたりしていないだろうか。
「どうも身が入ってないみたいだな」
「あ……」
呆れたように師匠に言われて、思わず首を竦める。
「まあ、今日はあんな話を聞いたからな、仕方ない。大目に見てやるよ」
「すみません……」
師匠はひとつ息を吐くと、そうだ、と何かを思いついたようにぼくに向いた。
「お前、魔法は誰に習ったんだ? 正式に魔法使いの弟子になったことはないんだろう?」
「ええと、義理の母です」
「その義理の母ってのは魔法使いだったのか」
「いえ。村の薬師兼医者みたいなのが本業ですけど。母さんも魔法は魔術書からの独学だって言ってました」
師匠は軽く驚いたように目を瞠った。
「それにしちゃ、随分しっかりお前に基礎を叩き込んだんだな」
「そうですか?」
「ああ、独学だったりすると、普通どこか穴があったり適当だったりするんだが、お前を見てるとあまりそういうのがない」
「はあ……。母さんも、幼い頃ひとりになってから毎日祖父の遺した蔵書を読んで魔法の練習をしてたって言ってましたけど」
ひとりで、と師匠は呟いて、なぜか眉を顰める。
「……思ったんだが、お前も含めて、お前の周りのやつって皆結構不遇じゃないか?」
「そうですか?」
思ってもなかったことを言われて、ぼくも驚いてしまう。
「……西の魔族では、わりと普通だと思うんですけど。纏まってるよりばれにくいから、だいたい血縁でもばらばらに暮らすことが多いって聞きますし」
「……それを普通だと思うお前の感覚がおかしいと思うんだが」
「そうですか?」
「こっちじゃ、どの種族も成人して独り立ちするまでは普通に親元にいるもんだ。独り立ちできるようになった後も、しばらくは一緒に暮らしてたりするしな。魔族なら……そうだな、だいたい少なくても30年くらいは親元にいるんじゃないか?」
「そんなに、ですか?」
30年といったら、とっくの昔に独立してひとりで行動してる歳だ。親元にいるなんてありえない。
「西と東で、そんなに違うんですか……」
東はほんとうに魔族でも追われたりしないで生きていけるんだな、と思う。うちみたいに、魔族の血縁があんなに固まって生活してるのは、ほんとうに稀なことなのだ。
「フェリスなんて、まだ赤ん坊のうちに親がいなくなったのに……」
「俺からすれば、なんで西はそんなに魔族が暮らしにくいのか、さっぱり理解不能だ」
「ぼくもよくわかりません。エディト姉さんは、皆、魔族をよく知らないから無駄に怖がってるんだって言ってましたけど」
師匠は、「それだけでそこまで追われるもんかな」と首を捻った。
「ユールさん……姉さんのとこにいる魔族の魔法使いも、勝手に怖がって勝手に逆上してるだけだって言ってますけど」
「……西はめんどくさいところなんだな」
師匠はさらに呆れたという顔で、はあ、と溜息を吐いた。
それからしばらく、なぜか師匠はぼくのことについて、あれこれと聞き出していた。ほんとうに、今日の師匠は師匠らしくないなと思った。
そろそろ日が傾き始める頃、カイヤが「お客さんが来たよ」とぼくと師匠を呼びに来た。師匠にちょっと出てこいと言われて頷き、玄関へと向かうと、そこにいたのは……。
「デルト!」
「……え? ヴァリ……それに、父さんまで」
予想もしなかったふたりがいて、ただただぼくは呆然としたまま立ち尽くしてしまった。





