第18話 猛獣ケルベロス
アルトたちの視線の先。
押し寄せる魔物の群れ。
そのさらに奥。
――いた。
黒い巨体。
周囲の魔物とは、明らかに格が違う。
二メートルを軽く超える体躯。
鈍く光る黒鎧。
背には巨大な斧。
ただ立っているだけなのに、
そこだけ空気が重く沈んでいるようだった。
額から、ねじれた角が伸びている。
「……バルグ」
アルトが低く呟いた。
魔王軍四天王。
この戦場を率いる敵将。
だが――距離がある。
まだ、遠い。
魔物の群れが何重にも壁のように立ち塞がり、
その中心でバルグは悠然と立っていた。
戦場のただ中にいながら、
まるで自分だけ別の場所にいるかのように。
まるで戦場全体を眺める観客のように。
ガルドが舌打ちする。
「遠いな……!」
魔物の波は、途切れる気配がない。
セシリアが冷静に言う。
「この数を抜けないと届きません」
リーナも前を見つめていた。
そのときだった。
遠くにいるバルグが、こちらを見た。
そして――
ゆっくりと口の端を吊り上げる。
次の瞬間。
大きく笑った。
「ふはははは!」
低く、戦場に響く笑い声。
距離があるはずなのに、
その声だけが妙にはっきりと届いた。
兵士たちが思わず顔をこわばらせる。
「のこのこと来やがったな、勇者」
バルグは大斧を肩に担ぎ、
面白そうに勇者一行を見下ろしていた。
その視線には、まるで余裕しかない。
「俺が相手するに足りるか、見てやろう」
次の瞬間だった。
バルグの足元の影が、大きく揺れた。
ぐにゃり、と。
地面に広がる影が、まるで生き物のように蠢く。
そして。
地面を割るような轟音。
石畳が砕け、
土煙が大きく舞い上がる。
魔物の群れの中から、巨大な魔獣が飛び出した。
「――っ!?」
アルトが目を見開く。
三つの首。
燃えるような赤い目。
黒い毛並みは鋼のように硬く、
口元からは鋭い牙が突き出している。
巨大な四肢が地面に落ちるたび、
石畳が砕け、ひびが走った。
「ケルベロス……!」
セシリアが言う。
伝承級の猛獣。
冥府の門を守るとされる、三つ首の魔獣。
ただの魔物ではない。
一体だけでも、
騎士団が総力を挙げて討伐するような存在だ。
「グルァアアアアアッ!!」
咆哮。
三つの喉から同時に放たれる、
耳を裂くような獣の叫び。
そのまま暴れ出す。
前方にいた魔物をまとめて吹き飛ばし、
兵士の盾ごと弾き飛ばす。
金属が砕ける音が響いた。
「なっ……!?」
ガルドが叫ぶ。
ケルベロスは敵味方の区別なく暴れていた。
中央の首がゴブリンを噛み砕き、
左の首が兵士を弾き飛ばし、
右の首が狼型の魔物を踏み潰す。
血と土煙が舞い上がる。
完全な暴威だった。
リーナが息を呑む。
「魔物まで……!」
遠くでバルグが楽しそうに笑っていた。
「ははっ!」
「いいぞ、ケルベロス!」
兵士たちの陣形が一気に乱れる。
せっかくフィリアが作らせた突破路が、
猛獣一体で崩れかけていた。
アルトはすぐに判断した。
このままでは、バルグどころではない。
前線そのものが壊れる。
アルトは剣を強く握った。
「まずい……」
視線を前へ向ける。
ケルベロスが完全に道を塞いでいた。
三つの首が、ゆっくりとこちらへ向く。
そしてその遥か奥。
魔物の海の向こうで、
バルグが腕を組んで見ている。
まるで、
この状況を楽しんでいるかのように。
アルトは言った。
「まずはこいつを倒さなければ」
ガルドが笑う。
「結局そうなるよな!」
巨大剣を構える。
セシリアが杖を掲げる。
「動きを止めます」
リーナが祈りの光を広げた。
淡い光が勇者一行を包む。
「皆さんに加護を」
アルトは一歩踏み出す。
ケルベロスの赤い瞳が勇者を捉えた。
三つの首が同時に低く唸る。
空気が張り詰める。
次の瞬間。
ケルベロスが地面を砕いて跳んだ。




