大賢良師
後の時代をつくった人間がいる。彼は人類を一歩進めて、世界を変えてしまった。それは発見であり、発明であった。
ダーウィンが地球を丸いと理解させ、地『球』という概念が広く認められ、人間が『地球を理解した』ように。
ニュートンが重力を発見し、『地球が引っ張っている』という感覚を、人々に正しく理解させたように。
フロイトが無意識を発見し、人々に『意識の下の本能』を理解させたように。
彼は探し当て、人間が受ける感覚を増やした。
エジソンが電気を使用する方法を発明し、世界を力にしたように。
ライト兄弟が空を飛ぶ構造を発明し、世界を縮めたように。
山中伸弥がiPS細胞の利用を発明し、世界を歪ませたように。
彼は発展させ、世界を変えた。
それはあたかも後藤忠久が2054年に、斎藤孝の後を継いで『呼吸と気』を論理的に証明し、『人間の知力と気力』の鍛え方を周知させ、人が人体を最大限使えるようにしたような。それ程の世界の変え方で、それ程の衝撃で、それ程の速度で、人類を進歩させた。
偉大な発見であり、発展であった。彼はそれを、一代でやってのけた。
彼は宗教家であった。『蒼気会』という宗教団体で、二十年修行していた。
彼は若い頃、普通の人間であった。田舎の中学までは優秀な生徒だったが、城内の高校に入ると、落ちぶれた。努力をすれば確実に上位を取れる状況ならば頑張れるが、努力が報われない可能性が見えていれば、できなかった。
当時から、思い込みの激しい少年だった。
「自分が優秀でないのは努力をしなかったからであって、自分はやればできる人間だ」
そんなありふれたことを思っている、ありふれた、普通の駄目な人間だった。そしてそんな人間にありがちに、人を見下しつつも自分に自信がなく、人付き合いも上手くできなかった。さらに、その類の一部がそうであるように、それはずっと改善されなかった。
彼は血筋として、中国系の在日三世であったが、二世である父親は良家の養子に取られ、良家の女性と結婚した。人格者の両親には彼の人間性は理解できず、遠い者にしか見えなかった。そして普通の人としてありふれたように「息子のためだ」と自分に言い訳をして、彼を遠くに追いやった。
ここからが、彼の異常な点だ。彼は優しい両親の言葉を『気付きつつ自分をごまかして信じる』必要なく、完全に信じることができた。
奇妙な男であった。そんな彼だからこそ、奇跡を起こし魔法を開発できたのだが。
「俺の能力は、宗教でこそ伸ばすことができる」
「努力ができにくい個性を持つ俺は、修行が強制される場でこそ花開く」
「宗教は知らないが、俺の才能はたいていの方向に向いているに決まっている」
と信じて修行を始めた。そして、修行に対して努力ができた。
蒼気会は新興宗教であったが、同じ指導者、正しくは、同じ経営者が何度目かに創設した宗教団体だった。経営者は過去の失敗から学び、十分に準備していた。
失敗から学んだことの一つ『太い客には優しくする。それでは不十分である。その個人の人間性が求める、最もニーズに応えたサービスを行うべきだ』を徹底することで、以前より大きな利益を得た。当然人の配置にはこだわり、本物の修行を収めた優秀な宗教家を、仏教、神道、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教などの大手から引き抜いてきていた。
今回、自らは教祖とならず、人事部部長のポストに身を置いて、太い客には自ら接した。ニーズを掴む力は、経営者として、教祖としての経験が育てていた。彼の人間性を理解し、彼の求める程度の修行、つまりは最適なサービスを提供し続けた。
彼にとって『少し苦労を感じる修行』は充実感をもたらし、両親は一年に一度の面会で、息子の良い顔を見ることができた。彼は昨日の彼を超え続け、毎日成長していった。
ここまで、誰もの思い通りだった。
意外なことは、本当に彼に、驚異的な宗教的才能があったことだ。
空気を読めないこと、根拠もなく己を本気で信じる愚かさ、本当は人に優しくしたいという無垢さ、優しくし続けたことがないゆえにその困難と苦労については無知であること。それらも全て、良い方向に作用した。
欲に溺れた宗教家、やむにやまれずここに来た宗教家も、それぞれがこの才能に夢中になった。邪心が、心の負い目が、宗教家としての精神に悪影響をもたらすことは、確かにある。しかし、それぞれが行ってきた修行と、その精神の置き方の知識は、実際の経験として揺らがない。
千年単位でそれぞれに引き継がれてきた先人たちの知恵、優秀な宗教家の実力と経験、彼の無垢な向上心、全てが噛みあった。歯車がそれぞれの心気と熱意を燃料として、二十年彼を中心として、彼だけのために回り続けた。先人たちの知恵は有効に彼の精神に溜まっていき、それぞれが化学反応を起こし、やがて爆発した。
彼が道を決めたこと。
彼の両親が蒼気会を選んだこと。
経営者が集めていた宗教家たちとの出会い。
彼らの人間性の合致。
全てのタイミングが適切であったこと。
彼の軌跡は、それ自体が奇跡だった。この世に全知全能の神がいるならば、狙いすましてこの配列にしたに違いない。
結果彼は奇跡を起こし『魔法』を発明した。
エジソンにもニュートンにも発見できないこの『世界の理』は、飛行機にも電力よりも、遙かに実用的であった。
神により宿命付けられ、運命に選ばれた人間達にとっては。
――それは世界を変え、人類を進歩させるものであった。
彼の生まれ持った名前は不明である。彼も、忘れた。彼の両親は修行の過程で、彼の手で殺された。経歴も、抹消されている。知る術はない。
彼が覚えている数少ない、俗世での記憶。
「賢……。張よ……、お前の本当の姓は張というの。覚えておいて……」
と、彼の頬を両の掌に抱いて泣きながら語りかける、祖母らしき老婆。
その張という姓と、修行が十五年を過ぎた頃に額から出てきた固い、角のような突起から取って――。
彼は自らの名を、張角とした。
修行が二十年を超え『魔法』が完成した、2175年のことであった。