2.領主の末娘
翌日から、意地になったのか何なのかわからないけれど、ぼくの魔法の訓練が終わった夕刻のころを狙ってシェーラが現れるようになった。なぜそこまでぼくが剣を使う理由に拘るのかさっぱりわけがわからない。しかし、毎日毎日しつこく尋ねられてほとほとうんざりして、絶対に教えるもんかという気になってしまった。
最初はそれでもシェーラに話しかけられるたびに返事をしていたけれど、3日目が過ぎたあたりからは返答するのも億劫になってしまい、10日もすると「また来たんだ」とだけ言って、シェーラが一方的に話しかけるのを聞き流すようになった。
シーロン師匠はそんなぼくたちのやり取りに関心があるのかないのか、今のところ口を出す気はまったくないようだ。
「デルト! 今日は兄さまも一緒に来たのよ!」
ぼくがシェーラを相手にしなくなって数日後、まったくめげたようすのないシェーラは兄である騎士アドルファスを連れてシーロンの屋敷へとやってきた。剣を振る手を止めてまさかと振り向けば、確かに王国騎士のお仕着せを着た兄のアドルファスを後ろに従えたシェーラが、とても得意そうな顔でぼくを見ている。
「これで私を無視できないわね?」
してやったりという顔でそう述べられてさすがに呆れを隠せず、「まさか、そのためだけにアドルファス様を引っ張ってきたのかよ」と言ってしまった。
騎士アドルファスは困ったようにシェーラを見てから「君がシーロンの弟子のデルトか。いつもシェーラが世話になっているようだね」と、ぼくに右手を差し出した。さすがにアドルファスまで無視することはできなくて、ぼくは少しだけ逡巡したあと、その手を握る。
「別に世話なんてしていません。シェーラがなぜかここに来てるだけです」
「そうか。……シェーラが、君が騎士の剣を使うから見に行こうとうるさくてね、邪魔をしてしまってすまないな」
騎士アドルファスが軽く肩を竦めて眉尻を下げると、後ろに撫でつけられていたシェーラと同じ色の赤毛が額にぱらりと落ちた。
「いえ、別にアドルファス様が邪魔をしてるなんて思いませんから」
「そうか、ならいいのだけど。
ところで、先ほど少し見たところでは、確かに君の剣の型は騎士がよく学ぶものに似ているね。君の家族に騎士をしているものでもいるのかい?」
「……ぼくの最初の師匠が、正式な騎士の剣の基本を教えてくれただけです」
ぼくが西の大陸から来たというのは、まだシーロン師匠しか知らないことだ。西出身のぼくが騎士の血縁だということはありえない……普通なら。魔族であるぼくに対して騎士の子なのかという発想がでるのは、さすが東大陸だと思う。
「へえ? 君の“最初の師匠”ということは、もともと君は剣士を目指していたのか?」
「……そんなところです」
「──魔法使いの弟子になった理由を聞いても?」
はあ、と溜息を吐いて、やっぱりシェーラの兄なんだなと思いながら右手を差し出すと、アドルファスは首を傾げながら、さっきの握手のようにその手を握った。ぼくは渾身の力を込めてその手を握り返す。アドルファスはいったい何をしているのかと少しだけ訝しげな顔をしてから、急に目を瞠った。
「こういう理由です」
「……君は、左が利き手じゃなかったんだな」
「兄さま、どういうことなの?」
ぼくらのやり取りの意味がわからず、ひとり置いて行かれたと感じてか、イライラした声でシェーラがアドルファスの腕を引っ張った。アドルファスはそんなシェーラを片手で押しとどめる。
「じゃあ、もういいですか?」
「ああ、邪魔をしたね……あ、いや、もうひとつだけ聞いてもいいか?」
「なんでしょうか」
「君は、剣士になることを諦めてないのか?」
思わず目を眇めるぼくに、アドルファスはふっと笑った。
「──西の大陸の、魔王と呼ばれる魔族のことを知ってますか?」
「噂だけなら、聞いたことが……」
ぼくの唐突な質問に、アドルファスは軽く首を傾げながら答える。
「魔王は、魔族としても、とても長く生きてるから、剣も魔法も一流なんだそうです。ぼくも魔族なんだし、時間をかけたら左手でもそうなれるんじゃないかって考えたらおかしいですか?」
「いや、確かに……さすが魔族ならではの発想だな」
「そうですか」
これで気は済んだだろうかと考えていると、アドルファスも何かを考えるような顔になった。まだ何か聞きたいのかと思わず眉を寄せたら、何か納得でもしたのか、急に頷いて口を開いた。
「……どうだろう、デルト。シェーラが君の邪魔をしてしまったお詫びに、私が君の稽古に付き合うというのは。もちろん、私がこちらに戻っている時だけになってしまうんだが」
「──は?」
我ながら間抜けな声だったと思う。まさかそんな提案がでるとは予想もしなかった。
「まあ! そうしたら、私も兄さまと一緒に来るわ!」
「え、そんな、わざわざ……」
「上達のためには相手が必要じゃないかと思うのだが、どうだろう?」
「確かにそうですけど……どうしてですか?」
「どうやらシェーラは君に興味があるようでね。兄としては、あまり邪険にされてしまうのは可哀想なんだ」
「……はあ」
「それに、剣は誰かに師事したほうがよいだろう? 私は師を名乗るほどではないが、少しばかりなら君の鍛錬の手伝いはできるだろう」
提案はとてもありがたいけれど、どうも他に何かあるんじゃないかと疑ってしまう。だって、アドルファスがわざわざそうするだけの理由は何もないのだから。
無意識に訝しむような顔になっていたのか、じっと見ているぼくに、アドルファスはまた困ったような顔で「その代わりと言ってはなんだけど、少しシェーラの相手もしてくれるとありがたいんだ」と言って笑った。これが、世に聞く“シスコン”ってやつなんだろうか。アドルファスが末の妹に甘いなんて知らなかった。
「……まあ、少しでしたら」
「ありがとう。あまり歳の近い子がそばにいなくてね。シェーラはデルトと話すのが楽しいようなんだ。シーロンの弟子なら私も安心だし、シェーラの友人になってほしいんだよ」
「……その程度でよければ」
友人か、と思う。
あれから半年過ぎてもう冬が来るけど、アラベラは元気だろうか。エディト姉さんは母さんのところへ行った頃だろうか。カルルは剣の腕が上がっただろうか。
……父さんたちは、冬越しのために村へ帰れたんだろうか。
「ほかに何か引っかかることでも?」
「あ、いえ。なんでもないです」
つい、考え込んで黙ってしまい、アドルファスに覗き込まれて慌てて意識を戻す。
いつごろに来ればいいかという話の後、もうすぐ日が暮れてしまうからと、アドルファスは「ではさっそく明日からよろしく」と言って、シェーラを連れて帰って行った。
「……疲れたな」
その後も少しだけ練習を続けたけれど、どうも気乗りがしない。これじゃ全然だめだなと大きく息を吐き、切り上げることにした。屋敷の中に入ると、シーロン師匠が長椅子で本を捲りながら、「今日はもう終わりか」と声を掛けてきた。
目をやると、またぼくを見てにやにやと笑っている。
「そうですけど、何かありますか」
「いや。明日からアドルファスが相手してくれるんだってな。さっき、こっちにわざわざ挨拶に来たぞ」
「そうです」
「で、かわりにシェーラの友達になってくれって?」
「そうです」
「そんなに嫌そうな顔するなよ。可愛い女の子とお近づきになれるんだから、もう少し喜ぶくらいしてみろって」
「……そんなに言うなら、師匠が友達になればいいじゃないですか」
「俺が友達ですとか言って近づいたら、あらぬ嫌疑を掛けられちまうだろうが」
「妖精だから見た目も良くて若いんだし、きっと大丈夫ですよ」
「んなわけあるか」
師匠は何が楽しいんだかしらないが、お腹を抱えてひとしきり笑い転げた後、急にまたぼくに向き直った。
「……お前さ」
「……なんですか」
「人間なんてどうせすぐいなくなるくせに、とか考えてるだろ」
「なっ──」
図星を指されて、僕の顔に血がのぼる。
「ばーか」
師匠はくつくつとまた笑いながら、長椅子の上にごろりと寝そべり、脚を投げ出した。
「俺の10分の1も歳が行ってないくせに、生意気なこと考えてんじゃねえよ」
「……だって、実際、そうじゃないですか」
「そういうことはな、今の10倍の年数生きてから考えることなんだよ」
「100年経たなくても、ほんの数年だって一旦離れてしまえば、どうなってるかわからないじゃないですか」
「は、そんなん気にしてたら生きていけないだろ。ガキのくせになに悟ったようなこと言ってんだ」
師匠は小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、「まあ、確かにお前くらいの歳なら、いっぱしの大人になった気がして一度はそういう痛いこと考えるもんだけどな」と呟いた。
「……じゃあ、そういう師匠は、今いったい幾つなんですか」
「ばーか、いちいちそんなの数えてねえよ。めんどくせえ」
へっ、と笑い飛ばされて、なんだか悔しくて、「さすが歳を経た妖精は違いますね」と、返しにもなってないことを言い捨てる。自分の部屋に向かうぼくの後ろで、また師匠が笑い転げていた。
この世界は理不尽だ。すごく理不尽だ。
こんな状況なのに、ぼくが夕食を用意しなきゃならないのも、本当に理不尽だ。





