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桜餅(下)

 それは八重桜の散り終わりに出会った、佐保姫(さほひめ)と颯太の物語。


 佐保姫とは、春の女神。

 春の訪れと終わりを告げる神様だ。

 この国には春のご神木を祀る、とある貴族家がある。佐保姫は毎年、その桜が散るのを見届け、国を去っていた。

 颯太がその貴族家に奉公へあがってきたのは六年前、颯太が十歳の春のこと。

 颯太は旦那様の舎人として仕えたが、貴族家には広い広い庭園があり、庭の掃除も颯太の仕事だった。

 颯太は庭掃除が好きだった。

 庭のご神木は八重桜。大きくて、花まで大きくて、それは見事なものだ。

 散り始めが、特に素晴らしい。

 掃いても掃いても、落ちてくる花びら。

 颯太はちっとも苦にならず、一日の半分を桜の木の下で過ごした。

 桜が霞んで見えたのは、その年の散り終わり。

 童子が乗っても細い枝に美女が一人、草履の先で立っていた。

 それが春の女神、佐保姫だった。

 枝に降り立った佐保姫はふとした拍子に羽衣を落としてしまい、颯太に姿を見られてしまった。

 颯太は一目で惚れた。

 ああ、僕がずっと見上げていたのは、この人だったのかと。


「人間の男が佐保を見たら、絶対に惚れてしまうんや。春やからな」


 わしは惚れへんけど。と、クラマは鹿の子の手を強く握った。

 なんだか胸が熱くなって、鹿の子もまたクラマの手を強く握り返し、話を急かした。


「それで?」


 佐保姫は颯太から羽衣を取り返し、すぐに離れようと考えたが、うまく飛べない。ほんの少し強く足を踏み込んだだけで、足継の細い枝が折れてしまった。

 颯太は落ちてきた枝と佐保姫を受け止めた。十歳の腕にはあまりに大きくて、軽いものだった。

 間近で佐保姫をみた颯太は、耳まで真っ赤になった。

 幸い、颯太はまだ十歳の少年だ。

 優しく聞き分けのいい子で、わけを話せば、すんなり羽衣を返してくれた。

 その年は、それで終わった。

 佐保姫は暫くこの邸へは通えないわと、残念に思う程度だったのだが。


「颯太はその後すぐに、佐保が残した枝を持って、小御門神殿へやってきた。賢いやっちゃ、颯太は拝殿でこう願い出たんや」



 ──来年も、佐保姫様が羽衣を落としますように。



 然して颯太が久助の手を介し供物台へ上げた桜の枝は、一年塩に漬け込まれ、桜餅を敷く葉っぱに生まれかわった。

 その桜餅を食したお稲荷さまはほっぺたを緩ませながら、一年ほったらかしにしていた願いを思い出した。

 こんな美味い菓子に化けたんや、坊主の願い、叶えてやろう。

 近くに漂う佐保姫の香りを嗅ぎつけ、ぽいっと八重桜へ吹き飛ばした。ついでに羽衣をしゅるり、落とせばほらみたことか。

 見事、颯太は枝と佐保姫を受け止めた。


 それからというもの颯太は毎年、桜の枝を供物に羽衣を願った。桜の葉っぱは美味い桜餅に化ける。お稲荷さまは桜餅が大好きだ。颯太の願いは桜餅が御饌に出される一年後、必ず叶った。


 困ったのは、佐保姫だ。

 どんなに邸を離れたって、紐で引っ張られるみたいに桜へ吸い寄せられる。羽衣を落としてしまう。

 この上、颯太は年々、羽衣を返すことを渋った。それに伴い、二人の語り合う時間が長くなっていった。長くなるほど、颯太は佐保姫に惹かれていく。のめり込んでいく。

 佐保姫は年を追うごとに、怖くなった。

 いつか颯太が羽衣を返してくれない日が来るのではないだろうかと。

 隣で肩を並べる颯太が自分の頭ひとつ分、高くなった年。

 佐保姫は神の力を使い、邸主へ呪をかけた。

 呪をかけられた邸主は、なんだか急に颯太を息子にしたいと強く思った。前々から息子のように可愛がっていたが、近頃うんと、そう思う。実際、娘と二人並ばせてみれば、どうだろう。娘の婿には颯太しかいない気分になってくる。

 邸主は何かに追い立てられるように婚儀を整え、晴れて颯太は貴族家の婿入りを果たした。

 それが去年の話だ。

 優しい颯太は娘のことを想い、羽衣を願わないだろう。

 佐保姫はそう信じていたのに──。


「颯太は今年もかわらず、羽衣を願いおった」


 颯太の想いは、佐保姫が思っていたよりずっと、確かで強いものだった。

 このままでは今年も、また来年も羽衣を奪われてしまう。颯太が悪知恵を働かし、羽衣を隠しなどすれば、佐保姫は風成から出られなくなってしまう。

 風成は延々春霞、他の国々は春を失う。

 佐保姫は決めた。

 もう二度と、颯太に会わないと。

 そのためには、お稲荷さまに颯太の願いを叶えさせてはいけない。桜餅を食べさせてはいけない。

 去年の桜の葉っぱに包まれた、桜餅を。


「そういう訳やから、鹿の子。葉っぱなしで桜餅作ってくれへんかな」


 クラマは別に、鹿の子の桜餅を食べられるなら、しょっぱい葉っぱなんて、なくてもいい。延々冬が来ず、旬の小豆を食べられへん方が困る。

 佐保姫を庇い、鹿の子に願い出たが。


「あきません」


 鹿の子はクラマの手を振りほどき、きっぱり断った。


「し、しかしやな、鹿の子」

「桜餅は、桜の葉っぱを一緒に食べな、桜餅と言われへん」

「そんな気にせんでも──」

「気にします。お稲荷さまが桜餅をお望みなんです。お稲荷さまが桜餅を出せというなら、葉っぱつけな出せません。お稲荷さまが望んだものは、わたしは絶対、作らなあきません!」


 気圧され言葉に詰まるクラマを、佐保姫がつつく。

 鹿の子は釜を拾いあげ、洗い場でごしごし洗いながら、こう言った。

 

「会わへん? だったらなんで、毎年枝を落としたんですか」


 枝を落とさなければ、颯太には羽衣に見合う供物はない。願い事は叶わないのに。

 今度は佐保姫が、言葉を詰まらせる番だった。

 鹿の子は洗った釜をかまどへ乗せて、焚き口へ腰を下ろした。くすぶっていた炭へ、息吹を吹き込む。



「わたしは桜餅を作ります。誰が何と言おうと」



 こし餡炊いて、餅蒸して。

 桜色に輝く道明寺餅が出来上がったのは、あけぼのの頃だった。

 道明寺餅は、葉っぱがなくては桜餅になれない。

 鹿の子は無言で、両手のひらを広げた。

 道明寺餅が出来上がるのを、御出し台からずっと見ていた佐保姫もまた、無言で扇子を閉じ、鹿の子の手のひらに乗せた。

 佐保姫の扇子は鹿の子の手のひらの中で、綺麗に重ねられた桜の葉っぱへ形を変えた。

 鹿の子は道明寺餅を丁寧にひとつひとつ、葉っぱに包んでいく。

 

「はい、召し上がれ」


 御出し台にはぎっしりと、まあるい桜餅が並んだ。


「召し上がれ?」


 クラマはきっ、と鹿の子を睨んだ。

 鹿の子の菓子を食べるのは、何時だって自分が一番でなければならない。

 はいはい、と鹿の子がクラマの口へ桜餅を運ぶ。

 クラマはあーん、と納得して、もぐもぐ。にんまり笑って、佐保姫へひとつ差し出した。この甘いもん好き、と佐保姫は呆れながら受け取ったが、近くで見れば見るほど美味そうだ。


「いただきます」


 佐保姫は用心深く、葉脈と餅を一緒に噛みちぎった。

 

「これは……」


 なるほど、かまどの嫁が意地を張って作った価値はある。

 佐保姫は目を瞑り、よく味わった。

 つぶつぶと舌で弾ける餅、白浜のようにさらさらと溶ける餡。

 特に、包丁が飛び交うかまどで鹿の子が庇った餡は、庇ってくれた恩返しとばかりに、小豆の旨味がぎゅっと詰まっている。まさに極上のこし餡だ。

 そして桜の葉っぱ。

 とある貴族家のご神木。八重桜の散り終わりに摘まれた、最も新しい葉。

 そこはかとなく薄く儚い、されど力強い香り。ぷつり、歯で噛み潰す度、鼻にぬける。桜に、颯太の愛に包まれたような、優しい香り──。


「美味しい」


 こんなに美味い桜餅、はじめて食べた。

 春の女神が涙をこぼすほどに。

 佐保姫は桜餅を飲み込めぬまま、泣き崩れた。


「忘れて、欲しくない……っ」


 一点を見詰め、涙を汲むクラマ。

 それを眺めながら、鹿の子はこう言うた。


「会わんと決めたのなら、自分の口で言ってください。でないと颯太さんが、可哀想や」





 *





「ほら、また捕まえた」


 とある貴族家の庭園。

 颯太は八重桜の下で、そぼふる花びらを掴んでは離し、一人戯れていた。

 さあ、いつでもおいで。

 手をのばしては、花びらの向こうに春霞を望む。

 佐保姫の振袖が枝に垂れたのは、颯太が六つ目の花びらを捕まえた時だった。



「どうして──」



 羽衣も、枝も落ちてこない。

 佐保姫は太い幹に手を添え、見下ろすばかり。

 賢い颯太は佐保姫の思うところを覚り、下生えに足を踏み込ませるが、八重桜はご神木。

 触れることもできず、なにか異様な力にはね返された。


「どうして、どうしてっ! 僕はずっと、貴女を想って待っていたのに!」

 

 颯太の悲痛な声に、佐保姫は答える。


「もう、会わない。私達はもう、会ってはならないんだ。今日はお別れをいいにきた」

「そんな……! 僕は、僕には佐保姫しか、いないのに!」

「颯太、お前はもう独りではない。いや、最初から独りではなかったんだよ。後ろへ振り返ってごらん」

 

 颯太は佐保姫から目を離したくない。

 それでもやっぱり気になって、ゆっくりと首を回した。


「姫様……?」


 颯太に「姫様」と呼ばれた娘は、縁にかけられた簾を開け、桜を見上げていた。

 その手には、佐保姫の羽衣。


「もう姫様ではない。お前の伴侶だ。この娘はずっと縁側で、お前を見守っていたのさ」


 颯太はよくよく、娘を見た。

 六年、簾の向こう。旦那様に呼び出され肩を並べた時も、婚儀の時でさえも、佐保姫を想い目を合わせなかった娘。

 艶やかな桜模様の袿に、羽衣を持つその娘はまるで、天女のような美しさだった。


「貴女が……僕の、伴侶」


 娘は温かに微笑んだ。


「ずっと……、ずっと御慕いしておりました。桜を見上げる、颯太様を」


 颯太の心へ流れ込んでくる、娘の想い。

 娘は簾の中でずっと、颯太を見ていた。

 佐保姫を愛おしそうに抱き救う、その横顔を。

 その横顔に自分を重ね、自分もまた一途に、颯太へ恋い焦がれていた。


「姫様……」

「わたくしの名は、栞と申します」

「しおり……、さん」


 羽衣が不思議な力で娘の手を離れても、颯太は娘から視線を外すことはなかった。





 *





 神殿の屋根の上。

 ふたりの神様は肩を並べ、朧月夜を見上げた。


「詰まるところ、佐保は颯太が好きやったんか?」

「遠慮のない半妖ね」


 お稲荷さまの無粋な問いに、佐保姫はあっけらかんと笑った。


「そうね。颯太を出世させるくらいの、対価は貰ったかしら」


 颯太を婿に欲しがるように、邸主へかけた呪。

 その対価は、愛だった。

 佐保姫が人間を愛おしいと想うその心。

 佐保姫は思う。

 一年に一度、羽衣を脱ぎ去り、颯太の胸へ飛び込むその時──人間に戻れたような、錯覚さえ憶えた。

 颯太が自分の背を追い抜いた年、颯太の腕が逞しいと思ったその年、佐保姫は神と人間の相容れなさを、思い知った。

 その呪は自分の想いを断ち切るための所為だった。

 しかし颯太はこの上ない伴侶を得ても、佐保姫を追った。佐保姫もまた、颯太への断ち切れぬ想いに気付かされた。


 ──自ら羽衣を脱ぎ捨ててしまおうかと思うほどに。


 佐保姫は春の女神。

 その想いは、二度と颯太と会うことが許されない、神の禁忌となった。


 忘れて欲しくなかった。

 二度と会えなくても、颯太に自分を忘れて欲しくなかった。だから会わず、別れようとした。


「私、かまどの嫁に言われなきゃあ、颯太や娘に、酷いことをしてた」


 何も言わず立ち去れば、颯太はそれこそ佐保姫を想い続け、娘を顧みようとしなかっただろう。

 佐保姫はあっけらかんと、笑う。

 屋根瓦に大粒の涙を落としながら。

 その隣でお稲荷さまも、ほろり。


「なぜお前が泣く」

「佐保も存分に、無粋やな」

「ふん。まぁ精々、お前は痛い目に遭わないように、神殿に閉じ籠ってなよ。そうすりゃ人間に惚れないだろ」


 かまどの嫁によろしくと、伝えておくれ。

 そう言って、佐保姫は隣の国へと去っていった。

 途端に神殿の緑が強く色付く。


「手遅れやで」

 

 お稲荷さまは手に持っていた桜餅を、ぱくりと頬張ってはまたほろり、一粒の涙をこぼした。

 一日置いて、しっとりと餅に馴染んだ桜の葉っぱは甘じょっぱくて、まるで佐保の涙といっしょに食べているようだ。

 しかしそれが、どうしようもなく、美味い──。

 



 その屋根の下では、鹿の子がせっせと桜の葉っぱを塩に漬けている。

 颯太が持ってきた、今年の桜を。

 来年も颯太さんはきっと、神殿へお参りなさるだろう。ご自身の意思で、枝を折って。

 どんなお願い事をなさるかしらと、楽しみに思いながら、

 

「こぉらぁあっ、かまどの嫁! なんやねん、この散らかり様は!」

「ひぃっ」


 姑の雪に、こっぴどく叱られていた。


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夜食組のお務め/久助‐菓子材料の調達。小薪‐納戸の在庫管理。ちょうちんお化け‐飴の保温。手元の灯り。/ご褒美はかくなわ小説家になろう 勝手にランキング
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