葛餅(上)
葛餅
軽夏の涼菓
作り方
葛粉とその半量のお砂糖を手でよく混ぜておく。
葛粉の五倍量のお水といっしょに火にかけて、木べらで混ぜる。
とろみがでてきたら火を弱め、透明になるまでよくかき混ぜる。
しんどいけど手は休めず、焦げない程度に、ゆっくり。コシが抜けないように。
透明になってしばらくしたら火から下ろし、水でぬらした型に平たくならして、氷水で冷やし固める。
祖熱がとれたら氷水から引き上げること。
一口大に切り分け、きなこをふる。
*
かたくりの花が落ち、田んぼの田植えが始まる頃。新緑の影が水面のように揺れる八つ時。
小御門神殿の境内のあちらこちらで、てんてん、と鞠がはねる音がした。
なんや楽しそうやと唐かさがぴょんこぴょんこ姿を現すと、小さな男童が独り蹴鞠をしているではないか。
幼い人間には霊力がなくとも妖しがみえる。男童は唐かさに気づくと蹴鞠をやめ、にっこり会釈をした。唐かさもお辞儀をするように傘をやんわり閉じる。すると何を思ったか男童は閉じた傘に鞠をぶつけてきた。
――この坊、一つ目、一本足のぼろ傘が怖くないんやろか。
なんだか嬉しくなった唐かさはうひゃあ、わめきながらも「やったなぁ」と傘を思いっきり広げて応戦した。男童も嬉しそうに鞠を受け止めては、また蹴り上げる。まあまあうまいふたりの蹴鞠はしばらく砂利につくことなく続き、その間男童の笑い声が境内に響いた。
穏やかな午後。
しかし霊力のある月明にとっては笑い声だけでは済まない。盗み食いにきた妖しがかまどから頭を突き出して野次を飛ばすものだから、五月蝿くてかなわない。
たまの休みくらい昼寝させてくださいよと、や否や久助を呼びつけた。
主に命じられた久助は御意に動くまで。
かまどに居る野次馬を冷眼でひとたび睨み付けると、そのままつかつかと浅沓を鳴らして唐かさと男童に歩み寄った。
「神殿で遊ぶと罰があたりますよ」
「ふん、なんや。太鼓のばちか」
久助の冷徹な表情にめげず、食ってかかったは年端もいかない稚児。
久助が見るからに、十歳にも届いていない。
何処ぞやの神殿の御子さまだろうか、可愛らしい紅色の水干に白い括袴を履いて、まるで小さい巫女装束だ。
しかし如何せん、お世辞にも顔が可愛くない。散切り頭の下の目は吊りあがって、一本線のよう。まるで誰かさんを見下しているようだ。
おまけに黒光りした頭の上に、白い耳がぴょこんと生えていた。
「半妖……?」
「お稲荷さまを呼べ、供物があるぞ」
旦那様の命をまっとうするには時間がかかりそうだ。
久助はせめてかまどだけは静かであるように、妖し等に向けて「しぃっ」と唇に人差し指をたてた。
*
朝から炊きっぱなしの飴に、ようやく艶が出始めた逢魔が時。
やれ、滴る汗を拭うはかまどの嫁。
その一瞬の動作の隙に今か今かと待ち構えていた妖し等が、蓋の開いた釜へ頭を突っ込んだ。小鬼が足の爪で釜の鉄蓋についた飴までこそげきって、すぐ。
「あぁっ、もうないぃ」
「お前が鹿の子か」
鹿の子のいつもの嘆き声に合わせ、幼い声が重なった。
「はい……?」
鹿の子が土間にこすり付けていたおでこを上げれば、大きな笊を両手に抱えた男童が御出し台に立っている。唇が半孤を描くほど、にたり笑って。
「ほんまやぁ、小豆そっくりや」
「あ、あずき?」
「お前の顔もきな粉にしたろか。小豆はきな粉になれんか」
「きな粉?」
男童は笊いっぱいの青大豆を鹿の子に見せると手拭いで覆い隠し、いちにの、さんで丸い大豆をきな粉に変えた。笊の隙間からぱらぱらと黄色い粉がこぼれ落ちる。
「まぁ」
「ふふん、どんなもんだいっ。おいらが美味いきな粉をもってきてやったんや、美味い菓子に作らにゃ、承知せんからな!」
そういって、えらそうに鹿の子へ笊を受け渡した。
青大豆をきな粉に変えたのは、男童といっしょにやって来た黄色い妖し、きな粉坊の仕業だ。きな粉坊は男童の肩へよじ登ると、ふふんと同じように踏ん反り返った。
まるで見世物屋の手品のようで、ぽかんと見上げていた鹿の子であったが、男童の泥んこ下駄に気付くなり、目の色を変えた。
「おりなさい」
「あ? なんやて、聞こえへん」
「……おりなさい!」
きな粉の笊をちゃっかり隅へやると、眉間のしわをつぶらな瞳に食い込むほど深く刻んで、鹿の子は怒鳴った。その顔が面白くて、調子に乗った男童はかつかつ下駄を鳴らす。またその音のいいこと。踊るのに夢中になって、腰を掴まれていることに気付けなかった。
「あれ?」
「お仕置きです」
それからかまどでは、下駄の音よりずっと軽快な、ぱんぱんと言う音が鳴り響いた。間もなく男童の泣き声がこだまし、何事かと暇した下女が集まってくる。
境内を挟んだ向かいの幣殿で、月明が青筋立てたのは言うまでもない。
下女がかまどを見下ろすと、男童は鹿の子の膝の上で、真っ赤な尻だしてうつ伏せになっていた。
「ひっく。ひっく。ひどいや、かあさまにも叩かれたことないのにっ、うわぁあん」
「お前、名前は」
「ひっく。なんで言わなあか――」
鹿の子の手が上がり、男童はひっ、とすくみ上がる。利かん気のある坊は、しょっぱな痛い目合わせるくらいが丁度いい。
畑の手が足りない時、百姓の子供を子守していた鹿の子は、とりわけ尻叩きが得意だった。
「どうじまるっ、童子丸やっ」
「歳は」
「な、ななつ」
「七つ? 七つにもなって。童子丸さん」
鹿の子は童子丸の尻をしまって立たせると、袴の紐をゆっくりと結んであげながら、同じ目線で強く語りかけた。
「御出し台は、お稲荷さまが召し上がる御饌菓子をのせる台です。鞠を蹴った下駄で、踏んではばちがあたります」
「ふんっ、なんや、太鼓のばちか」
「ばちはあたらんでも、誰も喜べへん。童子丸さん、あなたはこの土汚れの台に乗った菓子を、大好きなかあさまに食べさせたいと思いますか」
「……う」
食べさせたくない。
童子丸はきまりが悪くなって、うつむいた。うつむいた先にあるのは、鞠を蹴って赤くなったつま先。
鹿の子は見透かしたように、童子丸の爪先をそっと撫でた。童子丸の赤くなった親指を濡らした手ぬぐいで優しく拭き取ってやると、次にはぎゅうっと抱き寄せ、こう言った。
「かあさまが悲しむことを、しないで」
童子丸は鹿の子の腕のなかで二、三瞬きすると、下唇を震わせて、今度は哭いた。
――まるで、かあさまに言われているみたいだ。
どんなに隠れて悪さをしても、かあさまには必ずみつかる。こっぴどく怒られる時もあれば、悲しげに否す時もある。特に、かあさまの悲しげな顔をみると、二度とするもんかと胸に誓った。
鹿の子は下駄で御出し台に乗ったら、かあさまが悲しむという。
そんなの、絶対にいやだ。
童子丸は鹿の子の肩がびしょ濡れになるまで泣き続けた。
やれ、大ごとだ。
高みの見物をしていた下女の一人が、母家の奥へと走っていった。
程なくして現れたのは、
「何事ですか」
姑の雪だ。
雪はわんわん哭く童子丸を一目みて、はっと息をのんだ。土間の土で汚れることを気にせずかまどへ下り、鹿の子の腕のなかから、童子丸をひったくる。雪は鹿の子よりもずっと強い力で童子丸を抱き締めた。
「どうして……っ、どうして、ここへ」
童子丸を宥めようと背中を撫でながらしばらくの間、雪はそう呟いていたが、やがて憎悪のかたまりのような視線を鹿の子へもっていった。
「よくも、よくも……っ!」
白髪まじりの美人巻に白い耳が立ち、九尾が裾からうねり出る。同時に右手の爪が指よりにゅ、と長く延びた。雪の手にかかれば鹿の子の細首など一掻きだろう。
「おのれぇ……っ、かまどの嫁!」
「ひぃっ」
鹿の子は弾かれたように身をこごめた。
頭もすっぽり膝に隠したから、雪の変貌は知らない。
雪の後ろに立つ下女は目ん玉が飛び出るくらい驚いた。童子丸は寸の間飛び出た雪の真っ白な九尾に、けほんけほん。
寸の間で済んだのは、お稲荷さまが間に入ったから。
お稲荷さまの顔をみた途端、雪の尻尾は引っ込んだが、怒りの方はおさまらなかった。
「おどき。その貧相な小豆顔に一生残る傷つけたる」
「頭を冷やせ、鹿の子が子供を虐めるわけないやろ。童子丸は家出してきたんや」
「家出?」
しゅ、と今度は耳が内へと引っ込んだ。
童子丸がお稲荷さまの「家出」の一言に、雪の胸のなかでびくっと戦慄く。それを見たお稲荷さまは声色を和らげ、こう言った。
「一晩、泊めさせる。安部家にはよろしく伝えてくれ」
お稲荷さまがらしくもなく深く頭を下げるので、雪は頬を染めて渋々折れた。
「そ、そんなに言うなら、……わかりました。家出というなら、為方ありませんね」
顔をあげる鹿の子。
お稲荷さまの姿がみえない、声も聞こえない鹿の子には、雪が何をわかったのかさっぱり。それも家出やという。
童子丸が耳元で喋ったのだろうか。
お義母さまが必死に怒ったり、すぐに機嫌を直したりするのだ、童子丸はきっとお義母さまの大切なお客様だ。
鹿の子はお尻叩いてごめんなさいと、素直に謝った。
「お尻、童子丸のお尻を叩いたやてぇ!」
「ひぃっ」
再び白い耳がおったつ。
こごめる鹿の子。
今度こそ見間違いではないと、真後ろに立っていた下女が独りでに卒倒した。
*
そのあとすぐ、鹿の子は珍しくかまどの火を落として、納戸に布団を敷いた。
童子丸がかまどを離れようとしないからだ。
童子丸は雪の腕の中からするりと抜け出すと、鹿の子の背中に引っ付いた。引っ付き虫がおっては火焚きはできないので、やむなく火を落としたというわけだ。
去り際の雪の顔を思い出すと生きた心地はしないが、今は考えても為方ない。家出と聞いた鹿の子は童子丸を放って置くことはできないし、童子丸は幼き日の弟のようで、とても愛らしく思えた。
この数ヶ月、ひとりぼっちの鹿の子には、とりわけ。
それに明日の御饌菓子はそう手間がかからない。あけぼのの頃に起きれば、充分間に合うだろう。
平べったい布団に川の字になって向き合いながら、鹿の子は童子丸へ家出の理由を尋ねた。
「なんで家出したん。かあさまに、きついお灸でも据えられたん?」
「……ううん、別になんも。それにかあさまは、うちに居れへん」
「まあ、ではいっしょに暮らしていないの?」
「うん。今はとうさまと二人きり」
鹿の子はひどく胸を痛めた。
お尻を叩いている時、かあさまの名前を何度も呼ぶものだから、七つにもなって随分と甘えん坊さんだこと、と呆れてさえいたのだ。
何も事情を知らんと勝手に思い込んで、口を衝いたのは無粋な台詞ばかり。童子丸に辛い思いをさせてしまったと自分を悔いた。
「ひどいこと言って、ごめんなさい」
鹿の子はそう言って、童子丸の手をぎゅうと握った。
童子丸はまた溢れそうになる涙を必死にこらえた。今泣いたら、願い事が叶わなくなる気がしたから。
「寂しくなんかない。だって、もうすぐ会えるもん。きっとお稲荷さまは、願いを叶えてくださる」
「お願い事?」
「うん。きな粉を供物に、お願いしたんや。かあさまに、会えますようにって」
「そう――」
鹿の子は目を細め、柔らかく笑った。
童子丸は家出をしに来たのではなかった。かあさま会いたさに、この神殿へお参りに来たのだ。
いじらしいお願い事。その供物は是非美味しく食べてもらいたいと思う。
「明日のお菓子、楽しみにしててね」
童子丸は雪の大切なお客様だ。
きっと朝の御膳には御饌菓子が添えられることだろう。なくとも、味見にこっそり食べさせてあげようと心に決めた。なんせ主役は童子丸がもってきた、きな粉。
黄色い粉をみた鹿の子が真っ先に頭に浮かんだのは、そう――田植えで汗をかく夏の始まりにぴったりの涼菓。
「うん!」
童子丸は期待を込めて、にっこり笑い返した。
拝殿へあげた供物は美味い菓子に化けるほど、願いが叶うという。かまどの嫁が自信たっぷりなのだから、きな粉はきっととびきり美味しい御饌菓子になるだろう。
それに鹿の子と手を繋いで寝ると、ちっとも寂しくなんかない。
安心しきった童子丸はすぅ、と吸い込まれるようにして眠りについた。
――どうか一日だけ、かあさまに会えますように。
童子丸の足じゃあ実家から小御門神殿まで蹴鞠しながら歩いて一刻。疲れきった童子丸が夢もみずに眠りこけ、目を覚ましたのは陽が昇りきった、朝拝の後だった。