会議
洋館の一室。 6畳程度の和室のど真ん中に、卓袱台が一つ。それを囲むように婪と框、そしてもう一人、白髪の人物が座っている。
奇妙なことに、2mを超える長身だった框は、他の二人に比べて頭一つ抜けるくらいの身長に縮んでいた。
身体を包み隠すローブのせいで、彼の身体がどんな構造をしているのかはわからないが、どうやらマネキに視線を合わせるためにやったように、膝を折って座っているわけではなさそうだ。
婪はすっくと立ち上がり、咳払いを一つ。両腕を組んで、二人を見下ろす。
すっかり日がくれて今は夜。お風呂上がりなのか、しっもりと濡れた銀髪を頭の上で束ねて団子にしており、服装も赤いワンピースに素足というかなりラフな格好になっている。
「依頼主、マネキ。彼の家は定食屋で、かつては街の中で一番安くて上手い店として有名だったみたいですわね。それが急に売り上げが落ちてしまった……框」
腕を組んだまま、目と顎で框を指す。へいへーいと軽い返事をした框が今度は立ち上がった。それに対して婪が入れ替わるようにして星座で座り、框を見上げる形になる。
「ちらっと店の近辺を探索してきた結果だが、ありゃー客を余所に取られちまったな。近所に真新しくて格安の定食屋が出来てたぜ」
そう言って框はローブの隙間から写真を二枚卓袱台の上に落とした。
その態度に腹を立ててか、チッと婪が舌打ちを鳴らす。
鳴らされた本人は、オーコワイコワイ!と適当に口に出しながらその場にドカッと座り胡座をかく。
一方は少し小汚い外装をした定食屋"招き屋"。
もう一方は新築宛らの外装に、入り口に花壇を置いたりと、凝った創りのしている定食屋"彩り屋"。
それを見た婪は深く溜息をつき、招き屋が写った写真を放り投げる。
「この二店舗なら、どう考えても彩り屋へ行きますわ。値段もそちらの方が安いなら、選択の余地がありませんもの」
「そういうこと。それまでいた固定客も、真新しさで彩り屋に流れたっきり帰ってこない。今では本当に昔っからの常連しか店に来ねーそうだ。まあそれでも、味が良ければ閉店の危機に陥るほどのマイナスになるとは思えねえんだけどな」
うーんと考え込む婪の左隣で、彼女が放った招き屋の写真を拾うことはせずに近付いて、じーっと四つん這いで見ていた白髪が顔を上げる。
まだ幼さの残る表情。セミロングの白髪で、少し長い前髪の隙間から可愛らしい笑顔を覗かせて框に声をかける。
「おいしかったッス?」
そう言った本人が、今にも涎が垂れそうな表情になり、慌てて口を抑えている。
「ハッハッハ。ちょっくら味見してきたけどよ、中々のもんだったぜ。あの料理の出来であの値段は確かに安い。明日からあの店で本格的に依頼をこなすわけだし、お前も食わせてもらえリューレイ」
ローブから腕を出した框が、白髪をリューレイと呼び、頭を少し乱暴に撫でてやりながら言葉を返す。
リューレイは美味しいものを食べさせてもらえるという事実に目を輝かせ、されるがままに頭をぐわんぐわんと動かされていた。
「私のリューレイに……なんてことをしてますのこの下衆!!」
「ブヘェ!」
その様子に、婪は激怒した。
立ち上がりながら卓袱台に左脚で乗り上げ、右拳を思いっきり振りかぶって放たれた一撃を諸に顔面に食らった框。
文字通りぶっ飛ばされ、和室には不似合いな入り口のドアごとその先の広間へと、わざとらしい叫び声と大袈裟な動作と共に転がっていった。
「全く…汚らわしい手でリューレイに触るんじゃありませんわ」
強制的に退出させられた框には目もくれず、解放されてもなお美味しいご飯を想像して涎を垂らしているリューレイに右横から抱きいた。
婪はそのままの体勢でリューレイを見つめ、卓袱台の下に置いてある木製のティッシュ箱から数枚ティッシュを引き抜き、涎が垂れた口元を拭いてあげている。
「ダメですわよリューレイ。乙女たるもの、人前で涎なんて垂らしては」
「んス。了解ッス!」
「よろしいですわ。素直で可愛いですわよぉ!」
婪の声に反応してパチパチと瞬き。リューレイは動作も込みでしっかりとその声に耳を傾けて、天使のような笑顔を浮かべて左手で敬礼をする。
一寸前の剣幕はどこへいってしまったのか。表情を崩して頬擦りする姿は完全にただの子供。婪はすっかり白髪の君にお熱のようだ。
今も継続してだらしなく崩れた表情で頬擦りをしながら、えへ、えへへー。という呟きが音になって他でもない彼女の口から発されている。
かなり、狂気的に溺愛しているようだ。
「で、だ。作戦はどーすんだ?」
広間で転がったままの框が声をかける。仰向けに倒れたままピクリとも動かないが、口調を聞く限りどうやら余裕があるようだ。
婪は至高の時間を邪魔されたと、明確な殺意が籠った視線を框にぶつけ、コホンと咳払いを一つ。
名残惜しそうにリューレイから離れ、自分が元いた卓袱台の前に座り直した。
「まず、明日は全員で招き屋に行きますわ。私も、招き屋の味を確かめないと。その後、彩り屋にも顔を出して味見。味で負けているか、同等なら先ず味の改善を第一に。味で勝っているなら店の内装と外装の整備をする。どちらもそれを行った後に3日間様子を見ますわ。その結果、売り上げが元に戻れば依頼達成。そうならなければ、他の手はその時に考えましょう」
了解。と、一言声を発した框は、人間離れした動きで床から起きあがった。
具体的にいうと、仰向けの体勢から膝を折り、そのまま手も使わずに尺取り虫の様に体をくねらせて起き上がったのだ。
その際、どういう原理かいつの間にか身長が2m越えの長身に戻っていた。
リューレイは今の話を理解していたのか、していないのか。うんうんと頷いたものの、ポカンと口を開けている。
「ヒューイ。今の話、理解したかしら?」
婪はこの場の三人以外の、新たな第三者の名前を口にした。
しかし、その声は決して遠くの者に対する呼び声ではなく、むしろ近くにいる者に対してのそれだった。
「ああ、大丈夫だ。私の方からリューレイに伝えておく」
対して、察するにヒューイと呼ばれた人物の渋い成人男性の様な声の返事も近くから聞こえてきた。
婪が声の聞こえた方へ視線を送り、頼みますわよと一言添える。
声がした先は、同じ部屋にいるリューレイだ。
だが、任せておけと答えるその声は、童顔で子供の様な風貌を持つリューレイとはどうしても不釣り合いで、声が発されている間、その口も動いていなかった。
「ヒューイ。明日も起こして欲しいッス」
と、声をかけながらリューレイは、着ている真っ白で首口がかなり広いセーターの胸元に手を突っ込み、首から下げているネックレスに繋がれた懐中時計を取り出した。
それは銀で出来ており、宛ら新品の様に輝いている。
そして、リューレイが話しかけている相手は、この懐中時計に対してだった。
「わかった。9時に起こすから、一度で起きるのだぞ」
「任せるッス!」
ヒューイも呼ばれた懐中時計に向かって元気に敬礼。リューレイはキリッとした表情を作ったかと思えば途端にへらっと崩して笑い、セーターの中にヒューイを戻した。
笑顔のまま、すっくと立ち上がったリューレイがぐぐっ伸びをする。袖が長いが、裾はあまり長くないらしいセーターのせいでヘソが見え、立ち上がったおかげでジーンズ生地で裾を二重に折り曲げた短パンを履いていることがハッキリとわかった。
そのローライズの腰回りを婪がジッと見つめ、頬を赤らめて視線を逸らす。ため息。そして咳払い。
「リューレイ。もう寝ますの?」
「んス」
「そ。おやすみなさい」
「おやすみなさいッス!」
ビシッと綺麗な敬礼と天使の笑顔を残し、ぶんぶん右手を振って部屋を出て行くリューレイをにっこり笑顔で見送る婪。またため息。
リューレイに続いて、自分しかいなくなってしまった和室から出た婪は、広間で転がっている框のところへ脚を運び、顔の近くにしゃがむ。
そして、框の高い鼻先にデコピンを食らわせた。
「イッテー!いきなりなんだぁ?」
鼻を両手で抑え、不満を訴える框を無視して婪は立ち上がり、言葉を紡ぐ。
「框。明日は一応、一日中一般の人間に化けて町に出なさい。何かあったら、私が対処しますわ」
目元は見えないが、框は意外そうに口角を下げた。
仰向けの魔み婪の方を観るために顎を上げる。表情を確認したかったのだろうか。
「やけに慎重だな。なんかあんのか彩り屋って店に。それか、あの町に」
「何と無くの勘ですわよ。私達の身に危険が及ぶというよりは、彩り屋から少し、不穏な香りがするって感じですわ。だって、こんな小さな町で、しかもこんな近くにわざわざ定食屋を新たに開業するかしら?味に自信があるなら尚更、大きな街に行った方が儲けになりますわよ」
婪が顎に手を当て、真剣な表情で考えを述べる。確かに、意図的に招き屋を狙って店を建て、客を奪っている様にも考えられる。
まだ偵察に行っていないからわからないが、店の経営者が余所の町から来た者なら、その可能性は更に跳ね上がる。
と、框は考えた。ケケケと気味の悪い笑い声で笑えば、婪に対して称賛の拍手を送る。
「いやーずけーすげー、流石元姫君だ。頭がキレる。次からはオレも気を回して、相手方の店にも顔出すようにするぜ」
「ふん。おたんこなすに褒められても全く嬉しくありませんわよ。そもそも偵察係として、貴方がなってませんのよ」
腕を組み、鼻を鳴らしてそっぽを向く。何が不満なのか機嫌が悪いのか、左手の人差し指でたんたんと右の二の腕を叩き、はぁーっと長いため息を吐く。
婪の足元の框は!にたーっと笑い右腕を起こして人差し指を立てる。
「いやいやーオレの偵察の腕前は一流だぜ?なんなら、お前の今日の下着の色だって、偵察したからわかる。お前の今日の下着はく…フガッ!」
框は見ていた。婪のワンピースから伸びる白い脚の先にあるものを。
いつの間にか婪の両脚の間に頭を入れて、ぐぐっと首を起こして顔を近付けながらそう言った。
が、それを遮る様に婪は右足を掲げ、框の顔面を思いっきり踏みつけた。
婪の足と木製の床に顔面を挟まれた框は、頭蓋がミシミシ音を立てるのを感じながら両脚をバタつかせてもがき、必死の思いで婪の脹脛と足首を掴んだ。
「触るんじゃありませんわよこんのクソど助平の脳足りんがああああああ!」
「ブッフェア!!」
婪は思っ切り踏み締めた。全力で全体重と力を加え、何度も何度も踏み付けた。
憎しみと怒りと、ほんの少しの恥じらいがこもった踏み付けは、その度にゴキャ!メキャ!と何かが砕ける音が響かせ、赤い血が飛び散り床と婪の紅いワンピースに馴染んでいく。
やがて、框の悲鳴が聞こえなくなったころ、婪は不機嫌極まりない様子でその場を去り、汚い、汚らわしい、変態のエキスが、などと呟きながら、今晩二度目の二度目の風呂に向かった。
セクハラの対する手痛い反撃を受けた框が意識を取り戻すのは、婪が自室に戻り、眠りについた頃だった。