9.お祝いの日
暑さも大分峠を越えたなと思う頃、朝起きると、久しぶりに師匠が部屋を出て居間の長椅子に転がっていた。
こんな時間に居間で師匠を見るのは、実に半年ぶり近いんじゃないだろうか。
「おはようございます。どうしたんですか」
「……詰んだ」
「あの“陣”ですか?」
「もう詰んだ。せめてあとひとつ……いや、ふたつ別なのがあればわかりそうなのに、どう考えても詰んだ。無理だ。……どっかに別なやつ落ちてねえかな」
ぶつぶつと天井を睨みながらそんなことを呟く師匠は、本気で煮詰まってしまったんだろう。ここひと月くらいは夢の中にまであの“陣”が出てくるのだと言っていたっけ。
「少し外でも歩いてきたらどうですか。ここ数ヶ月、まともに外出てないですよね」
「俺はインドア派だから問題ねえな。それより本当に他にないのか。陛下隠してたりしないよな」
「さすがにそれはないと思いますけど」
あの“陣”の模様の配置には法則性があるようだ……というのは見てすぐにわかった。だけど、配置されてる模様が文字なのかなんなのか、どんな単位で分解できるのか、いろいろ試してみたものの結局サンプルが少なすぎて解析にまで至らないという状況はずっと続いていた。
もっと他に別なのがないか探せと言ったところで、エーメからは「そんなこと言われても困るわあ」としか返ってこないし、もちろん探してはいても、あれを齎したという魔法剣士だって、時々戦場に現れるという以外、根城どころか行方すらもわからないのだ。広めた本人がいないうえ、あれ以外に出回っている“陣”もないという現状では、本気で手詰まりだった。
「くそ、やめた。しばらくほっとくことにする」
「いいんですか?」
「もう思いつくことはやり尽くした。あとはほっといて、また何か思いついた時に試すことにするさ。これ以上は時間の無駄だ」
見切りをつけた時の師匠の決断は早い。エーメにも「これ以上調べてもわからんものはわからんと陛下に言っとけ」と伝達魔法を送っていた。
「結局、“陣”て何なんでしょう」
ぼくが何気なくそう呟くと、師匠から「わからん」と返ってきた。
「魔力を使うものだってのはわかるが、あれは魔法とは言い難いな。なんせ、使用者が魔法使いであることを想定してない」
「そうなんですか?」
「でなきゃ、あんな言葉にほんの申し訳程度の魔力を流すだけで動くものなんかにしないな。少なくとも、あれを作ったのは魔法使いじゃないぞ」
「魔法使いじゃない?」
「ああ。魔法っていうのは、自分の内に溜まった魔力に形を与えて何かするものだ。だから、魔法使いになれるのは一定以上の魔力をもった者だけ……ってのが、大前提なのはわかるよな? その前提があるから、魔道具も魔法も一定の魔力を持つものしか使えない。例外は、“魔力付与”された魔道具だけだが、あの“陣”は別に魔力を付与されてるわけでもない」
「じゃ、なんであれっぽちの魔力で魔法解除なんて……」
師匠は起き上がり、ぼくを見る。
「お前、あの“陣”をエーメが発動したとき気付かなかったか? あれは周りに漂う魔力を集めて、その魔力で魔法を発動してたんだ。
──そんな魔道具、俺は今まで生きてて見たことがないよ」
師匠の言葉に目を見開く。
「周りの魔力を集めて……って、そんなことできるんですか?」
「そのための魔法陣を組んで、そいつを発動させる魔法を使えばできないことはない……が、今言ったとおり、あの“陣”みたいな単独の魔道具で、しかも集積だけじゃなく、他の魔法と組み合わせて発動させるなんてものは初めて見た。
……この歳になって初めて見たばっかりかよ。俺の残り寿命足りるのか?」
あーくそ、寝る、もう風呂入って寝る──と騒ぎ出す師匠に風呂を用意してから、ぼくは皆の分の朝食も用意しておいて、日課になっている魔法の訓練を始めた。
そこから一時ほど過ぎたところに、シェーラが今日もやって来た。
「おはようデルト。カイヤは?」
「おはよう。部屋にいるんじゃないか?」
「あら、朝ごはんそのままよ? まだ起きてないの?」
「あれ、まだ寝てるのか?」
「いいわ、私が起こしてくる!」
勝手知ったるなんとやら、とばかりにシェーラは元気よく二階に上がり……すぐにまたばたばたと階段を駆け下りて戻ってきた。
「おい、家の中で走るなよ」
「デルト! ちょっと盥にお湯沸かして! 早く! 小さいのでいいから!」
「え?」
「え、じゃなくて早く!」
そんな注意などまるで耳に入らないと言わんばかりのものすごい剣幕でシェーラに言われ、ぼくは面食らった。慌ててお湯を用意してカイヤの部屋の前まで運ぶと、盥を受け取ったシェーラは「いいっていうまで入ったらだめだからね!」と、カイヤの部屋に引きこもってしまう。
「何なんだ……」
呆然とするぼくの横にレヒターがひょこひょことやってきた。「なんかすげえ勢いだったな」と言いながらしばらく中を伺うように扉を見た後、「ああ、これはあれだな」とひとり頷く。
「何か心当たりでもあるのか?」
「俺の口から言うのはたぶんデリカシーに欠けるからやめとく」
まさかレヒターの口からデリカシーなんて言葉が出てくるとは思わなかった。訳知り顔に、再びうんうんとしきりに頷くレヒターに首を傾げながら、ここに立ってても仕方ないかと、ぼくはまた下に降りた。
それからさらに一時くらい経って、ようやくシェーラとカイヤが降りてきた。もう昼だ。
「お腹すいたー! デルト、ごはんある?」
降りてきて開口一番それか、と思いながら、ぼくは鍋を火にかける。
「温めるから、少しまってろよ」
当然のように食卓に座るシェーラに、すっかりここの住人のつもりだなと思う。カイヤが来てからというもの、早ければ午前中のうちからやってきては、ふたりで刺繍をするようになったのだ。今度は、カイヤがうろ覚えの刺繍の模様を再現しようと頑張っているらしい。
そんなことを考えながら朝の残りを手早く温めて出すと、ふたりともかなりの勢いで食べ始めた。食べ始めてすぐ、あ、とシェーラが何かを思いついたように声を上げる。
「デルト。今晩はご馳走作ってね」
「ご馳走?」
「そうよ。だってカイヤが成人したんだもの。お祝いしなくちゃ」
「成人?」
なぜかシェーラが得意げな顔で頷き、カイヤがにへらと笑う。
成人、成人……と考えて、ようやく、ああそういうことかと思いついた。今日ばかりは、シェーラが来るのが早くてよかったかもしれない。
「そうか、おめでとうカイヤ。じゃあ、今夜はカイヤが食べたいものを作るよ。何がいい?」
「……肉!」
きらきらを目を輝かせるカイヤに、ついぷっと吹き出してしまった。尻尾も左右にぶんぶんと振られている。カイヤのご馳走は肉なのか。
「そっか、肉か。わかった。いろいろ用意するよ」
つい笑いながらそう言うと、カイヤはこくこくとすごい勢いで頷いた。横から袖をひっぱられてそっちを見ると、シェーラもなぜか期待に満ちた目でこっちを見ている。
「ねえねえ、今夜は私もここで一緒にお祝いしたいわ」
「構わないけど、ちゃんと家には知らせて来いよ」
「わかってるわ。ちゃんと一度帰って用意して来るから、大丈夫よ」
ねえ、とカイヤと顔を合わせて頷くのを見て、ふと、姉妹みたいだなと思う。
「なんか、シェーラも妹ができたみたいにしっかりしてきたな」
「あら、私はもともとしっかりしてるわ。デルトがちゃんと見てないだけよ」
シェーラは「それに、カイヤは私の妹分だもの、面倒見るのは当然ね」と、ぐいっと顎を上げて澄まし顔を作った。
夕方になってふああと欠伸をしながら師匠がようやく起き出してきた。朝は冴えなかった顔色も、すっかり良くなっている。それにしても髪の毛がぼさぼさのままだ。起き抜けのまま服だけ替えて降りてきたのだろう。
「師匠、顔くらい洗ってから出てきてくださいよ」
「どうせもう誰も来ないだろ……なんだ、今日はなんかあったのか」
水を飲みながらテーブルの上に並んだ皿を見て、師匠は少し驚いたように目を瞠る。
「今日、カイヤが成人したんです」
「……ほう」
「シェーラがいろいろカイヤの世話してくれたから、なんとかなりました。それで、今日はお祝いなんですよ。シェーラも来るっていうから、ちゃんと身支度を整えてきてください」
「はいよ。なるほどな……それにしても、肉ばっかりだな」
「カイヤの希望ですから。師匠には別に用意してあります」
「そうか……それにしても、お前だいぶ器用になったな」
「……師匠のおかげですよ」
ここへ来た当時は、家事なんて基本的なことがやっとだったけれど、師匠に丸投げされたおかげですっかりどうとでもこなせるようになってしまった。いいことなのかどうなのか。
「師匠の弟子使いが荒いから、おかげさまでいろいろできるようになりました。もうどこに行っても困らないんじゃないかって思います」
「そうか、なら俺に感謝しろよ」
「そうですね。あ、つまみ食いはやめてください」
ちらりと師匠を見ると、ちょうどチーズをつまみあげようとしているところだった。
「……なんかお前、だんだん可愛げ無くなってきたよな」
「大人になったってことですかね」
人型になったレヒターを呼んで皿を運ぶように言うぼくの横で、師匠は、「大人じゃなくて、小憎らしい子供に進化しただけだろ」とまたひとつ欠伸をする。まだ目が覚めきってないんだろうか。
その日の夜は、穏やかだけど賑やかな晩餐になった。





