7.巨狼の群れとおとうさんの危機
おとうさんから魔法で連絡が入ったのは、お昼の少し前だった。
「“羊飼い小屋に人がいる。怪我が酷くて動かせない。巨狼は小屋の周りに集まっている。群れの数は10以上だ。多すぎる。僕は防御結界で手一杯だ。日暮れまでもたない”」
それだけをぼくに伝えると、おとうさんからの伝達魔法は終わってしまった。すぐにとうさんのところへ走り、今の言葉を伝えると、とうさんは厳しい顔で考え込んでしまった。
「……とうさん、助けに、行けないの?」
「騎士団が派遣されるまで、早くても数日かかる。巨狼が10頭以上いる群れでは、町の警備隊でも厳しい。こちらにいる魔法使いがシャスだけでは、魔法での援護も限界がある」
「でも……」
とうさんは大きく溜息を吐いて、ぼくの頭をぽんぽんと叩いた。
「なんとか手を考えてみよう」
村の人たちのほうへ行くとうさんの後ろ姿を見て、ぼくの身体が震え出した。おとうさんは日暮れまでもたないと言った。それまでになんとかできないと……おとうさんが死んでしまう。
もっと魔法使いがいれば、おとうさんたちを助けに行けるんだろうか……魔法使いさえいれば。
ぼくの知っている魔法使いは……と考えて、すぐに教えてもらったばかりの伝達魔法を唱えた。
「……“おねえさん、おとうさんを、たすけて”」
それほど時をおかず、おねえさんが現れた。魔術師団の制服を着たまま、息を切らして。
おねえさんは、すぐに村の人たちの落ち着かないようすに気づいて、厳しい顔をした。
「──何があったの?」
「おねえさん!」
「デルト、説明して……あ、お義父さん、何があったんですか? これはいったい何の騒ぎ?」
急に現れたおねえさんに気づいて、とうさんが駆け寄ってきた。
「エディト!?」
「デルトからの伝達魔法が、ただ事じゃないと思えたので、すぐに飛んできたんです。……何があったのか、教えてください」
とうさんはぼくをちらりと見てから、おねえさんに巨狼とおとうさんのことを掻い摘んで説明した。おねえさんは頷きながら聞いている。
「巨狼の群れ……数は10以上だけど、まだ確認はできていない。その羊飼い小屋に取り残された者が複数名? うちひとりは重傷ということですね」
おねえさんは少し考え込んだ後、とうさんに幾つかさらに確認した。
「町の警備隊は巨狼を相手にしたことはありますか? 今すぐ招集して、どれくらいの時間で何人出られるかわかりますか? あと、この村で巨狼を相手に戦える人間は何人いますか?」
とうさんはおねえさんの質問をひとつずつ答えてから、すぐに警備隊を呼ぶようにと町へ使いを出した。
おねえさんは、とうさんから聞いたことを元に、ぶつぶつと呟きながら、さらに考えて、それから、ふうっと息を吐いた。
「……お義母さんがいるといっても実戦経験はありませんし、さすがにその数の巨狼相手に私だけでは手に余ります。
ですから応援を呼びますね。私に騎士団や魔術師団を動かす権限はないですけど、有能で暇な魔法使いならひとり心当たりがありますから。
お義母さん、小屋の位置はわかりますか?」
「大丈夫だ。あの小屋なら飛べるぞ」
かあさんがうなずくと、おねえさんがにっこりと笑った。
「では、今からその魔法使いを呼ぶので、お義母さんは治療の準備をしてください。彼が来たらそこまで私と一緒に飛んで、お義母さんには怪我人が動かせるまでの治癒をしてもらいます。あとからディア様にも来てもらって、残された人たちを脱出させましょう。
防御結界の維持を交代できれば、ターシスさんも戦力にカウントできますし、大丈夫、なんとかなりますよ。ターシスさんはバジリスクをひとりで倒せるほどの実力者なんです。巨狼程度なら大丈夫。
……だから、デルト、ターシスさんは大丈夫よ」
おねえさんはいっきに言うと、伝達魔法を唱えた。
「“ユール、手助けをお願い。フォルにはディア様から伝言を頼んでおくからフェリスも一緒で構わない。今すぐ来て”」
ユールさんは、おねえさんの師匠でもある魔族の魔法使いだ。そんな人が来てくれるなら、本当になんとかなるのかもしれない。
おねえさんの魔法が終わると、すぐにユールさんとフェリスが現れて……にいさんも一緒だった。にいさんは騎士団の制服で、剣を下げたままだった。
「……フォル!? ああ、そうか、今日は早番だったっけ」
「ちょうど帰ってきたから、そのまま連れてきたよ」
「お前がすごい剣幕で早退したと聞いたから、急いで帰ってきたんだ。何があった?」
にいさんがそう言うと、おねえさんは改まったようにぴしっと背筋を伸ばした。つられてにいさんも背筋を伸ばしておねえさんに向かう。
「現状の報告をします。
魔物は巨狼、数は10以上で未確定。羊飼い小屋に取り残された者を囲んでいるようです。小屋内には重傷者1名。他複数名で総数は不明。ターシスさんが防御結界を張っていますが、維持限界は時間の問題です」
「わかった。対応は」
「お義母さんとユールと私が小屋内に転移。
ユールは到着と同時に防御結界を担当。並行して、可能な範囲の巨狼を対象に幻術および幻覚魔法による動きの規制を図ります。お義母さんは重傷者の治癒を行い、動かせるようになり次第退避します。一般人の転移については、ディア様を呼び出して担当してもらいます。ターシスさんは現場で巨狼への対応を継続します。
私は向こうに到着次第、探知魔法で巨狼の数と分布を確認します。確認後、ただちに小隊長殿に報告し、それからあちらでサポートに入ります」
「え、僕? そんなに働くの?」
「あなたならできるでしょう?」
ユールさんはびっくりして声を上げたけど、おねえさんがユールさんににっこり笑ったらそれ以上何も言えなくなってしまったようだ。
「今。お義父さんが警備隊を集めていますし、この村にも巨狼戦の経験者がいますから、小隊長殿は彼らを率いて小屋まで来てください。それまではなんとか持ちこたえます」
それから、おねえさんは少し集中するように目を閉じた。
「ディア様から今連絡があって、準備ができ次第ルツも連れてくるそうです。今日は夜番の宿直なので、日の出ているうちならここにいられるそうです。
彼は第1だから討伐戦の経験はわかりませんが、戦力にはなります」
おねえさんとにいさんは、てきぱきと段取りを整えていった。村の人たちも、その様子を見て、少し落ち着いてきたようだった。
「……ぼくも行く」
「デルト?」
「ぼくも行くよ」
「え、待って。あなたは討伐戦の経験はないでしょう?」
「でも、ぼくも連れて行ってほしい。待ってるだけなのはいやだ」
「……よし、わかった。デルトはわたしを手伝え」
「お義母さん!?」
「重傷者がいるなら、手伝いがいたほうがいい。デルトならわたしの手伝いをしたこともあるから問題ない。それに、これでも男の子なんだ、大丈夫だろう」
おねえさんは置いていくつもりだったようだ。けど、かあさんはぼくをじっと見て、それから頷いた。おねえさんは仕方ないと溜息を吐き、くれぐれもおねえさんやにいさんの指示に従うようにと、ぼくを言い含めた。
「では、私たちは先に行きます。あとはお願い。フェリス、いい子にしててね」
おねえさんの合図で、一足先にぼくたちは羊飼い小屋へ飛んだ。
「僕さあ、こんなに働くの、何年振りだろうね?」
ユールさんはぶつくさとめんどくさそうにしながら、それでも小屋に着くなりきっちりと結界を作り上げ、「じゃ、僕は屋根の上にでもいるから」とさっさと外に出てしまった。
かあさんはすぐに怪我をした人のところに駆け寄り、荷物を広げる。怪我を負ったのは羊飼いのハーゲンさんで、右足を巨狼に噛まれてずたずたにされてしまったのだという。幸い、おとうさんの血止めが間に合って、血を流しすぎることはなかったみたいだ。
でも、血止めだけだから、少しだけでも動かすとまた血が流れてしまうんだという。
小屋の真ん中では、ハーゲンさんと一緒に仕事をしていたほかの羊飼いの人たちもいた。
おねえさんは魔法を唱えて、巨狼の数の確認に入った。一緒に、ほかの魔物がいないかも確認するらしい。
そして、きょろきょろとしているぼくを見つけて、おとうさんが声を上げた。
「デルト!? どうして来たんだい? それにエディトさんまで?」
「おとうさん! おねえさんとにいさんが来てくれたよ。ユールさんも」
「なんだって?」
おとうさんが巨狼の群れを追ってたら、羊飼いのおじさんたちが追われているところに行き当たったのだそうだ。とにかく立て籠もれる場所へとここを目指す途中でハーゲンさんが噛まれてしまい、どうしようもなくなってしまったんだという。
おとうさんはあまり防御結界が得意じゃないから、結界を張っている間はあまりほかに集中を割けなくて、ぼくにメッセージを送るのがせいいっぱいだったんだそうだ。
「とにかく、助かった。ありがとう」
ほっとした顔で、おとうさんがやっと笑ったところに、屋根の上からユールさんの声がした。
「とりあえず、目についたのは全部幻惑させたよ。でも、これ、もって一時か二時がいいとこじゃないかな。数多いし」
「ユール、フォルたちは一時くらいでここに来るから、なんとか二時もたせて。
ここにいる巨狼は、とりあえず全部で18ってところね。念のため、他から来てもわかるように、“鳴子”を設置したから、不意を突かれることもないと思う」
「そうか、じゃあ、僕は数を減らしてこよう」
おとうさんが、肩をぐるぐる回しながら立ち上がった。
「デルトもおいで。巨狼の急所を教えてあげるよ」
「えっ?」
おとうさんがぼくにも来るように言うと、おねえさんが驚いて声を上げた。
「ユールさんが幻惑させているんだろう? なら、大丈夫だよ。巨狼だしね。
……さ、デルト行こう。幻惑した巨狼なんて、練習にぴったりだよ」
おとうさんが右手に剣を持ち、左手を差し出してぼくを促した