乱世の奸雄
2165年、日本の神奈川県。
曹操が生まれた。
それは、曹操としか呼べないモノ、いや、者だった。
その子どもは最初、天才児として世に出た。ある格闘技の大会で小学生ながらに黒帯の大人たちを倒し続け、優勝した。それがメディアに大きく取り上げられた。しかしそれからは大会に出ず、噂の火となると思われた彼は、一端消えた。
次に世に知られたのは五年後、少年が高校一年生の頃だった。チーマー集団の暴動を友人たちを使って止めたことを、メディアがこぞって報道したのだ。その少年が高校全範囲の模試で、一年生にも関わらず全国模試十位に立ったことも、派手さを添えるネタとして大いに知らされた。
しかし、彼にとってはそれがいけなかった。その暴動には味方の死者が数人と、重傷者が数十人出ていた。彼は官僚として国を動かす予定だったが、その瑕疵は出世に響きかねないものであった。
彼は響くと確信してしまったのか、他に理由があったのか。
彼は再び、世から消えた――。高校も退学し、行方を暗ませた。
22世紀半ば、大衆の学力低下と格差社会はいよいよ極まって、あたかも人間が上流と下流で、人と獣に分かれたような有様であった。彼が止めた暴動のようなことも珍しくなく、ハイリスクハイリターンの、出世の道であるとも認められていた。高校一年生でやったのは、さすがに例がなかったが。
日本中の『上流者が住む街』は暴徒に入り込まれないよう、壁に四方を囲まれコンパクト化した。その他は荒廃した道路や廃墟。国防は防衛ミサイル衛星と地上対空ミサイルで、鎖国時代以上に完璧である。その姿はあたかも、国が城であり万里の長城が外との一線を為していた、古代中国のようであった。
2181年、この時彼は15歳。名は、宗田颯志であった。