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イサムの言葉にクジーンが肯いて、いくつものフライパンを暖めはじめた。
「……次はクローも知らん料理か?」
愛人を眺めながらコウが訊いた。
「……材料の予想はつくんだがな。どう調理するかが読めない」
難しい顔でクローは答えた。
「おお! 次は肉なのだな! 鶏肉だな!」
興奮した様子でリーンは言った。
リーンの言ったとおりに、クジーンは塩コショウをした鶏肉を次々にフライパンでソテーしていった。さすが世界一の女料理人らしく、全員分のチキンソテーを同時に作っているのに余裕すら感じられる動きだった。
「シンプルにチキンソテーか?」
考えながらコウは言った。
「かもなぁ……箸休めと言うか……口直しと言うか……そういう感じなのかもな」
少しがっかりした様子でクローも応じた。
「魚も良いけど……肉も大歓迎なのだ!」
二人とは対照的に無邪気に喜ぶリーン。
しかし、クジーンは意外な動きを見せた。
完成間近のチキンソテーのフライパンに何か黒い液体を回しかけたのだ。
「ぐはっ」
直後に三人は異口同音に呻いた。
その謎の液体の香りが部屋中に充満したからだ。
「まあ、シンプルなチキンソテーも捨てがたいですが……やはり、今日のこの日にはコレでしょう!」
真面目な顔でイサムは言った。
「これはたまらん!」
「あれか!」
「よ、涎がでてきたのだ!」
三人は悶えた。
「照り焼きチキンです!」
得意満面の顔でイサムが宣言した。
照り焼きとは焼いた肉や魚を、醤油とみりん又は砂糖で甘辛く仕上げた調理法だ。美味しいのはもちろんだが、食欲をそそる香ばしい匂いがたまらない一品である。
「付け合わせ的なものは今回省略しました。添えてあるのはマヨネーズです。お好みでどうぞ。もも肉と胸肉のどちらにするか悩んだのですが――」
いままでの様に料理の説明をするイサム。しかし――
「いいから食わせろ!」
「あー……まあ、後で聞くからさ」
「そうなのだ! まずは食べるのだ!」
三人の文句が噴出した。
「あー……じゃあ、とりあえず食べましょう」
苦笑いでイサムも応じる。
四人は照り焼きチキンを頬張った。
柔らかい鶏肉、口の中に広がるジューシーな肉汁、そしてそれらを包み込むような優しい醤油と甘味で作られた照り焼きソース……彼らは至福の一瞬を得た。
そして、無言で頬張り続けた。
しかし、すぐに照り焼きチキンは無くなってしまった。
「なんで少なめなんだよ!」
コウは理不尽な怒りをぶつけた。
「まあ……なんていうか……少し足りないんじゃないか?」
穏便にではあるが、クローもコウに同意した。
「お代わりが欲しいのだ!」
ふくれっ面でリーンも要求した。
しかし、三人にニヤニヤした顔をするだけでイサムは取りあわない。
我を忘れたコウとリーンが立ち上がりかけたところ――
「まて、二人とも! 厨房を見ろ!」
クローが叫んだ。
厨房ではフライパンで何かをソテーしているクジーンがいた。そして先ほどと同じように何か黒い液体を回しかける。
「おお! すまなかったのだ……お代わりを作っているところだったのだな」
ばつが悪そうに、それでいて嬉しそうにリーンは言った。
「うん?」
匂いを嗅いだコウは怪訝な顔をした。
「いや、二人とも……これは違うぞ!」
驚き顔でクローが二人を正した。
ニヤニヤ笑っていたイサムはすくっと立ち上がり――
「肉料理二品目! しょうが焼きです!」
自慢げに宣言した。
しょうが焼きとは主に焼いた豚肉を醤油とみりん又は砂糖、そして生姜のすりおろしで甘じょっぱく仕上げる調理法だ。照り焼きと似ているが、決定的に違う味といえる。
コウとリーンは何かに敗れ去ったかのように、浮かしかけだった腰を落とした。
「こちらにはキャベツの千切り、そしてマヨネーズも添えてあります。豚肉はもちろんですが、ポイントとなる玉ねぎも――」
またもイサムは料理の説明を始めたが――
「……俺の負けだ。とりあえず食わせろ」
「まあ……イサムの勝ちだな」
「その通りなのだ……食べさせて欲しいのだ」
打ちひしがれた様子で三人は嘆願した。
「えー……まあ、食べてください」
また、苦笑いでイサムは応じた。
それで彼らはしょうが焼きを食べはじめた。
しょうが焼きにしては厚めの肉だった。切り方も一口サイズに合わせられている。それだけで少し異端と言えたが……厚めの肉を噛みしめるごとに肉の旨みが口の中に広がる。タレの甘じょっぱさも申し分がない。一緒に焼いてあるタマネギの甘さも、照り焼きとは別の趣があるものだ。
「……少し肉厚だな。これは……わざとか?」
コウがゆっくりと味わいながら言った。
「だろうな。照り焼きチキンは柔らかくてひたすらジューシーだったが……しょうが焼きは肉を噛ませさせてる。噛めば噛むほど美味いな」
感心した様子でクローも同意した。
「よく解らないけどこれも美味いのだ! それに……キャベツを添えてあるのが良いな! オレ様……しょうが焼きのタレとマヨネーズが混じったキャベツはかなり好きなのだ」
恥ずかしそうにリーンは言った。
そのリーン向かってイサムは無言で親指を立てて賛同した。
その頃になってようやく、女性たちも食べはじめていた。……彼らの異様なテンションに呆れ果てていたのだ。
彼女たちにとってチキンソテーはチキンソテーでしかない。照り焼きというのはよく解らないが、単に風変わりなソースと想像がついた。匂いも香ばしいとは思うものの、恋人の異常な反応は理解不能でしかなった。
しかし、彼女たちは照り焼きチキンに衝撃を受けた。
この時に初めて、恋人が必死に『醤油』を追い求めた理由が解ったに違いなかった。
続けて出されたしょうが焼きもさらなる衝撃だ。
照り焼きに似てはいた。しかし、似てはいても明らかに違うものだったのだ。
彼女たちは食べなれた食材でようやく、醤油の魅力を理解できたのだ。




