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「そろそろオードブルは終わりだな。お待ちかねのアレだ!」
そう言いながらクローは大きな皿をテーブルに運んできた。
「おー!」
拍手をしながらコウとリーンは出迎えた。
いくつもの大皿――もちろん、クローだけでなく厨房女中も給仕を手伝っている――の上には刺身が盛られている。
刺身はまぐろの赤身に中トロ、大トロ、舌平目、イカ、タコ、ウニと豪華なものだ。
「熟成の問題もありますが……しめてから時間はかけない事にしました。長いもので昨日、短いもので今日ですね」
イサムが刺身の解説をした。
「ああ! それで昨日に召喚と今日に召喚に分けたのだな。んあ? でも――」
リーンが何かを言いかけたが――
「おっと! 気がついてもそれ以上は駄目だ。まあ、後のお楽しみって奴だな」
慌ててクローが止めた。
「そういうことです。添えてある薬味は両方とも黄色いですが……片方は生姜、もう一方はホースラディッシュです。別名を西洋ワサビと言いますが……本気で辛いですからね? 苦手な人は控えめが良いでしょう」
イサムの言うホースラディッシュはローストビーフなどに添えられる薬味として日本でも有名だ。イサムは辛いと注意しているが、ワサビに比べると辛味そのものは大したことがない。しかし、ワサビ同様に鼻にツンとくる薬味で、その意味ではワサビ以上に強烈と言える。
「……ク、クロー様? こ、この魚は……な、生ですよ?」
驚愕の表情でケマが言った。
口に出したのはケマだけであるが、それは彼女たち全員の気持ちを代弁していたに違いない。
ヨーロッパでは生の魚を食べる習慣はない。
オランダやドイツで生のニシンをサンドイッチにするのが有名ではあるが、それも基本的には酢でしめてある。カルパッチョの誕生も二十世紀になってからだし、元々は生の牛肉を食べるものだ。
「あー……そうかぁ……これは何て説明すれば良いんだ?」
困った顔でクローは言った。
「ちょっと思いつきませんね……食べても安全なのと、美味しいのは保証できるんですが……」
イサムも困った顔をしていた。
「……無理に勧めなくてもいいんじゃねえか? こればっかりは馴染みがなきゃ無理だろ?」
残念そうにコウは言った。
「生で食べるとお腹を壊すと信じているのだ。まあ……無理して食べなくても……。他にも料理は用意しているのだろ?」
コウに賛成しながらリーンは訊いた。
「もちろんです。まだまだ用意してあるので……ここは僕らだけで頂きますか」
イサムも割り切ったようだ。
それで、刺身は四人だけで食べることになった。
自分たちだけで食べるというのは後ろめたさがあったが……久しぶりの刺身で、彼らには懐かしさと感動がこみ上げてくるものだった。
「……美味いな」
しみじみとコウが感想を漏らす。
「……そうだな」
短くクローも答えた。
「これが大トロか……オレ様、大トロを食べるのは初めてなのだ」
恥ずかしげにリーンが告白した。
「僕も平目は……舌平目は初めてです。これは驚きですね!」
イサムもリーンに便乗した。
食べるにつれ、彼らは後ろめたさを忘れはじめ、刺身に集中しだした。
それを見る女性たちは複雑な表情になっていた。
どこをどうみても彼女たちにとって猟奇的な食事なのだが、彼らは一心不乱に食べている。彼らの味覚はおかしくとも何ともないのは判明していた。なぜなら彼らの作る風変わりな料理はどれも美味しいものばかりだったからだ。
それにせっかく用意してくれたものを断るのは失礼な振る舞いといえる。
「コ、コウ様! ど、どれが一番食べやすいものでしょう?」
意を決したようにレタリーはたずねた。
おそらくは美食の追求が目的というより、たんに主の好意を無下に出来なかったのだろう。その証拠に緊張のせいで顔色は青かった。それに彼女の発言は全員の注目を集めた。
「ふむ。どれが慣れてない人に良いんだ?」
訊かれたコウは考え込んでしまった。
「とりあえず、イカは避けたほうが良いんじゃないか? 慣れてないと逆にビックリすると思う」
クローも考えつつ言った。
「まぐろはどうなのだ?」
リーンは提案した。
「僕は白身……舌平目がいいと思いますね。この国の未来の高級食材ですし」
イサムも別の意見を言った。
「ふむ。こうするか」
コウはまるで違う結論をだした。
使われてなかったスプーンを手に取ると、それでウニを掬い取ったのだ。そして慎重にスプーンの上のウニに醤油をかける。
「これでどうだ? これなら口に入れるだけだ。……甘くて美味いぞ?」
意外にも優しくコウは言って、スプーンを愛人に差し出した。
「あ、ありがとうございます!」
感極まった様子でレタリーは言った。
おそらくは優しくされただけで舞い上がってしまったのだろう。なんの抵抗もなく口を開いた。
「どうだ?」
興味津々の様子でコウは訊いた。
「美味しゅうございます」
嬉しそうにレタリーは答えたが、それがどこまでウニの味に拠るものなのかは不明だ。
「イサム……まだスプーンの予備はあるか?」
二人を見ていたクローが訊いた。
「ありますよ。持ってきますね」
イサムは微笑みながら席を立った。
「オ、オレ様もひとつ」
恥ずかしそうにリーンも頼んだ。
その二人をニヤニヤと見ていたコウは突然に驚愕の表情に変わった。
「……イサム。俺にもスプーンを……沢山くれ」
その場にいる『ハーレムさん』たちの――まだ幸せそうなレタリー以外の――視線の圧力が言わせたようだった。




