10.飛ばされた先で
半分意識を飛ばしたまま、ぼくは暗い穴の中を落ち続けていたと思う。
不意に「こっちだ」という声とともに目の前に手が差し出され、まだあまり痛くない、ちゃんと動かせるほうの手でそれを握って……。
ぼんやりと目を開けると、知らない部屋だった。寝かされたベッドも、部屋の調度もまったく見覚えがない。
「ここ、どこ……」
そう口に出しながら、決して長くはないこれまでの人生で、この疑問を持つ機会がまた来るなんて思わなかったなと頭の片隅で考える。
たぶん、ヴァリがぼくの手首につけた、この腕輪に込められていた魔法によるものだろう。兄さんのときといい今回といい、ぼくは何かというと誰かにどこかへ飛ばされる運命でもあるんだろうか。
「おい、目が覚めたのか。お前は誰だ。エヴィはどうした」
「エヴィ……? エヴィなら、今はエヴィじゃなくて、ヴァリだ」
「はあ? 何言ってる」
「王都で、エヴィは新しくヴァリとしてスタートするんだって言ったから」
「──エヴィのことはとりあえず置いといていい。お前はなんだ。どうしてお前がエヴィの腕輪を持ってるんだ」
「ぼくはデルト。腕輪は、たぶんあの時にヴァリが付けたんだ」
「あの時?」
「魔法使いの、魔法の、後」
ふう、とぼくは息を吐く。話しているだけなのに、息が切れそうなくらい疲れてしまう。右手は痛くて動かせないし……。
「……角が」
さっきから感じていた違和感の正体がわかって、思わず呟く。ぼくの姿変えの魔法が解けていたみたいだ。頭を動かそうとして何かが引っかかると思ったら、ぼくの角だった。
「お前にかかっていた魔法なら全部俺が解いた。今はお前は素の状態だ。変な真似はするなよ」
「変な真似……無理だ。身体、全部、痛い」
「……精霊魔法でもまともに食らったか。見たところ、食らったのは雷撃のようだが」
「障壁、張ったけど、ぼくじゃ、無理だった。でも、ヴァリと父さんは、大丈夫」
「父親もいたのか?」
「父さんとヴァリ、ふたりだから、逃げられてる、はず」
なんとかそこまで話したらとても疲れてしまって、ぼくはまた、ふう、と息を吐いて目を瞑り、そのまま意識を手放した。
次にちゃんと気がついたのは、それから結構な日数が経ってからだった。怪我のせいで熱も上がり、ぼくはずっと朦朧としたまま寝ていたようだ。
熱が下がり身体の痛みもだいぶましになって、ようやくぼくの意識がはっきりしても、ぼくはやっぱり知らない場所に寝かされたままだった。
「……夢じゃなかったんだ。ここ、どこだ」
「ようやくまともに話ができるようになったか? もう一度聞くぞ。お前は誰で、どこから来たんだ」
上を向いたままぼんやりそう呟くと、不意に声を掛けられた。目を向けると、魔法使い……しかも、妖精の魔法使いがベッドの横に立っていて、少しイラついたような声でぼくに問いかけた。
「ぼくはデルトだ。どこからは……北の山からモント湖へ向かう途中の猟師小屋で、変な、人間じゃない騎士に襲われて、そこから、たぶんヴァリに飛ばされたんだ」
「北の山? モント湖?」
「うん。王都の少し北にある山と、そこから北東にある湖。沈んだ神殿の遺跡があるところだよ」
「王都?」
「王都を知らないの? 王城がある、王国の中心じゃないか」
まさか王都を知らない者がこの国にいるなんて思わなかった。妖精郷から出てきたばかりなんだろうか。
「……王国?」
「そうだよ」
「まさか、お前、西にいたのか?」
「……え?」
「本当にそんな遠距離で使ったのか……どうりで道が不安定だったはずだ。よく魔力が足りたな。ごっそり持って行かれてるはずだぞ」
「道?」
「……そうだ。西に行くっていうから、何かあったらダメ元でも使っとけと言ってエヴィに渡したんだよ。“妖精の道”みたいな“道”を作る魔道具を。転移よりずっと長距離を移動できるが、まさか西大陸からここまで本当に道を開けられるなんて思わなかった」
「どういうことだよ。つまり、まさか、ここは東だっていうのか?」
まさか、と思う。ぼくは当然、ここは西のレーゲンスタイン王国のどこかだとばかり……。
「……そのまさかの東大陸だ。お前がいるのは大陸北西のヴァルツフート王国になる。かなり西大陸よりだな。……だから届いたのか」
──ヴァリが送れる場所なんだから、考えてみたら東大陸で当たり前じゃないか。そもそも、魔道具による移動で移動先は変えられない。西に来てから腕輪を手に入れたとは、とても考えにくい。
「……西大陸へは、どうやって戻ればいい?」
「船だな。転移じゃむりだ。海を渡れるほどの長距離を転移できたなんて話は聞いたことがない。お前が通ってきたような“道”も、向こうに手引きする妖精がいなきゃ無理だ。俺に西の知り合いはいないし、おまけに伝達魔法もそこまで長距離に声を届けられない」
「……そっか」
予想はしていたけれど、海を挟んでしまうような長距離では、おいそれと魔法は届かない。水鏡に映すことも難しいだろう。今のぼくに父さんたちのようすを知る方法はない。
「それに、西への船が出ているのは、この大陸の西にあるシェアーネス王国の港町マルドンくらいだが、今、あの国は少しきな臭くなってるから、近寄らないほうがいい。お前みたいなのは一発で魔族狩りに遭うぞ」
「こっちの魔族狩りって、どんなの? 殺されるわけじゃないんだよね」
「殺されるほうがある意味マシだな。魔法で制約を掛けられて、下手すりゃ真名も奪われて、一生飼い殺されるんだ。運が良ければある程度の自由は手に入るが、それでもその国から出ることは叶わなくなる」
「……ヴァリが、東でも種族を隠す必要があるって言ってたのは、そういうことなんだ」
思わず溜息を吐いてしまう。ぼくは西へ帰れるのだろうか。考えてみたら、手持ちが船賃に足りてるかどうかもわからない。もうひとつ大きな溜息を重ねてしまう。
「──ところで、エヴィがヴァリになったってのは、どういうことなんだ」
「詳しくはわからないけど……なんか、思いの丈をぶつけてスッキリしたから、名前を変えて出直すって言ってた。髪まで切っちゃったんだ。あんなに長かったのに」
「……な」
今度は魔法使いがあっけに取られた顔をする。
「ヴァリは、こういうのはよくあることだって言ってたよ」
「よくあるわけないだろが」
「ぼくもそう思った。ところで、あなたのことはなんて呼べばいい?」
「……シーロンだ」
「じゃ、シーロン。厄介ごとついでに頼みがあるんだ。ぼくに東のことを教えて欲しい。できれば魔法も」
「……お前を弟子にしろってことか?」
怪訝そうな顔をするシーロンに、ぼくは頷く。ほかにもっとまともな選択肢があるなら、とっくにそっちを選んでるよ。
「……ぼくにそんなに多くの選択肢はないよ。シーロンの弟子になるのが、ぼくが一番確実に西に帰る方法だと思う」
「俺がお前を売るかもしれないぞ」
「ヴァリが、そんなところにぼくを送るとは思わない。だからそういう点ではシーロンを信用している」
ぼくが憮然としながら返すと、シーロンはおもしろそうに笑った。実際、ぼくには彼になんとか教えを請うか、ここを出て右も左もわからない場所で手探りでやってくかの二択しかない。しかも後者を選べばのたれ死ぬ確率の方が高いんだから、彼のところへ送ったヴァリの判断を信じるしかないんだ。
「……なるほど、馬鹿ではないんだな。じゃ、お前は何ができるんだ?」
「……野外活動の基本と、薬草学の基本はできてる。魔法は全系統の初級から低級までを習得した。あとは精霊魔法と探知魔法の中級の一部も。それと、魔法剣士の魔法は下級までなら使える」
「ずいぶんいろいろ齧ってるんだな」
「義理の母さんが薬草と魔法を教えてくれた。父さんは野外活動が趣味の魔法剣士なんだ。数日なら、吹雪いてる山の中でも過ごせるよ」
「……ちなみに、お前いくつなんだ?」
「……夏になったら15だ」
「若いと思ってたけどまだ子供か」
子供と言われて一瞬ムッとするけど、実際、父さんたちの足手まといになってたのだから否定できない。
「とにかく、だからぼくをシーロンの弟子にしてほしい」
「まあ、魔族の子供を弟子に取るのもおもしろそうだ。わかった、お前を弟子にしてやるよ」
ヴァリから話を聞いておもしろそうだなとは思ったけれど、まさかいきなり東に来ることになるとは思わなかった。
この分だと、西に戻るまで、ずいぶん時間がかかってしまいそうだ。父さんたちが無事ならいいのだけど。





