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葛餅(下)

 童子丸が散切り頭をあちらこちらに飛び跳ねさせ、むくり起き上がると、枕元に懐紙が被せられた菓子皿がふたつ置かれていた。

 納戸から顔を出しかまどを覗けば、鹿の子はもう汗だくになって釜をかき混ぜている。その真剣な顔に声はかけづらくて、童子丸は独り黙々と布団を畳んだ。少し動けば、鳴る腹の虫。

 たまらず「いただきます」と短く手を合わせ、菓子皿のひとつをとった。


「……ぁ」


 懐紙の下から現れたのは、きな粉をかぶった葛餅。間をあけず、その上にぽたぽたと涙が滴り落ちた。

 御饌菓子が葛餅やったらなぁ。淡い期待がほんまになった。

 童子丸は一度菓子皿を置き、被さっていた懐紙で涙をふいた。

 葛餅。

 かあさまが、大好きだった菓子。とおさまも、自分も大好きな菓子。

 かあさまの、名前の菓子。

 一頻り泣いた童子丸は、ひっくひっくと喉を鳴らしながら、ようやく一欠片すくった。

 童子丸が食べやすいように、真四角に切られた葛餅。まんべんなくまぶされたきな粉の隙間から、ちらちらと覗く透明な肌。ぷるぷる菓子楊枝から逃げようとするそれを、追いかけるようにしてぱくり、ほおばった。

 

「ふ、うふふ」


 なんや、これ。

 噛まれへん。

 童子丸は、泣き枯れた喉から笑い声を出した。

 噛めない、噛むのがもったいないほど、歯に美味い。

 ふるふると舌の上で踊る葛餅は歯でおさえると、もっちり押し返してくる。

 頑なにこっちが押しちぎれば、ぷちんと弾けてきな粉を吹かす。

 口のなかで暴れるきな粉は香ばしく、葛のどこまでも清らかな生地を惹きたたせた。

 離れたくない。

 離したくない。

 喉に流し込めばかあさまがいなくなってしまうような、そんな寂びしさまで感じた。


「美味しい、美味しいよう」


 次には惜しみなくもっちもちと喉に押し込んでいった。

 こんな美味しい葛餅はじめて食べた。

 お稲荷さまもきっと気に入る。

 きっとかあさまに会えるから。

 童子丸はもう一皿へ目をやった。

 鹿の子はかあさまの分も葛餅を置いといてくれている。

 このとびきり美味しい葛餅を、かあさまに食べてもらえる。

 さあ願いを叶えてもらおうと最後のひとつを喉に詰めると、童子丸はかあさまの分の皿をもって納戸から飛びだした。


 童子丸は勢いよく戸口を引いて出ていったが、釜炊きに夢中の鹿の子が気付くことはなかった。





 *





 それはそれは十年前のある日のこと、童子丸が産まれる前の話だ。

 安倍という男が何時ものように神殿にお参りをしていると、目の前に狩人に追われた女狐が飛び出してきた。

 この時安倍はとっさに女狐を庇い、ひどい怪我をしてしまった。

 そのまま意識を失い、安倍が目を覚ましたのは自分の邸のなか。見知らぬ美女の腕に抱かれていた。

 その女の名は「葛の葉」という。

 この「葛の葉」、女に化生しているが、その本性は安倍が救った女狐。命を助けられた狐はそのものに身を以て恩を返さなければならない。葛の葉は狐と悟られぬよう、一生懸命、安倍を介抱した。


 やがてふたりは想いを寄せ合い、夫婦として暮らし始めた。ふたりの間には、童子丸という名の御子が生まれた。

 しかし、幸せな日々は束の間だった。

 親子の別れは知らせもなくやってきた。

 童子丸が生まれ、六年目のある春の日のこと。

 変哲もない、穏やかな秋日和。葛の葉は庭に咲いた見事な菊の花に見入っていた。

 狐の姿に戻って居るのを忘れ、ぼうっと。その姿を我が子である童子丸にみられていることに気付かずに。

 気付いた時には童子丸の頭に、ぴこんと白い耳が飛び出ていた。

 これは自分は狐の血をひいていると、童子丸が自覚した証しであった。

 葛の葉は脇目も振らず、邸を飛び出た。

 狐は人間に本当の姿をみせてはならない。

 みられたら最後、二度と会ってはならない。

 狐の世界の、厳しい厳しい掟だ。

 掟を破ったら、安倍も童子丸も狐の神に祟り殺されてしまう。

 葛の葉は愛する夫に別れを言えぬまま、愛しい我が子を一人置き去りに、その場から逃げ出した。

 ――狐の姿でもよいのなら、会いにきてください。

 もとの住処を記した、短い文を残して。


 安倍と童子丸は葛の葉が残した文を頼りに、深い森の中を歩き続けた。

 それは疲れ果てた童子丸が池の水で喉を潤そうと水べりに腰をかけた時だった。涙を流しながらこちらを見つめている一匹の狐を見つけた。

 狐は池に自分の姿を映すと、美しい葛の葉の姿になった。

 葛の葉はどうしてもふたりにお別れが言いたくて、化けてしまったのだ。

 しかし狐の神がこれを許すはずもなく、葛の葉が池を渡る前に、神様は大雨を降らせた。

 雨で濁った池の水に葛の葉の姿は映すことはできない。

 神の怒りを悟った葛の葉は狐の姿に戻ると、森の奥へと消え去っていった。





 *




「すまん」


 お稲荷さまは拝殿で童子丸と顔を突き合わせるなり、そう言った。


「どう……し、て」


 童子丸は枯れきった喉から絞り集めるように、そう返した。


「すまん。すまん、すまん、童子丸」


 願いを叶えてやれないことに、お稲荷さまは涙を流して謝った。

 鹿の子の作る葛餅は、格別に美味かった。

 それに乗っかるきな粉もまた、特別に美味かった。

 しかし、願いは叶えられなかった。


 母との再会。


 それはきな粉では到底払いきれない、高望みであった。一日どころか、半刻だって会えやしない。国ひとつ売っても叶えられない。

 狐の世界の掟は、それほど厳しいものだった。

 自身が半妖であり、母が妖狐のお稲荷さまは、同じ境遇の童子丸を思いやり、思い出しては、泣いた。

 自分も神に生まれ変わらなければきっと、同じように母と引き離されていたに違いない。

 今だ信じられず、突っ立ったままの童子丸へ、お稲荷さまは拳を差し出した。

 

「願いは叶えられなかった。しかし、きな粉の対価なるものはある」

「え……?」

「形見だ。受けとれ」


 お稲荷さまの拳の下に、手を滑らせる。

 落ちてきたのは手のひらいっぱいに収まる大きさの、真珠色の水晶玉。


 水晶玉は童子丸の手のひらのなかで、ひとつの世界になった。


 夜空の砂漠。

 氷山に閉ざされた街。

 玉座で居眠りする主上。

 童子丸を探し回る家人。

 かまどを外から覗きみる唐かさ。


 世界の端から端まで、船で一年かかる異国からすぐそばまで、全部全部、みえる――。


 お稲荷さまは、言いたくなかった最後の一言を、吐いた。



「その水晶玉は世界の全てが見える。かあさま以外の、全てが、な」


 童子丸の手のひらのなかで、ちいさな世界の全てが滲んでいく。霞んでもう、何も見えやしない。

 童子丸は一度枯らした涙を、水晶玉の上に落とした。

 ねぇ、かあさま。

 泣いても泣いても、涙がでてくるよ。

 泣いても泣いても、会いたいよ。


 おいらが見たいのは、世界の果てでもない、百年に一度咲く花じゃない。



 かあさまなのに――。



 水晶玉に落ちた涙の雫には、美しい女の泣き顔が映った。

 狐の涙は、狐の世界を映す。

 童子丸がこのことを知るのは、遥か二十年後の、初夏のこととなる。



 童子丸のとうさまが迎えに上がったのは、昼半どきだ。お稲荷さまは拝殿へ上がってきたとうさまを「安倍」と呼んだ。


「また、やつれたな」

「お久しぶりでごさいます、お稲荷さま」

「うむ」


 安倍は一度、お稲荷さまに詣っている。

 どしゃぶりの雨のなか童子丸をおぶりやってきたものだから、拝殿の板間はびしょ濡れ。お稲荷さまは汚すだけ汚して手ぶらの安倍におかんむり、天罰を下そうと拝殿まで姿を現したのだが、安倍の様子をみるなり、手を引っ込めた。背中に半妖の童子丸、顔には雨か涙かわからぬ滝を流していたからだ。そして安倍にはお稲荷さまの姿が見えた。それは狐と交えた証し。

 安倍はお稲荷さまを見るなり、こう言った。


 ――私の命と引き換えに、この子に母親を返してやって下さい。


 お稲荷さまは安倍を見透さずとも、答えは決まっていた。人の命は対価にならない。してはいけない。首を振るお稲荷さまに、安倍は尋ねた。


 ――ならば、どうしたら。


 どうしようもない。

 お稲荷さまは淡々と語った。

 人と狐は相入れぬ。半妖といえど童子丸は人の世で育った人の子。

 狐は人と相入れぬ。

 死にとて御霊の行方も分かれ、二度と会えぬ。

 死にとて――、安倍は童子丸をおぶったまま、膝を崩した。


 ――ならば、相入れぬならば何故私は、葛の葉を愛してしまったのでしょう。


 わからない。

 お稲荷さまにも、わからない。

 父は何故妖狐の母を愛し、母は父を愛したのか。

 それはこの世の理に答えがない、ひどく不合理で哀しい恋――。


 一年前のあの日を思い出し、お稲荷さまはまた目頭を熱くした。

 できることなら童子丸とかあさまを会わせてやりたかった。一目会うことも叶わぬとは。

 この世の理は、相入れぬ種になんと残酷なのだろう。

 

 ――わしと鹿の子も、神と人。


 目を赤くして苦悩するお稲荷さまに、安倍は笑って頭を下げた。


「ありがとうございました」


 なにもしてやれなかったのに。 


 泣き疲れて眠る我が子を大事に抱きかかえ、間もなく安倍は境内を去った。その背中を見送る二人の女。

 一人は泣き崩れ、一人はその肩を抱いた。

 泣き崩れたほうの女の名は、葛の葉という。


「よう、辛抱した」


 葛の葉の肩を抱くは、雪。

 雪は知っている。辛いのはこれからだ。

 葛の葉の尻尾は二またに分かれつつある。妖狐になれば愛する男が老い朽ちるのを見届け、次には息子が老い朽ちるのを見届けなければならない。そして最後は独り――。


「胃袋の中くらいは、息子と同じもん収めていき」


 雪は葛の葉を立たせると母家へ誘い、消えていった。




 *




 同じ頃、かまどでは鹿の子が飴を炊きながら、童子丸を思いやっていた。


「かあさまに会えたやろか」


 会えたに違いない。

 だってあんなに美味しいきな粉が供物なんだもの。会えたあかつきには、かあさまの胸のなかで鼻水垂らして泣いたことだろう。さよならがないのは寂しいけれど、それは童子丸が嬉しさで頭がいっぱいな証。

 今頃きっと、親子で手をつないで帰路を歩いている。


「それにしても……」


 童子丸の頭についていた白いふたつの三角は何やったんやろか。何かわからないが、ぴこぴこ動いてとても可愛らしかった。

 また会えたらいいなぁと笑みをこぼして鍋の底をこすると、あれまぁ。木べらになんにもついてこない。


「また食べられたっ」


 こうなったらまた葛餅やと、青大豆を取りに納戸へ行けば、なんと俵のなかが全部きな粉になっている。挽かんでええのは手間がないが、こんなにぎょうさんどないしよ。

 小豆みたいな目を皿にした鹿の子をからから笑うは、きな粉坊。

 周りの妖しに混じり御饌飴を舐めたきな粉坊は以来三百年、かまどに住み着いたという。

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夜食組のお務め/久助‐菓子材料の調達。小薪‐納戸の在庫管理。ちょうちんお化け‐飴の保温。手元の灯り。/ご褒美はかくなわ小説家になろう 勝手にランキング
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