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ぼくを取り巻く世界のできごと  作者: 銀月
3.ぼくとおとうさんの道程

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4.ヴァルドウの町/後

 翌朝、アラベラの熱はかなり下がっていた。額に手を当てながら、ぼくは少しだけ安心する。


「まだ少し熱っぽいから今日1日は様子を見よう。念のため、もう1回薬を飲んでおいて」

「ごめんね……」

 薬を受け取りながら、アラベラが申し訳なさそうに言う。

「アラベラのせいじゃない。ぼくたちが、アラベラは旅慣れてないのに無茶をさせたのが悪かったんだ。だから、気にしないでちゃんと休んで治して。もう、王都まで無茶なことはしないから」

「そうね、この町で、もう少し休んでから出発しようか。ぶり返しちゃってもよくないしね」

 エヴィさんの提案に、ぼくも父さんも頷いた。予定していた滞在日数はあと3日だったけれど、さらに3日増やすことになった。


 かなりの時間ができたので、ぼくは少し薬草を補充することにした。沼地の近くには湿地もあって、村じゃあまり採れない薬草もあるはずだ。

「少し薬草を探してくるよ。湿地まで行ってくる」

「ひとりでいくのか?」

 父さんに訊かれて、ぼくは頷いた。

「沼地まで行かなければ、そんなに心配はないと思う。魔物よけもあるし」

「……そうか。気をつけて行っておいで」


 町を出て、湿地に向けて馬を進めながら、父さんは少し落ち込んでるようだったと考える。昨夜のぼくの質問のせいだろうな。

「──わからないよ」

 馬上でぽそりと口に出す。合わないというなら、なぜ結婚したんだろう。どうしてぼくが生まれたんだろう。アロイス父さんたちやフォル兄さんたちは、父さんとは違う。なぜ違うのか、よくわからない。

 “自分は逃げたんだ”と父さんは言った。何から逃げたのか。何が怖かったというのか。ぼくたちを置いていくことより怖かったというのは、何のことなんだ。

 そして、リーゼが死んだのは自分が悪いからだと父さんは言う。なら、どうして出て行ってしまったんだと、父さんがいてくれさえすれば母さんは死なずに済んだんだと、ぼくは父さんを責めたくなってしまう。そのことも、嫌だ。


 エディト姉さんはぼくに、「そんなに聞き分けのいい、いい子でいる必要はないのよ」と言ったことがある。それも、とても心配そうに。

 ぼくは決して“いい子”なんかじゃないというのに。


 湿地に到着した。馬を降りて手綱を引きながら、歩いて薬草を探す。ぽつりぽつりと生えている薬草を見つけては採取して袋に入れるという作業を繰り返す。

 この、熱病に効く薬草をあの時知っていれば、母さんも治ったのに。


 ──なぜだか、リーゼ母さんのことが次々頭に浮かんでくる。


 小さい頃、この家にぼくたち2人しかいないのは何故なのかと訊ねると、母さんは「お父さんが遠くに行ってしまったからなの」と困ったような顔をしていた。いつ戻るかと訊けば、黙って目を瞑り、「ごめんね、わからないの」と首を振るだけだった。

 ……一度だけ、泣き出しそうな顔で「私のせいで、あなたのおとうさんがいなくなっちゃった」と、ごめんねと繰り返し言われて、それから父さんのことを何も訊けなくなってしまったんだっけ。


 もし、今、あの山の家に母さんがいて、父さんが帰って来たことを知ったら、どんな顔で、何と言っただろう。喜んだだろうか、それとも怒っただろうか。

 全然想像ができない。母さんはどんなひとだったっけ。母さんとはどんなことを話したっけ。

 ……母さんと暮らしていた時の記憶はぼんやりとしていて、母さんはいつもあの家の南の窓辺に座っていたことや、ぼくが話すことを微笑んで頷きながら聞いていたことくらいしか思い出せない。いつもとても静かで……なら、もし、今……。

 いや、もしもを考えても仕方がない。母さんは死んでしまって、もういないんだから。ぼくは頭を振ろうとして、瞠目した。


「ああ、そっか……」


 やっぱり、ぼくは母さんに生きていて欲しかったんだ。

 父さんが帰ってきたのに、母さんがいない。父さんは母さんとは合わなかったんだと言ったけれど、それでも、ふたりとも、一緒に、ここにいて欲しかった。

 アロイス父さんたちが良くしてくれて、父さんも戻ってきて一緒にいてくれて、これ以上を望むのは贅沢なはずなのに、それでもどこかで常に、母さんにもいて欲しいのにと考えていたんだ。

 今、一緒に旅をしているのが、エヴィさんじゃなくて母さんだったら良かったのに、と。


「う……」


 俯いて薬草を摘むぼくの手元に、ぽたりと雫が落ちる。ぽたりぽたりと次々に落ちてくる。

 男なのに、もう大人だと言ってもいい歳なのに、そう考えても止まらない。

 次々溢れるものを手で乱暴に拭いながら、そういえば、母さんが死んでからは生きることに必死で、アロイス父さんのところへ行ってからは学ぶことと馴染むことに必死で、まともに泣いたことなんて一度もなかったことを思い出した。


 すっかり日が落ちて、赤く染まった空はもう間も無く青から黒へと変わっていくだろう。今から馬を走らせても、町の閉門に間に合うかどうかという時間になってしまった。

 空に残った赤と、低い場所で瞬き始めた星をぼんやり眺めながら、ぼくは湿地から外れた場所で、木の根元に膝を抱えて座り込んでいた。

 ……なんだか戻りたくない。


「いいか……」


 ひとりだし、寒い季節でもないから火を焚く必要はないだろう。なら、獣除けと魔物除けと鳴子の探知魔法だけかけておけば、そう危険はないはずだ。このあたりに出る魔物は、たしかドレイクとサラマンドルで、両方ともあまり魔族には寄ってこない魔物だし、魔法で十分回避できるだろう。食事は、持ってきた少しばかりの非常食があるから、それでいい。


 立ち上がり、周りに必要な魔法をかける、馬から鞍を下ろし、長めに手綱を繋いで周囲の草を好きに食べられるようにしておく。最後に少し離れたところの水場で水を汲んでくると、荷物を抱えて木に登った。

 枝にまたがり、念のため寒さ除けの魔法をかけた後、またぼんやりと空を眺めながらとりとめのないことを考える。


 村で熱を出したとき、母さんに「言いたいことを我慢するな」と言われたっけ。あの時は、我慢なんてしていないのに、どうしてそんなことを言われるのかわからなかった。

 けれど、母さんからは、ぼくが相当我慢をしているように見えていて、しかも、それは間違っていなかったってことなのか。


 もう一度目を拭って、溜息を吐いた。

「もう大人になる歳なのに、これじゃまだまだ子供みたいだ」

 あと何年経てば、ぼくはアロイス父さんみたいに落ち着いた大人になれるのだろうか。アロイス父さんは無理でも、フォル兄さんくらいにはなりたい。


 唐突に、頭の中にピンと何かが切れたような感覚が起こって、鳴子の範囲に誰かが入ったことがわかった。

 慌てて枝を揺らさないように身を起こして周囲を確認すると、灯りがひとつ近づいて来ていた。

「デルト、そこか?」

 この声は父さんだ。息をひとつ吐いて「ここだよ」と返し、木を降りる。

「日が暮れても戻らないから、アラベラもエヴィさんも心配している。伝達魔法は使えるだろう? なら、せめてきちんと連絡くらいは寄越すんだ」

「……ごめん」

 帰りたくなかった、なんて言えず、ただ、ぼくはごめんとだけ返す。父さんはあまり納得がいっていない様子で、何もなかったならいいけれど、と深い息を吐いた。

「もう町の閉門は過ぎてしまったから、ここで一晩明かしてから戻ろう」

 ぼくが頷くと、父さんは「どうせ、ろくなものを持ってきていないんだろう」と、荷物から食事を取り出した。パンに、ちょっとした肉や野菜を挟んだものだった。

「ありがとう」

「それで、何かあったのか? 閉門の時間に間に合わなくなるなんて、お前らしくない」

 ぼくはどう説明をしようか考えて……やっぱりうまく言葉が浮かばずに、ただ首を振って「ごめん」とだけ言った。

「……何もなかったんなら、いいんだ」

 小さく呟くように言う言葉に、ふと、何かを感じて父さんを見る。……ぼくが戻らなかったことを、父さんは怖いと思ったのだろうか。


 空の赤はいつの間にかきれいになくなって、世界は全て暗闇に覆われていた。焚火もなく、町の灯りもなく、月もない空には星だけが空いっぱいに瞬いていた。

 いつもは焚火や月明かりで見えないのに、本当はこんなにたくさんの星があるのかと、ただ上を見上げていた。


 翌朝、開門に合わせて町に戻ると、宿の食堂でエヴィさんとアラベラが待っていた。

 笑顔で「おかえりなさい」というアラベラに「ただいま」と返す。

「おかえり。少しスッキリしたみたい?」

「スッキリって、何が?」

「なんとなく」

 エヴィさんがにこにこと笑いながら、ぼくたちに座るようにと促す。

「まずは、朝ごはんを食べましょ。その後は、市場を歩いてみよう。せっかく来たんだしね」


 その後、朝食の間ずっと、昨晩エヴィさんとアラベラがふたりで立てたという滞在中の計画をひとつずつ聞きながら、この町ではのんびり休むんじゃなかったっけと考えていた。


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