3.エスタール平原
「ちょっ、なんでっ……!」
「いいから、とにかく、走れ、この先に、森が、あるから!」
ぼくたちは、今必死で馬を走らせてる。ぼくたちが急かす以上に、馬もロバも必死に走っている。
「うわ」
頭上をかすめ飛ぶ大きな影に気づいて、慌てて頭を低くする。間一髪で爪を避け、また遥か上に飛び去るその背中目掛けて魔法を放つけれど、馬を走らせながら正確に魔法を操れる程には熟練していないので、瞬く間に離れていくそいつに当てることができない。
「父さん、埒が、あかない」
「森まで、我慢だ」
ぼくたちを追っているのは、鷲獅子だ。このあたりは空を遮る森もない平原で野生の馬の群れもいるらしく、鷲獅子の格好の狩場にもなっているようだ。
今も、3頭の鷲獅子がぼくたちを追い、どうにかして掴み上げようと空からの滑空を繰り返している。
さすがの父さんも、空を舞う3頭の鷲獅子をここで相手にするほど無茶ではないようだ。
「見えた!」
向かう先にようやく森が見えてきた。あそこへ駆け込めば、木々が邪魔になって空から襲われることはないだろう……と、安心する間もなく、森の少し手前で父さんはいきなり馬を飛び降りた。
「父さん?!」
「エヴィさん、アラベラと馬を頼む。デルトは森の際で僕の援護だ」
「……わかった」
「え、結局戦うの!?」
「鷲獅子はお金になるんだ!」
父さんは、馬とアラベラの安全を確保したくて森まで逃げていただけらしい。たしかに、鷲獅子の羽根は結構いい値で売れた覚えがある。
一番高値が付くのは、もちろん、卵と雛だけど。
父さんは嬉々として剣を抜くと鷲獅子をおびき寄せ、麻痺の魔法で巧みに地面へと引きずり下ろし始めた。
ぼくは溜息を吐いて、他の2頭を地面へ落とす方法を考えながら、魔法を唱え始めた。
──なるべく尾羽と冠羽と翼の羽根は傷つけないように、という父さんの注文にできるだけ従った結果、鷲獅子を倒すまでに結構な時間が掛かってしまった。そこからさらに羽根を集めるのにまた時間が掛かり、さらにさらに、そのほかの売れる部位まで取ったりしているうちにとうとう今日はこの近くで野営をすることになった。
「私、デルトがターシスさんを“野生児”って言ってたの、なんかすごく納得したわ」
「だって、鷲獅子を狩りに行くのは面倒なんだよ。それが3頭もこんなところで遭遇できたのに、狩らなくてどうするんだ。見逃す選択はないね」
疲れた顔で呆れたように言うエヴィさんと、機嫌よく野営の準備をする父さんが、とても対照的だ。
ぷちぷちと傍の草を抜きながら座るエヴィさんには、疾走する馬に揺すぶられ続けたアラベラが、青い顔で目を瞑り、ぐったりと寄りかかっていた。
「アラベラ、大丈夫?」
声を掛けると微かに首を振り、「気持ち悪い……」と呟いた。たぶん、揺すぶられすぎて酔ったんだろう。
ぼくは、荷物の中から薬草茶を出して淹れた。港町で買った蜂蜜も落として、少し甘く、飲みやすくしたお茶だ。
「アラベラ、食欲がないなら、これだけでいいからゆっくり飲んで。少しはすっきりするよ」
マグを受け取り、そっとお茶をすすり始めるアラベラに、少しだけ安心する。
その様子を見ていたエヴィさんが「デルトはいいお嫁さんになりそうだね」とにやにや笑うので、ぼくは眉を顰めて「なんでお嫁さんなんですか」と言い返した。納得がいかない。
「だってさ、この中でデルトが一番マメで面倒見がいいと思うんだよね」
「……たぶんそれは父さんのせいだと思います」
「……なるほど、すごく納得したわ」
エヴィさんにちらりと見られた父さんは、「なんで僕のせいなのかな」と、憮然としていた。
結局、アラベラはお茶だけを飲んで、すぐに横になってしまった。旅慣れてないのに、あれは結構きつかったんだろうな。
──夜中、ふと、何か聞こえた気がして目が覚めた。
いったい何に起こされたんだろうかと目を閉じたまま耳を澄ませると、聞こえていたのは、隣で寝ているアラベラがしゃくりあげる、押し殺した声だった。
「アラベラ、どうした?」
小さく声を掛けると、アラベラが包まった毛布がびくりと動くのがわかった。そのまま固まったように動かないけれど、いっそう押し殺した声だけが時折、かすかに聞こえてくる。
「ごめん、怖かったよね」
父さんたちを起こさないようにできるだけ小さな声で話かけた。せめてアラベラが一緒の間は、父さんに無茶振りをさせないよう気を付けないといけない。
「……違うの」
「ん?」
「違うの」
「何が?」
アラベラはそれきりまた黙り込む。ぼくは、彼女が何を違うと言ったのだろうかとつらつら考えてみた。
「旅に出るようになって……父さんと旅をすると、宿に泊まるよりも野宿をすることのほうが多いんだけどさ」
考えたけれどわからなかったので、ふと、思いついたことを話しながらごろりと仰向けになり、夜空を見上げる。
「野宿して、初めて、空にこんなに星があるって知ったんだ」
隣でアラベラももぞもぞと顔を出すのが、目の端に見えた。
「アロイス父さんの家に引き取られるまで、灯りのほとんどない山の中に住んでたのに、その時は夜空なんて見上げたこともなくてね……だから、星がこんなにたくさんあるなんて、その時まで知らなかったんだ」
本当に、あの頃はそんなことを考えようともしなかったな。どうしてだろう。
「ユールさん……父さんを野生児だって言った人は、野宿なんて信じられないとかありえないとか言ったんだけど、ぼくは夜空を見て、野宿も悪くないなって思ったんだ」
「……同じ」
「ん?」
「同じ星が見える。お家で見たのと、同じ星」
「うん」
「お家で、私とお姉ちゃんと妹と、3人で屋根裏の小さい部屋を使ってて、その部屋には天窓があるの」
「うん」
「天窓から、ちょうどあの星が見えて、毎晩、星を見ながら3人でいろいろ話をしたの」
「どんな話?」
「いろんなこと。明日の天気とか、畑のこととか、森の際にある花畑のこととか……」
「そっか」
「でも、お姉ちゃんがお嫁に行くことになって、私は魔法使いのところに行くことになって……妹は、どうしてるだろう」
ぼくは黙ったまま、いつもぼくがそうしてもらっていたように、手を伸ばしてアラベラの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「お兄ちゃんたちは働きに出たままもうずっと帰って来れなかったし、父さんと母さんは大丈夫だよって言ってたけど、本当に大丈夫なのかな」
「……大丈夫だよ」
「もう、この先ずっと、皆に会えなかったら、どうしよう」
「大丈夫。ぼくと父さんは10年離れてたけどちゃんと会えたし、だから大丈夫。だから会えるよ」
ぼくは身体をアラベラのほうへと向けた。
「まずは王都に着いたら君の家に知らせを送るといいんじゃないかな。父さんだって、正式な魔法使いじゃないけど、あれで結構魔法は使えるんだ。君は素養があって、これから魔法使いに弟子入りするんだから、ちゃんと正式な魔法使いになれる。そしたら、いつでも家に帰れるようになるよ」
「私、ただの農民の子なのに、本当に魔法使いになれるの?」
「それを言ったら、エディト姉さんだって北のほうの農民の娘だったけど、今は立派に魔術師団の魔法使いだよ。だから絶対なれる」
「ちゃんと魔法使いになったら、父さんたちも喜んでくれるかな」
「きっと喜んでくれるよ。魔法使いのところへ行きなさいって送り出したのは、お父さんたちなんだろ?」
「うん……」
アラベラはやっと気が紛れたのか、いつの間にか泣き止んでいた。と、途端に、ぐう、という音が鳴る。
「あ、ちょっと待って」
ぼくはそばに置いてあった荷物をごそごそと探って蜂蜜を塗っておいたパンを取り出すと、アラベラに差し出した。
「これを食べるといいよ。ちょっと行儀が悪いけど、このままでね。
母さんが前に言ってたんだ、身体が弱ってるときとお腹が空いてるときは、ろくでもないことばかり考えてしまうもんだって」
「なんだか、デルトがお兄ちゃんみたい」
「……ぼくはずっと末っ子だったから、妹がいたらアラベラみたいだったのかな」
くすっとアラベラが笑う声が聞こえて、ぼくも釣られて笑ってしまう。
「食べたらまたちゃんと寝るんだよ。明日もずっと移動だから、しっかり休んでおかないとね」
「うん、おやすみなさい」
「おやすみ」
翌日もよく晴れたいい天気だった。ここのところずっと天候に恵まれている。
父さんはとっくに起き出して、朝食を準備していた。エヴィさんはそれを手伝っている。おはようと言って毛布を片づけていると、アラベラも起き出した。顔色はすっかり良くなっているようだ。
「アラベラ、もう大丈夫みたいね」
エヴィさんに声を掛けられて、アラベラは頷く。
「これからも何かあったら、兄ちゃんを頼っておくといいよ」
父さんがアラベラにさらっとそう言うのを聞いて、やっぱり起きてたんだなと思った。





