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『生存確率0.02%』から始まる異世界転移 ~データなしのポンコツAIが相棒になったけど、強すぎる分析能力で戦乱の世を生き延びる~  作者: 葉泪 秋
「生存」

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5 星鉄と勉強代

 時雨さんに続いて入った安宿は、湿気とカビの臭いが充満していた。

 部屋と言っても、二畳ほどのスペースに薄汚れた煎餅布団が敷かれているだけ。壁は薄く、隣の部屋の話し声や、通りを歩く酔っ払いの怒鳴り声が筒抜けだ。


「……ひどいところですね」

「文句言うな。野宿よりマシだろ」

 

 時雨さんはドカッと布団の上に座り込み、刀の手入れを始めた。

 室内で抜刀するのか、この人は。

 俺は部屋の隅で、濡れたシャツを絞りながら小さくため息をついた。顔の泥はさっきの水で落ちたけれど、服はボロボロだし、腹は相変わらず減り続けている。


「金が尽きたら終わりだ。明日から稼ぐぞ」


 時雨さんが、手入れの手を止めずに言った。

 所持金は、時雨さんが死体からくすねた小銭だけ。この宿に泊まって、ギリギリの食事をすれば、あと三日持つかどうか。


「稼ぐって言っても……俺、剣も振れないですし、重い荷物も持てませんよ」


 俺は正直に答えた。

 顔の傷はまだズキズキと痛む。こんなひ弱なガキを雇ってくれる場所なんて、あるわけがない。


「用心棒の口を探してくる。お前はその辺で時間を潰してろ」


 時雨さんは刀を鞘に収め、立ち上がった。


「……逃げてもいいが、野垂れ死ぬぞ」

「逃げませんよ……」


 その夜、俺たちは泥のように眠った。


   ◆


 翌朝、俺たちは街の中心にある市場へ向かった。

 市場は朝から活気に満ちていた。

 野菜、干物、布、怪しげな骨董品。様々なものが所狭しと並べられ、売り子たちの威勢のいい声が飛び交っている。


「俺は用心棒の仕事を探してくる。お前は適当にブラついてろ」


 時雨さんはそう言い残し、人混みの中へ消えていった。

 一人取り残された俺は、所在なく市場を彷徨う。

 暇つぶしに、先生の機能を試してみることにした。

 視界に映る商品を、片っ端からスキャンしていく。


『鑑定結果。壺、粗悪品。内部に焼成時のヒビあり。価値なし』

『鑑定結果。薬草、乾燥不足。効能は期待値の三割以下。価値なし』


 ロクなものがない。

 どうやらこの市場は、素人を騙すようなガラクタばかり売っているらしい。

 俺が肩を落としながら歩いていると、路地の隅に誰も見向きもしない店を見つけた。

 ゴザの上に、錆びついた鉄屑や割れた皿を並べているだけの、みすぼらしい露店だ。店番をしているのは、死神みたいに腰の曲がった老婆だった。

 通り過ぎようとした、その時。


『警告。高エネルギー反応を検知』


 先生の赤いウィンドウが、ゴザの端にある「黒い塊」をロックオンした。

 握りこぶしくらいの大きさで、泥と錆にまみれている。どう見ても、ただのゴミだ。


『対象分析。金属塊。スペクトル分析の結果、通常の鉄ではありません。極めて純度の高い隕鉄、あるいは古代の精錬技術による特殊合金──通称「星鉄」の可能性が97.2%です』

「……え?」

『表面の酸化皮膜を除去すれば、本来の輝きを取り戻すと推測されます。推定市場価格──銅銭三千枚以上』


 三千枚。

 俺たちの全財産の、百倍近い金額だ。

 心臓が早鐘を打った。

 これは──チャンスだ。

 俺は震える手で財布から小銭を取り出し、老婆に声をかけた。


「あ、あの……おばあさん。これ、いくらですか?」

「んん? そんなゴミ、銅銭十枚だよ」

 俺は即座に金を払い、その塊をひったくるようにして宿へ戻った。


   ◆


 戻ってきた時雨さんは、俺が抱えているゴミを見て呆れ顔をした。


「お前、何拾ってきてんだ。そんな鉄屑、漬物石にもなりゃしねぇぞ」

「見ててくださいよ」


 俺は先生の指示通り、宿の裏手で塊を磨き始めた。

 酸っぱい木の実の汁をかけ、布でひたすら擦る。


『右へ三十度傾けて研磨。力加減は弱めに維持してください』


 言われた通りに磨き続けること、約一時間。

 ポロリ、と表面の錆が剥がれ落ちた。

 その下から現れたのは──


「……おい、嘘だろ」


 時雨さんが目を見開いた。

 夜空を切り取ったような、深く青い輝きを放つ金属。

 星の光を閉じ込めたみたいに、その表面がキラキラと瞬いている。


「これが……星鉄……」


 俺は息を呑んだ。

 先生の鑑定は、正しかった。


   ◆


 俺たちはその足で、街一番の質屋へ駆け込んだ。

 最初は俺たちを追い払おうとした店主だったが、星鉄を見た瞬間、目の色を変えた。


「こ、これは……『星鉄』か!? どこで手に入れた!」

『交渉開始。マスター、以下の手順に従ってください。まず、希少価値を強調し──』


 先生の指示通りに、強気な態度で交渉を進める。

 最終的に──銅銭三千枚という大金での売却に成功した。

 店を出た俺の懐には、ずっしりと重い革袋がある。


「すげぇ……本当に売れた……」

「……大したもんだ」


 時雨さんが、珍しく感心したような声を出した。


「お前、詐欺師の才能があるな」

「人聞きが悪いですよ! 正当な取引です!」


 俺は思わず笑みをこぼした。

 初めてだ。

 この世界に来て初めて、自分の力で「価値」を生み出せた。

 これだけあれば、しばらくはまともな食事ができる。新しい服だって買える。風呂にだって入れるかもしれない。


「おい、浮かれてねぇで財布をしまえ。狙われるぞ」

「大丈夫ですよ!」


 俺は上機嫌で歩き出した。


「この街も、捨てたもんじゃないですね!」


 その瞬間だった。


「きゃっ!」


 路地から飛び出してきた誰かと、正面からぶつかった。

 甘い香りが鼻をくすぐる。

 俺が慌てて支えると、そこにいたのは──胸元の大きく開いた着物を纏った、美しい女だった。


「ご、ごめんなさい……! お怪我はありませんか……?」


 彼女は俺の胸に手を当て、潤んだ瞳で上目遣いに見つめてきた。

 ドクン、と心臓が跳ねる。

 こんな美人に、こんな至近距離で見つめられたことなんてない。泥だらけの俺なんかに、彼女は優しく微笑みかけてくれた。


「い、いえ! こちらこそ……!」

「まあ、お召し物が汚れてしまって……」


 彼女は懐から手拭いを取り出し、俺の胸元を丁寧に拭いてくれた。

 ふわりと香の匂いがして、頭がクラクラする。


「行くぞ」


 後ろから、時雨さんの冷たい声が飛んできた。

 彼女は「失礼しました」と妖艶に微笑み、人混みの中へと消えていった。


「いい人だったな……」


 俺は鼻の下を伸ばしながら呟いた。

 やっぱり、今日はツイてる。


「飯でも食うか。お前の奢りで」

「はい! 何でも食べてくださ──」


 俺は上機嫌で懐に手を入れ──そして、凍りついた。

 ない。

 さっきまであった、あのずっしりと重い革袋が──ない。


「え……?」

『報告。先ほどの接触時、対象の女性があなたの懐から物体を抜き取る動作を検知していました』

「は……っ!?」

『しかし、あなたの心拍数が急激に上昇し、脳内ホルモン──ドーパミンが過剰分泌されていたため、警告音声が意識下で無視されました。いわゆる「ハニートラップ」です』


「嘘だろ……っ!?」

 

 俺はその場に、膝から崩れ落ちた。

 スリだ。

 あの女、俺に色目を使っている間に、財布を抜き取っていきやがった。

 三千枚。

 たった数分前まで手の中にあった大金が、跡形もなく消えた。


「だから言っただろ」


 時雨さんが、呆れ果てた声で言った。

 彼の手には、小さな巾着袋が握られていた。


「念のために俺が百枚ほど抜いといた。無一文にはならずに済んだが……残りは勉強代だと思え」


 気づかぬうちに、時雨さんにもスられていた。

 俺は、どれだけ馬鹿なんだろう。


「……っ」


 悔しさで、視界が滲む。

 自分の力で稼いだと思った。この世界でもやっていけると思った。

 なのに、一瞬で全部失った。

 騙されて。スられて。また振り出しに戻った。


「お前は不用心すぎる」


 時雨さんは巾着袋を俺の胸に押し付けた。


「綺麗な顔と、甘い言葉には気をつけろ。この世界じゃ、そういうもんが一番危ねぇんだよ」

「……はい」


 俺は鼻を啜りながら、巾着袋を握りしめた。

 百枚。

 元の全財産よりは多いけれど、三千枚には遠く及ばない。

 風呂も、新しい服も、まともな飯も──全部、夢と消えた。


「立て。いつまでもそこで泣いてんじゃねぇ」


 時雨さんが、俺の襟首を掴んで引き起こした。


「今日の教訓を忘れるな。次はもう助けてやらねぇぞ」

「……はい」


 俺はよろよろと立ち上がり、袖で涙を拭った。

 悔しい。

 情けない。

 でも──死んでない。

 まだ、生きてる。


『マスター。本日の収支を報告します。支出、銅銭十枚。収入、銅銭百枚。差し引き、九十枚のプラスです』

「……そういう問題じゃねぇんだよ」


 俺は力なく呟いた。

 先生は相変わらず、数字でしか物事を見ない。

 でも──確かに、マイナスではない。

 昨日よりは、ほんの少しだけマシになっている。


「行くぞ。安い飯屋を探す」


 時雨さんが先に歩き出した。

 俺はその背中を追いながら、心の中で誓った。

 次は、絶対に騙されない。

 この世界で生き延びるために──もっと強くなる。

 夕暮れの空が、血のように赤く染まっていた。

 俺の再起は、ここから始まる。

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