4.ヴァルドウの町/中
ヴァルドウについて2日めの夜、アラベラが熱を出した。
「無茶しすぎだったんだ。アラベラは旅は初めてなのに」
村を出るときに母さんから渡された薬を出しながら、ぼくは父さんに言う。
「ぼくだって、初めて父さんと旅をした時に帰ってすぐ熱を出したんだ。アラベラはその時のぼくより体力がないんだから、もっとちゃんと気をつけなきゃいけなかった。野宿とかやり過ぎだったんだ」
薬を持ってアラベラのところへ行くと、エヴィさんが、宿の人から水をもらって来てくれた。水差しの水をマグに注いでお湯にして薬を溶かし、アラベラの身体を起こしてこれを飲んでと手渡す。薬は苦くて変な味だけど、アラベラはきちんと全部飲んでくれた。それから、手桶に汲んでおいた水を凍らせ、水袋を氷嚢代わりにして額を冷やした。
「もう、この先、王都までは、ちゃんと毎晩宿に泊まれるように街道を通って行かなきゃだめだ。魔物を見つけても寄り道は無しで、野宿も無しだ」
「わかった」
しぶしぶといった風に了承する父さんに、エヴィさんが「デルトのほうがお父さんみたいね」とくすりと笑う。
「それにしても、手際がいいね。デルトってなんでもできる子なんだ」
ぼくは頭を振る。気をつけることもできないから、アラベラがこうやって熱を出してしまった。
「……ぼくは何もできない。薬も看病も、母さんの手伝いをやってただけだ……母さんは村の薬師だったから」
「何もできないなんてことないわよ。今だって、私もターシスさんもおろおろしてるだけだったけど、デルトがちゃんといろんなことしてくれたじゃない」
「……薬を飲んだから、これからたくさん汗をかくと思うので、そしたら身体を拭いて着替えさせてください。シーツは……魔法で乾かせますか?」
「ええ」
「じゃ、その時にいっしょにシーツも乾かしてあげてください。あと、できればまめに水を飲ませてくれますか?」
「了解。ちゃんとやっとくから安心して」
「お願いします」
──エヴィさんに起こされて、アラベラが熱を出したと聞いた時、変な動悸がして心臓が痛くなった。母さんから教えられたことをきちんと全部やっても、不安が全く消えず、動悸が止まらない。アラベラの熱が早く下がってくれないと……。
部屋に戻ってからもベッドに座ったまま、俯いてシャツの心臓のあたりをぎゅっと握っていると、父さんは「大丈夫だよ」とぼくの頭に手を置いた。
顔を上げると、父さんは微笑んで、「アラベラは治るから大丈夫だ」ともう一度言った。
「……でも、ちゃんと治るまで、熱が下がるまでは万が一があるよ」
「大丈夫、アラベラは治る。デルトは前とは違う。シャスやアロイスから必要なことはきちんと教わって、それをできるようになったんだ。10の時のお前とは違う」
「でも……」
「僕もエヴィさんもいるし、大丈夫だよ」
黙り込んでまた俯くぼくの横に父さんが座り、肩を抱いて「アラベラとリーゼは違うんだ」と静かに言った。
「アラベラは死なない。少し疲れて熱を出してしまっただけだ。ちゃんと治る。大丈夫だから心配するな。怖がらなくていい」
目から何かがこぼれそうになって、思わず右手を目に当てる。
「……父さん」
父さんは黙ってぼくの頭を引き寄せて、ぽんぽんと叩く。いつかぼくが熱を出した時、額に当てられて大きいと感じた手だ。
「父さんは……どうして、ぼくと母さんを置いていったの」
ぼくの頭に置かれていた父さんの手が、ぴくりと震える。そしてせわしなくぼくの頭をぐしゃぐしゃと撫で始めて……小さく息を吐いた。
「……説明するのが、難しい」
「難しいことなの?」
「ごめん……うまく……どう言っていいのかがわからない」
小さな声で、呟くように父さんが言う。
「僕は……ある日突然、怖くなって逃げ出したんだ」
ぼくの頭を撫でる父さんの手が、かすかに震える。
「何もわかってないくせに親になってしまって、挙句怖くなって逃げ出したんだ。どうしようもない意気地なしだね」
父さんは、自嘲するように笑う。
「最初にエディトさんに会った時に言われたよ。今更のこのこ出てきて、デルトに会うのか、会ったらその後どうするつもりなのか説明しろって。エディトさんが納得できるように説明できないなら、もしまたすぐに居なくなるつもりでいるなら、絶対にお前には会わせないからこのまま消えて二度と出てくるな、僕はいなかったことにするからとね」
「エディト姉さんに?」
「……エヴィさんが、エディトさんを男前だと言ったけど、本当だよ。僕は彼女に頭が上がらない。あんな風に正面から啖呵を切られたのも初めてだった」
「……」
「僕は、もう、200年以上生きてるから、たしかに時間の感覚が以前よりも変わっていたかもしれない。10年は、もっと、何も変わらないくらいのほんの少しの長さでしかないような気がしてた。
……けど、エディトさんのところでフェリスを見て驚いたんだ」
「フェリスを見て?」
「そう。生まれてから、たった3年だか4年だかで、ここまで大きくなるものなのかと。じゃあ、10年も過ぎたらいったいどれくらいになるんだ、と驚いた」
父さんはまた溜息を吐く。
「エディトさんに呆れられたよ。
デルトはもうあと数年で大人として認められる年齢になるのに、何を言ってるんだとね。
……討伐小隊の小隊長がたまたま騎士フォルで、彼がデルトのところへ行かなかったら、デルトは今頃ここにいなかった。僕が戻ってきた時には誰もいない、朽ちかけた家だけになってたはずだが、どう思うかとも言われた」
エディト姉さんのことだから、たぶん、本気で怒っていて、きっと容赦なく父さんを責め立てたのだろう。
「……リーゼ母さんが、一度だけ、言ってたんだ。父さんがいなくなったのは、自分のせいだって」
ぼくの頭を抱える腕に、力が篭った。
「それは違うよ……僕のせいだ、と言いたいけれど、僕とリーゼは、たぶんそもそも合わなかったというのが、一番近いんじゃないかな」
「合わなかった?」
「……もう少し、僕自身がきちんと整理できたら、その時改めて話すよ」
父さんは、少し頼りなげに笑うと、立ち上がった。
「さ、もう遅い。寝るんだ。何かあればエヴィさんが呼びに来る。大丈夫だからお前も休むんだ」
ぼくは頷いて、のろのろとベッドに横になった。





