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錦玉羹

 錦玉(きんぎょく) 

 夏の涼菓

 

 作り方



 糸寒天は水洗いしてから、たっぷりの水で一晩浸しておく。

 戻した寒天は笊にあげて水気を切り、釜に新しい湧き水といっしょに火にかけて沸騰させる。あまりいじらず、されど焦げないように、鍋の底の方だけ木べらでゆっくりとかき混ぜながら、寒天を煮溶かす。木べらですくい上げ、寒天の溶け残りが無いか、よう見る。

 寒天が溶けたら砂糖を入れて、一度沸騰させる。

 木綿をかぶせた漉し器に寒天液を注いで、寒天かすをとり除く。

 綺麗に洗った釜に戻し、再び火にかけ、沸騰するまで煮詰める。

 最後に水飴を加えて溶かし、火から下ろす。釜に入れたまま粗熱をとる。

 熱がとれたら、あらかじめ水で濡らしておいた型に流し入れる。この時、色玉用に少し釜に残しておく。

 型に入れた寒天液が半止まりになったら、残しておいた液に色をつけて、模様をつける。氷水でよう冷やす。

 完全に固まったら氷水からはずし、濡らした包丁で切りわける。

 寒天液はかき混ぜすぎないこと。

 冷やしてる時は雪婆さんが手を突っ込まないように、手ぬぐいを被せておくこと。よう冷やしたほうが美味しいけど、凍ったらあかん。




 *



「お稲荷さま、お稲荷さま、お願いします。どうかあの子の御霊をお救いください」


 日も昇りきらぬ朝ぼらけ。

 人気のない拝殿でひとり、信心と拝む女がいた。

 しかし総身が派手な女だ、髪には数え切れないほどの簪をさし、帯は前に結ばれている。まあ一目みれば花魁とわかる、華々しさ。その名にゆかりがあるのか帯には前も後ろもクジャク尾が立派な金魚が泳いでいる。女が振りまく香はしばらくの間、拝殿から消えなかった。



 *



「なんでわしらは、洗うんやろか」


 もうもうと煙りをあげるかまどの片隅。

 腰を曲げた小豆洗いがぽろりと口にしたその言葉に、隣におった米とぎ婆は首を傾げた。

 そういや、なんで研ぐんやろうか。

 ただ、粒つぶっとしたものを見ると、手を突っ込みたくなる。しゃかしゃか音がたてば水を入れたがる。水が濁れば透き通るまで研ぎたくなる。

 米とぎ婆にとっての私欲とは、それだけだった。

 あと食欲。

 腹は膨れんのだが、この芳しい飴の匂いには抗えない。


「なんでかまどの嫁は、混ぜるんやろか」


 ねっとりと木べらにはりつく飴はなんとも重そうだ。

 米とぎ婆と小豆洗いはかまどの嫁が汗だくで混ぜるつやつやの飴を眺めながら、じゅるりとを涎をすすった。そのまた隣に座る雪婆が恨めしそうに愚痴をこぼす。


「好きこのんでやってるだけまだええ、わしは好きで凍らすん違うで」

「なにを言う、うちらは感謝してんで」


 熱々の飴をすぐに食べれんのは、雪婆が程よく冷ましてくれるからだ。後はかまどの嫁の隙をつくだけ。お三方は何度も生唾を飲み込みながら、鹿の子の背中を見守った。


 季節は梅雨が明け、向暑の湯気がたちのぼる頃。

 この日の小御門神殿は蝉も哭くのをためらうほど、しんと静まり返っていた。

 王都では盂蘭盆会(うらぼんえ)の前に、御霊会(ごりょうえ)という祭りがある。

 御霊会は先祖ではなく、報われぬ死を遂げた御霊や祟りをなす御霊を慰め、(うつ)すために行う祭りだ。国中の神子が集まり、五芒星の頂点に建てられた五つの神殿を順繰りに回る。巫女は舞い、神職は太鼓打ち、その後ろを平民たちがねり歩く。五所回れば一日かかる巡行(じゅんこう)、最終地点である小御門神殿には朝拝もまだだというのに、家じゅうの人という人が祭りに出払っていた。

 なんせ当主の月明は祭りの船頭ともいえる、大祭司。絶世と謳われる月明の美顔が陽のひかりの下で拝めるとあって、街中の女という女が巡行先で待ち構え、また小御門に仕える奉公人や下女まで当主の勇姿を一目見ようと、仕事をほっぽり出して階段下で待った。また巡行する通りには待ち人用に出店が軒を連ね、暇はしない。どうせ当主の帰りは夜中だ。そんなわけで、みんな悠々と祭りに羽を伸ばしていた。

 かまどの外でそんな祭りが始まろうとしていることなど、露程も知らない鹿の子は今日もせっせと釜炊き。この時ばかりは家鳴りも出店を見に屋根を離れているので、見守る妖しは腰の重い婆さまと小豆洗いだけだった。

 

「久助さん、お願いします」


 いつものように呼ばれていた久助が、いつものように冷然と御饌皿をさらっていく。一仕事終え鹿の子がふぅとひと息、頭に引っ掛けていた手ぬぐいで汗を拭き取っていると、これまたいつものようにクラマが戸口から現れた。

 しかし今日に限って覇気がない。細い狐目は垂れ下がり、たるんだ糸のようだ。鹿の子は御饌飴をたっぷり入れた茶碗を差し出すと、クラマの顔を覗き込みながら用心深く尋ねた。


「どしたん? 綺麗なお顔が柳みたいですよ」


 鹿の子に顔を寄せられたクラマは、もうそれだけで尻尾ふりふり回すほど嬉しいのだが、この後のことを思うとげんなりしてしまう。

 なんせ今日は一年間ために溜めた怨霊退治。クラマにとって一番難儀でややこしい務めであった。報われぬ霊とは未練のかたまり。嫉妬に執念、呪いに怨という怨、手遅れには鬼になった者もいる。人間の醜い部分をいやってほど思い知らされる、クラマはこの祭りが大嫌いだった。飴でねちねち歯を潤わせながら、クラマは言う。


「今日はいちんち祭りや、きばらなあかん」

「まぁっ、お祭りがあるんですか。王都のお祭りはさぞ盛大なんやろうねぇ」

「催す立場のこっちはしんどいだけや。帰ってきたら、なんかさっぱりしたもんが食べたい」


 毎日顔を突き合わせる度に「あんこ、あんこは」とぴいぴい鳴くクラマが、珍しい。鹿の子にとって祭りは楽しい思い出しかないが、準備する方は大変なのだろう。


「はぃな」


 鹿の子はこれ以上は何も訊かずに、ただちいさく頷き、白い尻尾を見送った。

 襷を締めなおし、納戸へはね上がる。


「ふふ、戻しといてよかった」


 葛餅ばっかりじゃあ飽きるだろうと思い、久助に頼んでいた寒天。それが昨日届いたばかりで、嬉しくて直ぐにふやかしておいたのだ。


「せやけど、狐がお祭りのなにを世話するんやろか」


 大きな水桶をたぷんと掲げ、鹿の子はくすり、ひとりでに笑った。



 *



 大祭司の月明は巡行中、先頭の牛車に立ち乗りし、邪気祓いの護符を道端にばらまく。いかにもご利益がありそうだが、効果なんざなんにもない。小御門神殿の名前を入れただけの単なる営業、宣伝だ。

 仕事は簾の奥に鎮座する、お稲荷さまとその仲間達、四獣がすべてを担っている。四獣が東西南北からかき集めた怨霊をお稲荷さまがほいほい霊界へ遷す。千年続けてきたこの行事にうんざりのお稲荷さまは、しょっぱなから愚痴をこぼした。


「いい気なもんやなぁ」


 月明に対して言ったのではない。営業は歴とした小御門の務めであるし、一日作り笑いで護符を配るのは苦労だとお稲荷さまは理解している。では誰に向け放ったのかというと、物見の外の見物客だ。

 童子はシャボン玉を飛ばしながら牛車を追いかけ、おっさんは出店で買った鮎の塩焼きを片手に、護符を宙でとろうと身体を泳がせる。若い娘は我先にと前列へ躍り出て、月明を拝んでは眼福に耐えられず、ぱたぱたと倒れていった。並ぶ出店は餅売りに冷や水売り、目鬘(めかずら)売り。

 それから道端の一箇所でやけに盛り上がっているかと思えば、必ずといっていいほど金魚売り。ここ最近では障子紙で作った手網ですくう、金魚すくいとやらが流行っている。ぴちゃぴちゃ涼しげな水音。おおきな水桶に浮かぶ赤白きれいな小粒の金魚。なんとも夏らしい涼しげな出店だ。

 祭の客にまざる御霊に気付かぬまま、お稲荷さまはぼそりと呟いた。


「たのしそう」


 牛車の中に響いたのは飾り気のない、されど熟れたすもものように甘い声。聞き取った月明は簾の外で、作り用のない苦笑いを浮かべた。


「何を仰いますか。あなた様は金魚などちっぽけなものでなく、人々の御霊を何千とすくっているではありませんか。この浮世に泳ぐ、御霊という御霊を」

「御霊、ねぇ」


 金魚すくいならぬ、御霊すくいか。

 なるほどうまいこと言いよる。

 お稲荷さまはふ、と狐目を上げ、にんまりと笑った。

 

「そう考えると、なんや楽しいなってきたな」


 気はもちようで、怨霊退治もお遊戯になれば時間を忘れられるかもしれない。お稲荷さまは神の目を凝らして、獲物という獲物を見渡した。


「鹿の子の菓子を褒美に、いっちょう気張ろうか」


 簾の外で月明の影がぴくりと揺れたが、お稲荷さまは知らない。

 お稲荷さまの網にかかった御霊はひとつ残らず遷され、この年の巡行は滞りなく、無事に終えた。


 金魚売りに立っていた、男童の霊を残して。


 男童の御霊は巡行から逃れ逃れ小御門神殿へ流れ着いた。




 *



 

 クラマが疲れ肩でかまどの戸口を開けたてしたのは、月も眠ろうかと雲隠れする夜半であった。

 

「ただいまぁ」

「おかえりなさい!」


 クラマはしゃきん、と背骨をのばした。

 ふいに出た言葉は、このかまどが自分の帰る場所だと言っているように聞こえる。また鹿の子は当たり前のように「おかえり」を返したので、クラマは一日の疲れがすっきり吹き飛んだ。

 疲れは取れても腹は減るのがお稲荷さま。

 明朝の御饌だろう、釜でくつくつ煮える飴に心を奪われながら、クラマは今日の御饌菓子を尋ねた。


「葛か、わらびか?」 クラマにとってさっぱりしたもんは、それ以外に思い浮かばない。

「きんぎょくですよ」

「きんぎょ?」

「あい、きんぎょもいます」


 硝子が御出し台にこすれ、鈍い音が鳴る。

 曇りのない硝子皿に浮いているのは間違いなく、金魚であった。水を入れた金魚鉢に金魚が泳いでいる。白地に赤い斑点が可愛らしい、ちいさいちいさい金魚――。


「こ、これが錦玉か?」


 錦玉なら、毎年夏に食べている。美味いがただ甘いだけの寒天。こんなに透き通っていなかったし、模様がぽつぽつあるだけだった。それがこの錦玉、本物の金魚鉢のようにぴちぴちと金魚が泳ぐ、生きた世界にみえる。


「これ、ぜんぶ食べられるんか」

「はい。金魚は白餡なんで食べられます。金魚鉢の水は寒天で固めたもの。さっぱりと、どうぞ」

「白餡!」


 こりゃ美味いに決まってる。

 鹿の子が皿を持ち上げると、なるほどぷるると水がふるえた。まずは味見にと、水面を匙の端っこで突つく。


「ほぅっ」


 突けば、すっと切っ先が入った。寒天特有のざくりとした切りごたえがなく、やわやわと匙の上で金魚鉢の水が横たえる。

 その水は先が見通せるほど透き通った無色の極み。ふるえ具合。手応え。

 これで甘いなら間違いない。

 クラマは吸い込まれるように匙へ口をもっていった。

 金魚はどうしたかというと、最後のお楽しみにとっておこうと思うたのだが、一度すくおうとしてみれば、周りの寒天がつるんと邪魔してすくえない。何度すくおうとしても、金魚は寒天の流れにのってすいすい逃げる、捕まえるのは至難の技だ。金魚を「えいっ」とうまく匙にのせられた時の幸福感は他にたとえようのないもので、捕まえられた時には鹿の子へ「どや」と満足げな笑みをふりまいた。


「……んんんっ、うんまぃっ」


 口に入れれば期待通りのしっとり上生な練り切り金魚。こりゃあ、たまらんと二つ目の金魚をすくおうと、クラマは躍起になった。


「ふふ、よかった。旦那様も喜んでくれるかなぁ」

「ん? なんやて」

「ううん、なんでもない」


 今日のクラマは抜け目だらけの穴ぽこだらけだ。

 鹿の子の台詞を聞き逃したまま、夢中になって金魚すくいを楽しんだ。



 *



 同じ頃、幣殿では月明が直会(なおらい)の御膳に遅ればせながらの箸を入れていた。天ぷらや揚げ豆腐などの重たいおかずは先にすませ、最後はさっぱりと茄子の浅漬けと冷や飯を麦湯で腹に流し込む。速やかに食事を終えると、膳を下げにきた巫女といっしょに久助が現れた。

 月明の眉間がきゅっと寄る。

 祭りの終わりと共に今日の久助のお役目は御免。問題がなければ還るように命じてあったので、「問題があったのか」と月明は疲れた身体に塩をかけ、萎れた。

 巫女が退いたのを見届け、弱々しく久助を問い詰める。


「何があったのです。祭りの間に賽銭泥棒でも出ましたか」

「いえいえ、とんでもない。かまどからお口直しの菓子をお持ちしたまでですよ」

 

 月明に対し、久助はしゃきんとこう言って、手のなかの皿を膳のあった板間に置いた。

 かまどときいた月明は前のめり、皿のなかを覗き込む。

 

「……は?」


 しかし皿には握りつぶされたように、くずくずに崩れた寒天が散らばっているだけ。当然といえる月明の反応に、久助はこめかみを指でひっかき、簡潔に語った。


「これには訳がありまして」


 それは久助が鹿の子から皿を受け取り、渡殿を渡るわずか四半刻前のこと。

 闇に蠢く怨が袖を燻り、久助の左腕を侵した。ひとたび怨に侵されると墨のようにこびりつき、鉛のように重くなる。


「おや、祓い残しがいましたか」


 しかし久助は平然と自分の左腕に語りかけるので、怨はにょきりと首から上に飛び出した。人間てのはみんな、四肢の一本でも自由を奪えば恐れおののくものだ。それに耐えても、おおよそ考えに及ばぬところから姿を現せば、卒倒する。しかし久助はそれでもにたり、笑うだけだった。


「いけませんよ、この菓子は旦那様のものですから」


 それも盗み食いをやんわり止められた。いや確かに気になってはいたが、脅かしたかったものにとっては屈辱以外の何ものでもない。

 食うなと言うなら食うてやろうと、改めて菓子を見据えたその怨は顔中から流していた真っ赤な血を消し、たちまち目を輝かせた無垢な男童へ姿を変えた。


「きんぎょ!」


 祭りの出店でもそうだった。金魚をみると心が踊る。たとえそれが作りものであっても、男童にとっては大切なことだった。

 その様子をみた久助は当主に負けない美しい苦笑いを浮かべた。


「ふむ。理由はともあれ、金魚を腹に収めれば成仏できそうですね」


 お稲荷さまへ引き渡せば解決する話だが、怨霊のままでは行き先は決まっている。こんな小さな男童、成仏できるならさせてやるに越したことはないだろう。

 久助は男童に錦玉の金魚をすくわせてやり、男童の御霊をすくってやったというわけだ。


 月明は世話焼きの式の神に短いため息をひとつ、皿の上の残骸を家鳴りへ恵んだ。どのみち御饌を食すには命を懸ける覚悟がいる。


「しかし怨霊も成仏する金魚とは、一目拝んでみたかったものです」

「ええ、そりゃあもう、可愛いらしかったですよ」


 久助は扇子で顔を隠すと、主の知らぬところでほくそ笑んだ。


「尾ひれが煌びやかな紅白金魚に、ちいさいちいさい黒ぶち金魚」


 まるで夫婦のように添うておりましたと、小声で呟く頃にはもう、月明はうとうとと微睡んでいた。

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夜食組のお務め/久助‐菓子材料の調達。小薪‐納戸の在庫管理。ちょうちんお化け‐飴の保温。手元の灯り。/ご褒美はかくなわ小説家になろう 勝手にランキング
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