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雨降る村の俺と猫  作者: なかのひと
第二章 兆候
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未知との出会い

拝殿の前に神使(しんし)として、雨猫様の像が両脇に構えている。

いつ見ても、コケ一つ生えていないほどピカピカに磨かれている。

これは、雨猫様の像を撫でるとご利益があるという話から、参拝客が何度も何度も撫でた結果だという。

俺はその脇を通り過ぎる(一応撫でといた)と、見慣れた木造の拝殿の中に入った。


今の時間、“誰もいない”拝殿の中は、不気味なほど静かだった。

俺は元々建築とかにうるさい訳でもないので、よく分からないのだが、そんな俺から見ても圧倒されるほど、拝殿の中は美しかった。

少し香る木材の香りが芳しい。

広さは、比べるのもおこがましいが、俺の部屋の10倍以上はあろうか。もっとも、奥の方は薄暗く、入り口までしか入れないようになっているため、実際どのくらい広いかは分からない。

拝殿でこの美しさなのだ。本殿の美しさはどれほどのものだろうか?

この町の人々が雨神様をどれだけ大事にしているかが分かるな。

ま、入ったことないし、ごく一部の限られた人しか入れないそうだから、分からないんだけどね。


ん?まてよ。

亜美なら入ったことがあるんじゃないか?

俺はついさっき別れたばかりのあの娘のことを思い浮かべた。




石段を登りきったところで、俺と亜美は別れた。


「にゃ、すみません。

実はケンちゃんを試しちゃいました」


別れ際、亜美は俺にそう告げた。


「試す?」


亜美は悲しそうに頷く。


「ケンちゃんも知っていますよね?私が境の養女だってこと」

「ああ……」


やっぱり、養子だったんだ。

それってそんなに大事なのだろうか?


「私は嬉しかったんです。

交通事故で両親を失い、身寄りのなくなった私を引き取ってくれた“お爺”。

おかげでまた学校に通えるようにもなりました。

ケンちゃんにも会えました。

でも、それがいけないことだと言う人が多いんです」


いけないこと……か。

キツネと保奈美の表情がちらつく。

あいつらもそう言っていたな。


「だから、そんな私と面と向かってちゃんと話してくれる人なんて、全然いなかったんです」


友達もいない。

仲間もいない。

相談する人も、助けを呼ぶ人もいない。

それは……なんて悲しいのだろう。

俺には想像もできない。


「そんな私に、ケンちゃんは声をかけてくれました。

助けてくれました。

お願いを聞いてくれました。

だから……信じてみたかったんです。

試すようなことして……本当にごめんなさいでした」


言いながら、何度も亜美は頭を下げる。

その眼には涙が光っていたように見えた。


「でも、本当に嬉しいけれど、嬉しいことなのだけれど、これからはあまり私に近づかない方が良いです。

ケンちゃんも孤立しちゃうかもしれないし……。

そんなの嫌です」


亜美はそんなことを言った。

それは本心からなのだろうか?

俺は……


「何言っているんだか……。

“友達”が困っているんだ。切り捨てるってのは薄情だろう?」


その一言で、亜美の表情がパァッと明るくなる。


「にゃ~。信じられませんよ、そんな言葉……」


そう言いつつも、慌てて頬を伝う涙を拭う亜美。

なんだ……やっぱり良い娘じゃないか。

環境が違うだけで、本当に普通の……普通の高校生だ。

このとき、俺はある意味道を選んだ。

未知を選んだと言ってもいい。

とにかく、俺は歩いていこうと思ったんだ。




亜美と別れ、参拝も済ませた俺は、さてどうするかと今後のことを色々考えながら、角石を積み重ねた階段を下りていた。


「俺は警告したぞ、神坂」


ああ。そうか。

さきほどやりとりをしたその声が、階段の下で一人待ち構えていた。


「待っていたんですか、赤木先生?」

「当然だ。逆に聞くが、俺の生徒が間違った道を進もうとしているのを、どうして止めない必要がある?」


間違った……ね……。


俺はさっき、亜美と一緒に参拝客の中に赤木先生の姿を見つけた。

そこでちょっとしたやりとりがあり――赤木先生からしたら、俺に対する生活指導といったところだろうか――「その女と関わるな」といった内容の話を延々とした挙句、最後に「神坂、人生は永い。その永い人生を間違って過ごすのか?」と声をかけられたところで、俺は亜美に引っ張られ、境内に上がっていったので、後味悪く別れている。

ま、実際、下で待っているだろうとは思っていたけど。

拝殿にも来なかったし。

あれだけ並んでいた人々が誰も上に来ないのは、亜美を避けていたからだろう(汚物を見るような視線が、まだ記憶に新しい)が、赤木先生はまた別の理由だった。


「神坂、俺は心配しているんだ。

お前は、そりゃあ多少は頭が弱いし、運動もそこそこだし、俺の授業はよく居眠りしているし、テストで計算式だけ書いて答えを書き忘れるようなポカをやらかすし……」

「すいません。その辺で勘弁してください」


いや、マジで。

本気でヘコむ俺。


「だがな、お前が良い奴であることは、俺も知っている。

良い奴だからこそ、間賀に騙されないで欲しいんだ。分かるか?」


間賀、というのは、きっと彼女の元々の苗字だろう。

俺にもわかっている。

きっと赤木先生は、単純に俺のことを想ってこういうことを言うのだろう。

キツネや保奈美も同様だ。

あいつらも、俺のことを想って、忠告している。

俺がかつて、道を踏み外しそうなキツネを諭したように……。

傷だらけのキツネの姿が思い浮かぶ。

だが……

駄目なんだ。

一度でも、いづみとイメージが重なってしまった以上、俺に選択肢はないんだ。

もう……二度とあんなことは……ごめんだ。

もう二度と。


「先生。彼女が……亜美が、境である以上、先生は彼女を認められないんですよね?」

「そうだ」

「たとえば……たとえばですけど、亜美の姓が変わったら、そうしたらどうしますか?

養子縁組を切ったり、誰かと結婚したりとか?」

「それは……。

…………………………。

いや、たとえそうなったとしても、この町は彼女を否定し続けるだろう」

「なぜですか?」

「一度でも境の者となった以上、それは認められることではない。

誰しもが、境として生まれ、育つことを望んでいる以上、一瞬だろうと横からその地位を得た者を、俺たちは許すことができない。

生まれながらではない。奪うという行為が、俺たちには耐えられない」


俺には分からない、その理屈。

おそらく、俺だけには分からない理屈。


「なるほど……そうですか」

「そうだ。やっと理解したか?」

「ええ。理解しました。

俺と先生の考えは、決して交わることがないってことは」


俺の言葉に、赤木先生はひどく驚いた表情を浮かべた。


「お前は……何を言っているか分かっているのか?

失うんだぞ?普通の生活を。

今を。

そしてこれからを」

「亜美は、すでに失っています」

「なぜ……そこまであの女に?」


俺の脳内で、いづみのビジョンが映し出される。


「俺の……個人的な理由です。

それ以上は言えません」

「そう……か……」


赤木先生は、最後に悲しい表情を浮かべた。

説得が無理であることを知ったのだろう。

俺自身、ここまで頑なに、真っ向から先生と言い合うとは思ってもいなかった。

もう、引き返せないのだろう。


「神坂、俺はもうこれ以上は言えん。

ただ、もう一度、ゆっくりと考えてみることだ。

俺は教師だ。学校での態度を変えるわけにはいかん。

だが、俺も一人の人間であることは忘れるな。

感情だけは……理屈でどうにかできるものではない」


それは、俺にも分かる。

俺の理屈も、感情だからだ。

だからその一言と共に、赤木先生が俺の前から去っていっても、俺はその背に何も言うことができなかった。




雨通路村の雨季が、まもなく始まる。




その日の夜、俺は夢を見た。

懐かしい、まだ俺がガキだったころの夢。

失ってしまった日々の夢。

夢の中で、俺はいつも通りいづみと一緒だった。

俺はいづみのことが大好きだったし、いづみも俺のことが大好きだった。

いつも、いつでも、そしていつまでも一緒にいる。

それは俺の中では当然のことだったし、ずっと続くものだと思っていた。

悪ガキだった俺を、いつも涙目で止めていたいづみ。

そのくせ、自分も無茶をし、冒険しては傷だらけになる毎日。

好奇心旺盛ないづみは、俺に色んな夢を語ってくれていた。


花屋さん。


お医者さん。


ウェイトレスさん。


服屋さん。


婦警さん。


子供の夢はころころ変わる。

でも、いづみはどの夢にもまっすぐで、そして本気だった。

俺はいづみと手をつないでいた。

いづみは楽しそうに、夏休みの旅行の計画について話している。


夏休みの……旅行?


だ、駄目だ!


その旅行だけは……それだけは駄目だ!


俺はいづみの手を握って、一生懸命伝えようとする。

だが、夢の中の俺は、言葉を発することができない。

駄目だ!

行っちゃ駄目なんだ!

いづみは楽しそうに、話をしている。


いづみ!


いづみ!


やがて、いづみの母親が迎えに来て……


「駄目だ!」


ようやく声が出た。

驚いて振り返ったいづみだが、その顔はなぜか亜美に代わっていた。


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