30 決着
川のせせらぎが、やけに大きく聞こえた。
対岸には逃げ場がない。俺たちも、あいつらも。
ここで決着をつける。
「行くぞ」
時雨さんが地を蹴った。
同時に、厳さんが槍を構えて突進する。
刺客の前衛が刀を抜いた。時雨さんの斬撃を受け止め、弾き返す。
金属音が響き、火花が散る。
速い。二人の剣戟は、俺の目では追いきれないほどだった。
「ふん、腕は落ちてないな」
「当たり前だ」
時雨さんが斬りかかる。前衛が受ける。その横から、厳さんの槍が突き出された。
前衛が身を捻って避ける。この反応速度、やはり只者ではない。
でも、避けた先には時雨さんの刀があった。
「──っ」
前衛が咄嗟に腕を上げて防いだ。袖が裂ける。鮮血が飛んだ。
「浅いか」
「舐めるな」
前衛が反撃に転じる。鋭い突きが時雨さんを襲う。
時雨さんは刀で逸らしたが、体勢を崩された。
その瞬間──
『マスター。後衛が動きます。右斜め後方』
「時雨さん! 右後ろ!」
俺が叫んだ。
時雨さんが振り返る頃には、短刀が閃いていた。
間に合わない──
その瞬間、槍が割って入った。巌さんだ。
短刀が槍の柄に弾かれる。後衛が舌打ちして距離を取った。
「助かった」
「気にするな」
巌さんが槍を構え直した。
前衛と後衛が並ぶ。二人の連携は、まだ崩せていない。
戦況は膠着状態だった。
時雨さんと厳さんが前衛を押す。でも、後衛が常に刺客を狙ってくる。
攻めきれない。
守りに回ると、じわじわと押される。
『このままでは消耗戦になります。時雨と巌の体力が先に尽きる可能性が高いです』
「分かってる」
俺は必死に考えた。
二人の連携を崩す方法。前衛が崩れれば、後衛は単独になる。
でも、前衛は強い。時雨さんと厳さんの二人がかりでも、決定打が入らない。
あの二人を崩すには、単純な力比べではダメだ。何かあいつらにとって「想定外」の事態を起こさなければいけない。
なら──
「楓」
「おう」
「後衛の動きを見てろ。合図したら、全力で突っ込め」
「……何する気だよ」
「賭けだ。でも……やるしかない」
楓は、俺の目力に負けて頷いた。
俺は時雨さんに駆け寄る。
「時雨さん」
「何だ」
「わざと隙を作ってください、大振りで」
一瞬の沈黙。時雨さんが俺を見た。その目が、何かを理解したように細まる。
「……分かった」
時雨さんが構えを変えた。
大振りの斬撃。明らかに隙がある。
前衛がそれを見切った。時雨さんの刀を弾き、体制を崩させる。
同時に──絶好のチャンスと思った後衛が動き出す。
時雨さんの背中に短刀が迫る。
これを待っていた。
「楓、今だ!」
楓が飛び出した。
後衛の死角から、全速力で。
後衛が気づいた時には、もう遅かった。
「な──」
楓の蹴りが後衛の脇腹に入った。体が吹き飛ぶ。
体勢が崩れた後衛に、厳さんの槍が突き出された。
鈍い音。
後衛が、地面に崩れ落ちた。
「──っ、貴様ら!!」
前衛の顔が歪んだ。
後衛が倒れ、連携が崩れた。
一対二。いや、一対四。
もう、勝ち目はない。
「終わりだ」
時雨さんが刀を構えた。
「投降しろ。命だけは助けてやる」
「……ふん」
前衛が笑った。血の混じった笑いだった。
「霧島の者が投稿? 笑わせるな。お前は霧島の誇りをもう忘れたのか?」
「お前が死んでも、影清様には伝わらない。無駄死にだ」
「無駄かどうかは、俺が決める」
前衛が刀を構え直した。
「影清様に伝えろ。時雨は死んでいないと。そして──仲間を得たと」
「……何?」
「お前は変わった、時雨。昔のお前なら、一人で全部背負って死んでいた」
前衛の目が、どこか遠くを見ていた。
「今のお前は、俺たちには殺せねぇよ」
前衛が斬りかかった。
最後の一撃。全力の。
でもそれは、覚悟を決めたのではなく、諦めの特攻のように見えた。
時雨さんの刀が、それを迎え撃った。
交錯。
一瞬の静寂。
前衛の体が、ゆっくりと崩れ落ちた。
「……結局、お前が勝つんだな……時雨……」
それが、最後の言葉だった。
◆
川の音だけが聞こえてくる。
時雨さんが刀を納めた。その手が、微かに震えていた。
「……終わったか」
俺は時雨さんの傍に歩み寄った。
「終わりましたね」
「……ああ」
時雨さんは、倒れた前衛を見つめていた。
「こいつも、同期だった」
「そうだったんですか……」
「名前も知らない仲だったが、顔は覚えている」
時雨さんが目を閉じた。
「また一人、俺が殺した」
「……」
「でも」
時雨さんが顔を上げた。その目には、もう迷いはなかった。
「後悔はしない。あいつは俺を殺しに来た。俺は、生きることを選んだ。それだけだ」
俺は頷いた。
何も言えなかった。言う必要もなかった。
巴さんが駆け寄ってきた。
「時雨様、お怪我は」
「大したことはない」
「でも、血が」
「かすり傷だ。後で見せる」
時雨さんが俺たちを見回した。
巌さん。楓。巴さん。そして、俺。
「……礼を言う」
静かな声だった。
「いらないですよ、そんな」
「いや、言わせろ」
時雨さんが俺の目を見た。
「お前たちがいなければ、俺は死んでいた。一人で抱え込んで、一人で戦って、一人で死んでいた」
「……」
「お前が言ったんだ。一人で背負うなと。仲間に頼れと」
時雨さんはそう言うと、背中を向けて歩き出した。照れ隠しだろうか。
「……ありがとう」
その言葉に、俺は何と返せばいいか分からなかった。
だから、ただ頷いた。大きくて、だけどちょっぴり切ない背中に頷いた。
「うわ、おっさんが素直に礼言ってる。明日は雪だな」
楓が茶化した。
「俺の気分次第でお前を殺すことだってできる」
「やってみろよ」
「まあまあ」
巌さんがいつものように割って入る。
巴さんがくすくす笑っていた。
宿に戻る道すがら、俺は時雨さんに聞いた。
「これで、終わりですか」
「……いや」
時雨さんが空を見上げた。
「影清様が、直接動くかもしれない」
「来ますかね」
「分からん。でも、あの人は執念深い」
時雨さんが俺を見た。
「その時は──」
「一緒に戦いましょう」
俺が先に言った。
「もう分かってるでしょ。俺たち、逃げませんよ」
時雨さんが目を細めた。
「……気持ちはありがたいが、そんな真っ直ぐな信頼だけで、この世は成り立っているわけじゃない」
時雨さんはまた歩き出した。
どこまでも人間不信な人だ。




