1.魔法使いの弟子
今ぼくがいるのは、東大陸のヴァルツフート王国……ヴァリが言っていた、魔族の王が治める国のオスロスという町だ。そこに魔法使いシーロンの館がある。
このあたりには平原が広がっていて、小麦を育て、牛や馬を飼う家が多いらしい。王国の中心からは少し外れたのどかな土地だ。ぼくが暮らしていた村より、ひとは多くて栄えているように思う。
ヴァリは、この国は魔族には暮らしやすいと言っていたが……西に比べたら人々の魔族に対する態度は雲泥の差だ。何より、今、ぼくは姿変えの魔法を使わず素の姿のまま暮らしているというのに、人間も、人間以外の種族もまったく変わりない態度で接してくれるのだ。むしろ、素の姿を晒すことに慣れていないため、ぼくのほうが落ち着かない。さらに言うなら、ぼくの角は少し左右に出てから上に伸びていて、おまけに西ではずっと姿変えの魔法を使っていて頭に角がない状態に慣れていたため、しょっちゅう角をぶつけたりひっかけたりしてしまう。父さんみたいに、後ろ向きに頭に沿って湾曲してる形の角なら、こんなにひっかけないで済んだんだろうなと思う。
ぼくの師匠となった魔法使いシーロンはかなり高位の魔法使いであるようだった。エディト姉さんから話を聞いたことがあるだけの高位の魔法も習得しているという。それも、ほぼすべての系統の魔法についてだ。
シーロン師匠は妖精なので年齢を感じさせない外見だが、すでに結構な歳なのだそうだ。妖精の“結構な”がいったいどれくらいなのか、ぼくには見当もつかないのだけど。シーロン師匠の魔法に対する姿勢はとても真摯で、教え方は非常に厳しいと思う。要求される水準はかなり高く、まだ低級魔法を習得し終わったばかりのぼくにも短期間での中級魔法の習得と熟練を要求してくるし、「このくらいできるだろう」と難しい課題を押し付けてくる。
もちろん、住み込みの押掛弟子に等しい状況のぼくは、魔法の修行だけではなく、シーロン師匠の雑用もする。他所への遣いやら家事やら師匠の身の回りの世話やら、そういう雑用だ。ヴァリが送りつけたという縁だけで見も知らぬぼくを弟子にしてくれたことにはかなりの感謝をしているけれど、それでも弟子使いの荒い師匠だと思う……アロイス父さんに剣を習うにあたって、「師と仰ぐと決めたら、師の教えは絶対と思え」と厳しく言い渡されていたこともあるし、師の要求には全部応えようとは思うけれど、どうしてこんなことまでぼくにやらせようとするんだろうと疑問に思ってしまう雑用もたまに……いや、そこそこあるので、シーロン師匠の考えていることはよくわからない。
──そして、結論を言うと、ぼくの利き手……つまり、右手は完全にもとには戻らなかった。
日常生活程度なら問題ない。けれど、剣を振るうには全然足りない。
その程度の握力しか戻らなかったのだ。
怪我そのものが完治するまで、治癒魔法を使っても約1か月かかった。ぼくが生活に支障がでないくらいまで体力も含めて回復できたのは、ここに飛ばされてから半年近く過ぎてからだ。
障壁越しとはいえ、ぼくの右手は雷撃の直撃を受けたのだ。シーロン師匠は、あんなにぼろぼろになってたら治癒魔法ありでもここまで治るかどうかは賭けだったんだ、自分の運の良さに感謝しろと言った。下手したら一生使い物にならないままだったんだと。
……右手で剣を振るうのは無理だけど日常生活程度なら問題なく送れるし、何より魔法使いに剣士のような握力はいらない。だから魔法使い一本で行けとも、シーロン師匠は言う。
それでもぼくはどうしても剣をあきらめられず、右手がだめだとわかってすぐ、左手でどうにか剣を使う練習を始めた。薪割りや水汲みの雑用も利用して力が戻るよう鍛えつつ、毎日左手で父さんたちに習った剣の型の練習をする。ずっとまともに動いていなかったのだから、体力も前以上に戻さなくてはいけないと、基礎訓練も再開した。
そんなぼくに、シーロン師匠は「まあ、やりたいようにやればいいさ」と肩を竦めるだけだった。
いつものように、その日の魔法の修行が終わって、空いた時間に剣の型の練習をしていた。
「こんにちは。今日も頑張ってるのね。──ねえ、前から聞きたかったんだけど、デルトはどこかの騎士の子なの?」
不意に声を掛けられて振り向くと、シェーラ……この町の領主であるオスロス卿の次女が来ていた。歳はたしかぼくの1つ下で、彼女は人間だ。
「こんにちは、シェーラ。シーロン師匠なら中にいるよ」
「わかってるわ。それで、デルトは騎士の子なの?」
「……違うよ。どうしてそう思うんだ?」
「デルトの剣の型が、兄さまの剣の型と似てるなと思ったの」
「へえ」
シェーラの兄のアドルファスはこの国の騎士だ。アロイス父さんももとは領主の跡取りで、父さんの見立てでは正式な騎士の剣の型を使うとも言っていたし、似ていて当たり前だなと思う。
「ねえ」
「なに?」
「デルトはどうして剣の練習をしているの? シーロンの弟子なら魔法使いになるんでしょう? 魔法使いは、普通、剣を使ったりしないわ」
「……じゃあ、ぼくは普通じゃないんだよ」
「どういうこと?」
しつこく問い質そうとするシェーラがなんとなくうっとうしくなって、思わず顔をしかめてしまう。
「べつに、どういうことだっていいだろう」
「魔法使いが剣を使うなんて変だもの。どうして魔法使いなのに剣の練習をするの?」
「シェーラには関係ないだろう」
「だって知りたいんだもの。教えてくれたっていいじゃない」
「魔法使いが剣を使ってはいけないって決まりはないよ。だったら剣を使ったって構わないだろう?」
「それはそうだけど……」
シェーラは不満げに口を尖らせる。その表情が機嫌が悪いときのフェリスを思い出させて、ぼくは思わず笑ってしまった。
「何がおかしいの?」
「……べつに、従妹みたいだなと思っただけだよ」
「デルトの従妹?」
「そう。義理だけど、たしか今年で5つになる女の子だよ。機嫌が悪いと今のシェーラそっくりの顔をするんだ」
「……私、そんな子供じゃないわ」
「ふうん。それはいいけど、シーロン師匠に用があったんじゃないの?」
「別に、暇だから来てみただけよ」
「そう。なら、そろそろ屋敷に戻ったほうがいいんじゃないか? あと一時もしないうちに日が沈むよ」
「──ねえ、デルトのその剣って、どうしたの?」
なんだかやけに質問ばかりしてくるなと思いながら、ぼくは剣を振るのをやめずに、相手を続けた
「姉さん夫婦が、ぼくにあつらえてくれたんだよ」
「どうして? デルトは魔法使いになるんじゃないの? 魔法使いになるのに剣をあつらえるのはおかしいと思うわ」
そりゃ、魔法使いじゃなくて魔法剣士になるつもりだったんだから剣をあつらえたっておかしくないだろうと、心の中だけで呟く。……利き手で剣を使えなくなったうえに、父さんと離れてしまって、今のぼくには魔法使いの修行をする選択肢しかなくなっているんだから、しかたないじゃないか。
「……べつに、どうしてだっていいよ。さっきから、剣を使う魔法使いがいたっていいだろうって言ってるじゃないか。それと、あまりもう邪魔しないでくれないかな。気が散るんだ」
「別に邪魔してるつもりはないわ。それに、どうして私が話しかけると剣の練習ができないの? 兄さまはそんなこと言わなかったわ」
はあ、と思わず溜息が出る。どうしてシェーラはそんなことまで気にするんだ。少ししつこいんじゃないだろうか。
「君の兄さんがどうだったかは知らないけれど、ぼくは気が散るんだよ。もう一度言うけど、邪魔しないでくれないか」
「どうして? 兄さまは、戦いの最中は何があっても気を散らさないようにならないといけないって言ったわよ」
「今は戦いの最中じゃなくて練習をしているんだ。集中しないと、変な癖がついたりしちゃうだろう」
「それはデルトの集中力が足りないから気が散るのよ。本当に集中力があれば、私が話しかけても気が散ったりしないはずよ」
……むちゃくちゃだ、と思う。屁理屈って、こういうことを言うんじゃないだろうか。これじゃ練習にならない。ふう、とまたぼくは溜息を吐いて、剣を振るうのをやめた。
「それじゃぼくから聞くけど、シェーラはそんなことを知ってどうするのさ。ぼくが剣を使おうと魔法使いになろうと、シェーラには関係ないだろう?」
「だって、気になるんだもの」
「どうして? シェーラが気にする必要はないはずだ。ぼくが魔法使いになるとか剣を使うとかで、シェーラに何か影響があるわけじゃないだろう? 気にしたって仕方ないはずだ」
「そんなことないわ。気になるものは気になるんだからしかたないじゃない」
まるで駄々っ子と話してるみたいだと思う。フェリスのほうがまだ聞き分けがよかった。
「やっぱりシェーラはぼくの5歳の従妹よりも子供だよ。まるで駄々をこねてるみたいだ。フェリスはそこまでしつこく質問攻めはしてこなかったよ。いい加減にしてくれないかな。ぼくの貴重な練習時間なんだよ」
途端に、シェーラが息を呑むのがわかった。みるみる顔が赤くなっていく。
「……ひどいわ! 少しくらいいいじゃない。だって、知りたいんだもの。デルトの意地悪! 馬鹿!」
いきなり癇癪を起こしたように叫んで走り去ったシェーラに、呆気に取られてしまう。本当に何をしにきたんだろう。ぼくの邪魔をするためにここへ来たとしか思えないのに。
「……よっぽど暇だったんだな」
呆れて呟いたら、後ろからくっくっと笑う声が聞こえてきた。目をやると、シーロン師匠がおもしろそうに笑っていた。こういうときの師匠の笑い方は、楽しいことを見つけたときのユールさんを思い出させる。
「……シーロン師匠、見てたんですか」
「暇人扱いとは、シェーラもかわいそうに」
「何でですか。実際暇なんじゃないですか? もしかして、最初から見てたとか言うんですか」
「俺も暇人なんだよ、悪かったな。ま、若いんだからがんばれよ」
「はあ?」
ここでなんでそんな言葉をかけられるのかがさっぱりわからず、ぼくは狐につままれたみたいな気分になった。





