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第8話 森の先にいるもの

森の道は、思っていたより長かった。


リオは足元の根を避けながら、細い獣道を進んでいた。

頭の上では木々の枝が絡み合い、昼だというのに薄暗い。

葉の隙間から落ちてくる光だけが、ところどころ地面を白く照らしていた。


背中には荷物がある。

金、食料、着替え。

そして、賢者の魔導書。


歩くたびに、その重みが背中に伝わる。


勇者に渡す。

それは当たり前のことだった。

ずっとそう思っていた。


けれど、よく考えるとおかしい。


誰に言われたわけでもない。

親父に聞いた覚えもない。

本にそう書いてあったわけでもない。


なのに、なぜかそうだと思っていた。


まるで最初から、そういう役目だと決められていたみたいに。


「……」


リオは右腕を見る。


龍の紋章はまだ消えていなかった。

うっすらと赤く、皮膚の下で火が灯っているみたいに見える。


森は深い。

リンドベルの周辺で見慣れた林とは違う。


幹の太い木が何本も立ち並び、苔むした岩が道の脇に転がっている。

古い切り株や、半分崩れた石柱も見えた。


このあたりが、昔の街道の名残だということはリオも知っていた。


王都ルクスへ続く旧街道。

今では別の道が使われるようになり、ここを通る旅人は少ない。

けれど、石畳の名残や崩れた道標が残っていて、目を凝らせばただの獣道ではないと分かる。


今の自分が持っているこの本が何なのか。

右腕の紋章が何なのか。

少しでも調べられる場所があるなら、王都へ行くしかなかった。


王都ルクスなら、人が多い。

旅人も商人も冒険者も集まる。

リンドベルみたいな小さな町と違って、道具屋の青年一人が紛れ込んでもそうそう目立たない。


しかも図書館がある。

古代言語の資料も、歴史書も、地方の町よりは揃っているはずだ。


「……なんかこの辺、妙に古いな」


リオが言うと、隣を歩くエリナは周囲を見回した。


「うん。昔の街道だから」


「やっぱそうか」


足元を見ると、雑草に埋もれてはいるが、地面はところどころ不自然に平らだった。

石が敷かれていた名残もある。


風が吹くたび、木々がざわざわと鳴る。

どこか遠くで鳥が鳴いた。

湿った土の匂いと、葉の青い匂いが混ざる。


森の空気は冷たかった。


「……でも、正直まだ信じられん」


リオがぼそりと言う。


「何が?」


「俺がこんなことになってるのが」


エリナは少し考えてから答えた。


「私はけっこう前から、リオは普通じゃないと思ってたよ」


「どういう意味だ」


「本の量」


「ただの読書好きだろ」


「あと、たまに変なこと知ってる」


「本で読んだだけだ」


「あと、普通の人は森を消し飛ばさない」


「それはそう」


そのときだった。


ふいに風向きが変わった。


森の奥から、冷たい空気が流れてくる。


リオは足を止めた。


「……ん?」


エリナも止まる。


周囲は静かだった。

さっきまで聞こえていた鳥の声が消えている。


葉が揺れる音も、急に遠くなった気がした。

森が、妙に静かだった。


「エリナ」


「うん」


二人は同時に声を潜める。


何かいる。


そう思った瞬間だった。


ザッ。


遠くで、土を踏む音がした。


リオの背筋に冷たいものが走る。


ザッ。

ザッ。

ザッ。


重い足音だった。

人間よりも重い。

しかも一人ではない。


エリナが素早くリオの袖を掴んだ。


「隠れて」


小さく囁く。


リオは頷き、すぐそばの大きな木の陰へ身を寄せた。

エリナもその後ろに滑り込む。


息を殺す。


足音は、ゆっくり近づいてきた。


やがて木々の間から、その姿が見えた。


最初に見えたのは、黒い鎧だった。


鈍く光る、重たそうな鎧。

次に、太い腕。

そして――角。


リオの目が見開かれる。


魔族だった。


しかも一体ではない。


先頭を歩く大柄な魔族は、身長が二メートル近い。

いや、それ以上あるかもしれない。

背中には巨大な斧。

鎧の隙間から覗く肌は灰色で、額からはねじれた角が二本伸びている。


その後ろに、細身の魔族が二体いた。

一体は長柄の武器を担ぎ、もう一体はローブをまとっていた。


ただ歩いているだけなのに、圧がすごかった。


リオは思わず木に背中を押しつける。


リンドベルにも魔物は出る。

ゴブリンだの、狼型の魔獣だの。

でも、これは違う。


明らかに格が違った。


「……この辺りか」


先頭の大柄な魔族が低い声で言った。


声まで重い。


長柄の武器を担いだ魔族が答える。


「報告では、勇者一行はまだリンドベルにいるようです」


「ふん」


「街に留まっておる可能性は?」


ローブの魔族が口を開く。


「低いでしょうな」


「賢者の魔導書を追っているなら、いずれ動きます」


リオの心臓が止まりかけた。


(魔導書?)


(今、魔導書って言ったか?)


先頭の魔族は鼻を鳴らす。


「勇者め」


「我が小隊を一撃で消し飛ばすとはな」


リオの喉がひくっと動いた。


完全に誤解している。

でも訂正できるわけがない。


長柄の武器を担いだ魔族が言う。


「バルグ様、勇者が本当にその魔法を使ったのでしょうか」


バルグ。


その名前に、リオは昔読んだ戦記物の本を思い出した。


魔王軍四天王。

破壊将軍バルグ。


子ども向けの英雄譚にも出てくる有名な名前だった。


(四天王!?)


エリナが横でじっと前を見ている。

平然としているように見えるが、リオの袖を掴む手には少しだけ力が入っていた。


つまり、エリナもやばいと思っている。


ローブの魔族が続ける。


「街の者どもは勇者の仕業だと騒いでおります」


「なら勇者だろう」


バルグは即答した。


「違ったら?」


長柄の武器を担いだ魔族が聞く。


バルグはにやりと笑った。


「どちらでもいい」


「勇者でも、別の強者でも」


「強いなら叩き潰すだけだ」


ぞわり、と空気が震えた気がした。


殺気。


言葉にした瞬間、森の温度が下がったみたいだった。


長柄の武器を担いだ魔族が笑う。


「さすがバルグ様」


「では、先へ?」


「当然だ」


バルグは立ち止まり、焼け焦げた木の幹をちらりと見た。


森の一部には、まだ昨日の爆発の跡が残っているらしい。

黒く焦げた枝があちこちに見えた。


「これほどの力だ」


「確かめねば気が済まん」


リオは、じわっと嫌な汗をかいた。


(その“力”の持ち主、たぶん俺です)


ローブの魔族が地図に目を落としたまま言う。


「勇者が町を出れば、いずれ進路は絞れます」


「そうなれば見失うことはありますまい」


「いい」


バルグは短く答えた。


「先に行く」


三体はそのまま森の奥へ進んでいく。


リオは息を呑んだ。


バルグは勇者を追っている。

しかも、その発端になったのは自分が放ったあの力だ。


エリナがほんの少しだけ顔を寄せてきた。


「……リオ」


囁き声。


「なに」


「今の」


「うん」


「かなりやばいね」


「知ってる」


「でも」


エリナは前を見たまま言った。


「リオの方が強そう」


「やめろ」


「事実かも」


「比較対象に四天王出すな」


そのとき、リオの足元で小枝がほんの少し鳴った。


パキッ。


小さな音。


でも、この静かな森では十分すぎるほど大きかった。


リオの顔から血の気が引く。


前方の三体が同時に止まった。


バルグがゆっくり首を動かす。


「……誰だ」


低い声。


リオは固まった。


終わった、と思った。


長柄の武器を担いだ魔族が周囲を見回す。

ローブの魔族も杖を構えた。


木々の間に、張り詰めた空気が走る。


リオの心臓がうるさい。

息をしたら終わる気がした。


一秒。

二秒。


そのとき、少し離れた茂みから小さな影が飛び出した。


野ウサギだった。


白っぽい毛並みの小さなウサギが、ぴょん、と跳ねて走っていく。


長柄の武器を担いだ魔族が鼻で笑った。


「なんだ、獣か」


バルグは数秒だけ黙っていたが、やがて興味を失ったように前を向いた。


「行くぞ」


三体は再び歩き出す。


重い足音が、少しずつ遠ざかっていく。


ザッ。

ザッ。

ザッ。


完全に音が消えるまで、リオは動けなかった。


やがて森に元の静けさが戻る。


そこでようやく、リオは大きく息を吐いた。


「はぁぁぁぁぁ……」


膝から力が抜けそうになる。


「死ぬかと思った……」


「生きてる」


「見れば分かる」


エリナはすぐ隣で、小さく息を吐いた。

表情はいつも通りだったが、呼吸は少しだけ早い。


「リオ」


「ん?」


「どうする?」


リオはしばらく答えられなかった。


どうするも何もない。

状況が一気に最悪になった。


勇者は自分を追っているかもしれない。

魔王軍は勇者を狙って動いている。

しかも発端は自分。


さらに、自分はその四天王に見つかったらたぶん終わる。


「……どうするって」


リオは頭を抱えた。


「選択肢が全部嫌なんだけど」


「じゃあ、一番嫌じゃないやつ選ぼう」


「そういう問題か?」


「たいていそうだよ」


リオは森の奥――バルグたちが去っていった方を見る。

そして、前方の道を見る。


このまま進めば旧街道は続いている。

引き返せば、リンドベル側へ戻ることになる。

勇者も、街の人間も、何が待っているか分からない場所に戻るのは避けたかった。


少なくとも、ここで立ち止まっていても何も変わらない。


「……行くしかないか」


リオは言った。


「このまま進む」


「ルクス?」


「ルクスに行く」


「勇者から逃げながら?」


「できれば一生会いたくない」


「無理そう」


「縁起でもないこと言うな」


エリナはそんなリオを見て、少しだけ嬉しそうに笑った。


「大丈夫だよ」


「何が」


「リオ、びびってるけど」


「うん」


「ちゃんと進むから」


リオは少しだけ目を丸くした。


エリナはまっすぐ言った。


「そういうとこ、好き」


どきり、と胸が跳ねた。


けれど、それをそのまま出すのは悔しくて、リオはわざと顔をしかめた。


「……今言うな」


「今言いたかった」


「タイミング考えろ」


「考えた結果だよ」


まるで考えていない顔で言われた。


リオは額を押さえる。


でも、不思議とさっきまでの震えは少しだけ薄れていた。


怖い。

かなり怖い。


けれど、止まっても仕方がない。


「……行こう」


「うん」


二人は再び歩き出す。


森の先へ。

旧街道の先へ。

王都ルクスへ。


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