7.国王の使い
領主にカイヤのことを報告すると、すぐにこのまま師匠のところに預けられることとなった。師匠はなんだかんだと面倒がって抵抗したようだけど、満面の笑みを浮かべたオスロス領主ミルドレッド様が、「もう決定だから」と言い放ったところで諦めたらしい。
「そういうことだから、お前がいろいろ教えてやれ。お前なら狩りもできるんだ、ちょうどいいだろう」
そう言っていつもの雑事のようにぼくに丸投げして、師匠自身はすぐに普段どおりの生活へと戻った。忙しくなるのはぼくだけか、とも思ったけれど、意外にも、家事雑事についてはカイヤがあれこれと手伝ってくれるようになったので、少しどころではなく助かっている。食べるだけのレヒターよりはずっと働き者だし、気も利いている。
冬の間はカイヤにここでの家事のやり方や道具の使い方を教えたり、ぼくの剣の訓練に付き合ったりでほとんど終わってしまった。カイヤの飲み込みが早いおかげで後半はだいぶ楽になったけど、用心のため狩りはもちろん山にも出られず、父さんが気晴らしに山に行きたがる理由を少しだけわかった気がする。
その冬が終わる頃、突然、アドルファスともうひとり、彼とは少し違った騎士服を着たひとが師匠を訪ねてきた。小柄な魔族の女のひとだ。ゆるく波打った黒髪を背中のほうでゆったり纏めている。
「やあ、デルト」
「あなたがシーロン様の弟子? 私は魔法騎士エーメよ。よろしく」
アドルファスの挨拶に続いて、もうひとりの騎士……魔法騎士エーメからにっこりと笑って手を差し出され、「魔法使いシーロンの弟子デルトです、よろしく」と握手を交わす。
それにしても魔法騎士? ヴァルツフートには、そんな騎士団があるんだろうか。
「師匠に何か用件でしょうか。まずは、中へどうぞ」
いつもの来客があったときのようにふたりを案内しようとしたら、エーメが少し慌てるようにぼくの腕を掴んで引き止めた。
「ちょっと待って。このまま直接行きたいから案内してくれるかしら」
「え?」
「今日は陛下からのラブレターを持ってきたの。先に確認なんてされたらシーロン様が逃げてしまうわ。このまま案内して、ね?」
拝むように手を合わせたエーメにウインクされて、どうすればと少し戸惑ってしまう。
「はあ……」
って、陛下からのラブレター? 陛下?
「……陛下って、国王陛下?」
「そうよ。だから気づかれないように、そっと案内してね」
くすくすと、今度はすっと伸ばした人差し指を口の前に立てて、エーメは小さく笑った。
「師匠、いますか?」
この時間なら間違いなく居間の長椅子だろうとあたりをつけて扉を開けると、いつも通りだらだらと寝そべったまま魔術書を広げた師匠が、「なんだ?」と顔を上げた。
「ええと、師匠、おきゃ……」
「シーロン様、お久しぶりー!」
「げっ」
ぼくの声を遮るようにいきなりエーメが素っ頓狂な声を上げて転移した。
師匠の上に。
次の瞬間には、何かする間もなく、ぐえ、と変な声を出して、師匠は長椅子の上でエーメに押しつぶされている。
「……お前何しに来た。なんで俺の上に転移するんだよ」
「うふふ、だってこうでもしないとシーロン様逃げるじゃない」
「当たり前だ。お前が来るとだいたいろくなことがない」
「あら酷いわ。今日は陛下のお遣いなのに」
呆気に取られる僕の前で、エーメは微笑みながらふざけているように見せつつ……けれどうまく師匠の腕までがっちり取って、魔法を使えないように抑え込んでいた。エーメは小柄で華奢だからあまり力がなさそうに見えるのに、師匠はまったく動けないようだ。しかもあっという間もない隙にだ。
「……すごい」
「エーメはああ見えて対魔法使い戦の第一人者だから……」
アドルファスがこめかみを抑えながらため息まじりに、ああやって魔法使いを無力化するのが得意なんだ、と小さく言った。傍目にはじゃれついてるようにしか見えないんだけど。
後ろからひょこっと覗いたレヒターも、「すげえな。要点しっかり押さえてるぞ。あれじゃ絶対動けねえ」と感心していた。
「はい、これ陛下から。見ないとものすごーく損すると思うの。だから受け取ってくださいな」
片手で器用に服の間のあらぬ場所から書簡を取り出すと、エーメはすっと師匠の目の前に差し出した。師匠は観念したように溜息を吐く。
「……わかった、受け取るしちゃんと見るから上からどけ。年寄りに無茶なことするなよ。腰痛めたらどうすんだ」
「その時は責任とってあげるわ」
「それは断固拒否する」
エーメが降りると、ぶつぶつ文句を言いながら師匠はゆっくり起き上がった。いてて、と腰を鳴らしながらエーメの差し出す書簡を受け取って、封蝋の印章を確かめるとその場で開け始める。
「──なんだこれ」
出てきた羊皮紙を眺めて顔を顰め、師匠はエーメに目をやった。
「あらシーロン様知らないの? 最近流行りの支配解除の“陣”なんですって、これが」
「“陣”?」
「説明はちょっと大変よね……ちょっとデルトくんこっち来てくれるかしら」
「はい」
にこやかに手招きされて目の前に行くと、「少しじっとしていてね」といきなり魔法をかけられぴくりとも動けなくなった。目すら動かせず、正面しか見ることができない。
「シーロン様、それ貸して」
エーメはシーロンが差し出した羊皮紙をぼくの足元に置くと、魔力を乗せて言葉を紡いだ。ちょっと変わった響きの言葉で、これから何が起きるのかと考えると変な汗が出てくる。
「“封じられしものよ。捻じ伏せられしものよ。今こそその枷を外そう。お前は頸木より放たれ、再び魂の自由を得る”」
たちまち羊皮紙の“陣”から青い光が放たれて、ぼくを縛っていた魔法がすっと消えた。解除魔法で解いたのとは違う、ほんとうに“消えた”というのがしっくりくるような印象だ。
「なんだ今の。見たことねえ魔法だったぞ」
レヒターがあんぐりと口を開けて驚いた顔をしている。ぼくも、この感じは初めてだというのに気づいた。
「これがね、クラインリッシュの支配の魔法を完璧に解除するんだっていう触れ込みで出回ってるの。実際、支配から逃れたものが広めてるらしいわ。
それに、使い方はさっきの通り超簡単。大した魔力も必要ないから、魔力の扱い方さえちょっと練習すればほぼ誰でも使えるわね。作るのも、この紋様を正確にきっちり写せばいいっていうお手軽さですって。でもね」
うふふ、とまたエーメは笑う。
「だーれも、まだこれがどういうものか解析できてないの。何しろこれを齎したのは、見たこともない種族の、見たこともないような魔法を使う魔法剣士だったらしいわ」
師匠の興味はすっかり持って行かれたようで、視線は羊皮紙に食いついたままだ。ぼくも、正直なところかなり興味を惹かれている。
「そういうわけで、シーロン様、この魔法の解析してちょうだいっていう陛下からのお願い、よろしくね」
「わかった」
ほとんど上の空で返事をして、師匠は羊皮紙を眺めたまま居間を出て行き、そのまま自室へと篭ってしまった。あのようすではきっと当分出てこないだろう。食事を気をつけないといけないな。
「あの、デルト、お茶を淹れたんだけど……遅かったか?」
師匠と入れ違いに、かちゃかちゃと盆に人数分のカップとティーポットを載せてゆっくりとカイヤが入ってきた。困ったように眉尻を下げて、出て行った師匠と残ったぼくたちを見比べている。
「まあ、いただきたいわ。さすがに喉が渇いたなって思ったところだったの。ありがとう」
エーメは手を叩いてにっこり微笑むと、所在無げに立ったまま、どうしたものかとおろおろするカイヤから盆を受け取り、さっそくテーブルにカップを並べ始めた。ぼくが慌ててとっ散らかされたままの魔術書を片付けながらちらりと見ると、カイヤは少しほっとしたようだった。
「シーロン様はたぶんこのまま戻ってこないから、あなたも一緒にいただきましょう?」
エーメに言われてカイヤが視線を寄越す。ぼくは、まあ問題ないだろうと頷いた。
居間はなぜか即席の茶会のようになった。アドルファスはカイヤにここでの生活のことをゆったりと尋ねていて、エーメはさっきの師匠に対するような調子で、今度はぼくに対してあれこれと質問を投げかけてくる。
「デルトくんは、西から来たんですって? エヴィにここへ送られたって本当なの?」
「そうです。ちょっとトラブルがあったので」
「あら、トラブルって?」
「……あっちは、魔族だってばれると大騒ぎなので」
「そうらしいわね」
あれこれ根掘り葉掘り聞かれることに適当に答えていると、「そういえば」とエーメは何かを思い出したように、ふふっと笑った。
「エヴィは西で“運命のひと”に出会えたのかしら。デルトくんは何か聞いてる?」
「“運命のひと”?」
突然湧いて出た予想外の言葉にぼくが思わず聞き返してしまうと、エーメはまた、うふ、と楽しそうに笑った。
「エヴィってばずーっと言ってたのよ。自分は“運命のひと”を探してるの、って。あの子見た目によらず、そういう乙女なこと大好きだから」
「はあ……」
そういえば、しきりに乙女心がどうとかって言ってたな。
「で、とうとう西まで遠征して、どうしたかしらって少し気になってたのよ。何か聞いてない?」
これはなんだか面白がってる顔だな、と思う。ユールさんの笑顔にそっくりだ。
「さあ……それだかなんだか知らないけど、何かちょっとあったみたいで、髪切って呼び名をヴァリに変えてました」
「──名を変えた? 髪も切った?」
とたんにエーメはどこかあらぬ場所を睨むようにしてじっと考え込んだ。
「……運命を見つけたけど、何かあったってことね」
どうやら、エーメはぼくが考えてるよりもヴァリのことをよく知ってるようだ。
「振られたのか……運命とか気のせいだったのか……どっちの確率も高いから油断できないわ」
「……ゆるふわ」
「え?」
ふと、あの時、ヴァリがやたらとこだわってたことを思い出す。
「……そういえば、ぼくと父さんに絡んで、小さくて、ふわふわの、かわいい女の子がいいのかと、やたら聞かれたん……」
言いながら、エーメを見る。ふわふわの波打つ黒髪に、小柄で華奢だけど女性らしい身体。たぶん、騎士服ではなく普通の服なら、かなり女の子らしい女の子に見えるんじゃないだろうか。
じっと見ていたら、「あ」とエーメは何かを思い出したような顔になり、ぶつぶつと何やら呟き始めた。
「やだわ……まさかあのことまだこだわってるの……?」
「何か心当たりあるんですね」
「え、まあ、ちょっと……」
気まずそうな顔になるエーメに、これは聞くとめんどくさいことになりそうだと感じて、「言わなくていいです」と、つい反射的に答えてしまった。
「エーメさんは、ヴァリの友人なんですか?」
「え? ああ……私はあの子のこと嫌いじゃないけど、たぶんあの子は私のこと嫌ってるんじゃないかしら。
あんまり相性が良くないみたいなのよねえ。どうも、あの子から私が合わないみたいっていうか。私はそんなことないと思うんだけど」
エーメは困ったように笑う。あのヴァリが相性云々でひとを嫌うっていうのがなんだか想像できない。できないけど、まあ、ひとにはいろいろあるんだろうなとも思う。
「それよりデルトくん」
「なんですか?」
「あなたにも、近々陛下のお声がかかるかもしれないから、覚悟しておいてね?」
「──は? どうしてですか?」
「だって、デルトくんはあのシーロン様の弟子よ。陛下も、とうとうシーロンが弟子を取る気になったのかって興味津々なの。しかも今日知ったけど、妖精竜を使い魔にしてる魔法使いの弟子なんてなかなかいないわ。だから、そのうち話がしたいって言い出すと思うから、その時はぜひよろしくね?」
たぶんこれは絶対ノーとは言えないんだろうな、と思いながら、ふふ、と微笑むエーメを見て、ぼくは溜息を吐いた。





