8.不穏なしらせ
「デールトくーん」
声が聞こえたと思った瞬間、反射的に身構えたがやっぱり今日も関節を極められて取り押さえられてしまった。いつもながら見事な体術だと思う。
どうやらエーメは陛下から師匠の様子をまめに確認するよう厳命されたらしく、ちょくちょくこの屋敷へ来るようになった。だが、来ても肝心の師匠は部屋にこもりきりなので、こうしてぼくに組み付いて関節を固めるくらいしかやることがない。
「ねえ、どう? これからお姉さんといいことしない?」
「……エーメさん、いい加減にしてくれませんか。また新しい技を思いついたとかですか」
耳に口を寄せて囁く内容に思わず半眼になってそう返すと、エーメは「えー」と口を尖らせた。
「デルトくん、ちょっとつまらないわあ。もっといろいろ反応して、お姉さんを喜ばせてくれてもいいのに」
「何を期待してるんですか」
「ええと、あふれる青少年のリビドー的な何かとか?」
「……シーロン師匠なら、まだ当分部屋から出てきませんよ」
エーメはいつものように、うふ、と笑って、「今日は遊びに来ただけよ」と言った。
「それは構わないですけど、いい加減来るたび関節固めるのやめてくれませんか。結構本気で痛いんですけど」
「……デルトくんにも教えてあげようか。わりといい線行くと思うのよね。身体も柔らかいし」
「え」
「あ、興味出たわね? お姉さん、デルトくんみたいなかわいい男の子ならいつでもウェルカムよ」
「……なんだかやる気が失せました」
「やっぱりデルトくんて年の割に淡白で、お姉さんつまらないわ。ところでカイヤちゃんは?」
「たぶん中でシェーラと刺繍してると思います」
意外すぎることに、シェーラの特技は刺繍だった。カイヤが一族の飾り刺繍を習えないままだったと話したら、それなら服に刺してある刺繍を見よう見まねで覚えればいいじゃないと、シェーラが提案したというのだ。それ以来、時間があるとこうやってふたりでああでもないこうでもないと、カイヤの服の複雑な刺繍を再現すべくがんばっている。
これも意外だったけれど、シェーラとカイヤは結構気が合うらしい。
どっちにしろ、カイヤのおかげでシエーラがぼくにやたらと絡むことがなくなったので、とても助かった。代わりにエーメがこうして絡むけど。
そのエーメは、急に真顔になって、ぼくに絡めていた腕を解き、声を潜めた。
「なら、今のうちにちょっとだけ話をしておくわね」
「え?」
いつもとは違うようすに、ぼくも思わず居住まいを正してしまう。
「南の戦況が変わってきてるの。解放された戦奴隷たちが“解放者”を名乗って、クラインリッシュの中でどんどん戦奴隷を解放していってるようなのよ、あの“陣”を使って。おかげでシェアーネスとのバランスも崩れて、だいぶ押されているみたい。
それで、うちも戦線布告して、この際クラインリッシュの支配の魔法設備を破壊してしまうのはどうかって言い出すものが、少なくない数出てきてるのね」
「──つまり、戦争になるかもと?」
「ええ、そう。ただ、肝心の魔法設備が隠されてて所在がわかってないから踏み止まってるってだけよ。あれをなんとかしないと、結局同士討ちになっちゃうだけだから。
……本当はこの話、シーロン様の耳に入れておきたいんだけど、あの調子だからまずデルトくんに話しておくわね」
クラインリッシュはもともと東大陸全土を支配していた古い帝国の直系で、その帝国を支配していた皇帝の子孫がクラインリッシュ王家なのだ。今ある東大陸の国々のほとんどが、帝国が勢いを失った隙を見て独立したのだということもあり、クラインリッシュには未だにこの東大陸は自国のものだという意識が強いらしい。
そして、今ではすっかり領土も狭くなって一時の勢いもなくなったもと帝国のクラインリッシュが、なぜ未だに強国として恐れられているかといえば、帝国の遺産である“支配の魔法”とそれを生み出す魔法設備があるからなのだ。クラインリッシュの“支配の魔法”はとても強力で、一度かけられたら高位の魔法使いが手を尽くしても解けるかどうかというほどであり、その魔法で支配されたものはクラインリッシュのどんな無茶な命令にも従うようになってしまうという。
──しかし、その強力な魔法が、この前エーメが持ってきた“陣”を使うと、魔法使いでもないものの手によってであっても一瞬で簡単に解けてしまうのだ。クラインリッシュの軍部はさぞかし慌てていることだろう。
考え込むぼくに、エーメがさらに続ける。
「あんまりいい知らせじゃないけど、参戦てことになったら、間違いなくシーロン様は招聘されるわ。もちろん、あなたも込みでね。だから、今から覚悟しておいて」
「覚悟……」
エーメの言葉に、ついごくりと唾を飲み込んでしまう。
西大陸では、もうずっと戦争なんて起きてない。確かに魔物が襲ってきたり盗賊が出たりはあるけれど、何せ王国がほぼ全土を掌握しているから、戦争なんて起こりようがないのだ。たまに領主同士の小競り合いはあるが、それは大した規模にはならないし、すぐに収まってしまう。
だから、戦争が起こると言われてもぼくには今ひとつピンと来なかった。
「そうよ。たとえば、戦場に行ったら命令一つで敵軍に向けて大規模魔法を使ったり、あなたの意思に反した命令に従わなきゃならないこともあるでしょうね。でないと、自軍がやられてしまうからって」
エーメはそれから、ふふ、と笑った。
「そうは言っても、シーロン様が前線に出ることはないだろうし、そうなればあなただけ前線に行かされることもないと思うけどね」
「そうですか……」
「それとね、じきにシーロン様の耳にも入ると思うけど、クラインリッシュの魔法設備のひとつの所在が明らかになったっていう噂があるの」
「え? それじゃ……」
「いえ、それだけじゃまだこの国が参戦するには根拠が薄いわ。それに、ここに来て急にどうしてそんな情報がっていう裏付けもまだ取れてないし。だから、状況次第だけれど、シーロン様が呼び出されて、調査に加わる可能性もあるって考えておいてね。
……その時は、あの部屋から引っ張り出さなきゃならないのが面倒だけど」
「なんだか、いっきにきなくさくなりましたね」
「そうねえ。ここ数年はずっと小競り合いくらいだったのに、“陣”がばら撒かれたからにしても、クラインリッシュは何を焦ってるのかしらね。
あーあ、私、あと200年くらいかけてのんびり宮仕えをこなしつつ、将来有望な旦那を見つけようと思ってたのに、計算狂うわあ」
このひとはいったいどこまで本気なんだろうか。もしかして全部だろうか。
「デルト、見て見て!」
自分を呼ぶ声と、ばたばた走り寄る足音が聞こえてきて振り向くと、シェーラとカイヤが走り寄ってきた。何故か人型に化けたレヒターまで一緒だ。
「よう、エーメが来てたのか」
「あら、レヒターなの?」
何やら凝りに凝った刺繍を刺したワンピースを着たレヒターが、口調はいつものままエーメに手を振る。
「なんでお前そんな格好してるんだ?」
「俺は今モデルやってるんだぞ。どうだ、この力作」
何故かレヒターは得意そうな顔で、くるりとその場で一回転した。ワンピースの裾がひらりと広がり、一面の刺繍が目に入る。
「……そういえば、その服の刺繍って」
「私とシェーラで刺したんだ。さっき完成したんだぞ」
「どう、すごいでしょう!」
口々にそう報告するふたりの言葉に、どこかで見たことがある刺繍だと思ったら、カイヤの服にあったものと同じ模様であることを思い出す。
「あら、これはちょっとすごいわよ」
エーメも驚いた顔でまじまじとスカート部分の刺繍を見つめた。
「ふたりともすげえがんばったからな、いっぱしの職人並だぜ」
レヒターはまるでこれが自分の手柄であるかのように腰に手を当てて踏ん反り返った。もし、今、竜の姿だったら、きっと地面を尻尾でピシピシ打ちながら、得意げに胸を反らしてるに違いない。
「確かにこれはすごい。カイヤはともかく、シェーラにこういう特技があるなんて、未だに信じられないけど」
「なんだか失礼なこと言ってるわね。でもこれで私を見直したでしょ? もう私のこと無視なんてできないわよ」
「ああうん、そうだね。すごいすごい」
適当にシェーラの言葉を流しながら、模様の細部までじっくりと眺めて出来栄えに感心する。どれだけかけて、これを刺したんだろう。
「ちょっと、適当に言うなんてますます失礼だわ!」
「でも、デルト、シェーラのおかげで、私の家の飾り刺繍がちゃんとできるようになったんだ」
ほんとに失礼だわと憤慨するシェーラと嬉しそうに笑うカイヤを見て、ぼくは目を細める。戦争なんて、このままずっと起こらなければいいのに。
「……デルトはシーロン様の弟子、ってことは将来有望ね。おまけに、オプションで美少女にも美少年にも化けられる妖精竜まで付いてくる、と」
「何考えてるかわかったけど、断固却下です」
「あら残念」
さりげなく危険なことを考えていたらしいエーメは、うふふと笑って肩を竦めた。





