28 裏切り者
月が雲から顔を出した。
時雨さんが動き出す。速い。一瞬で間合いを詰め、刀を振り下ろす。
だが、刺客も速かった。時雨さんの殺害を命じられる時点で、精鋭なのは間違いない。
金属音が響く。二人がかりで時雨さんの刀を受け止めていた。
「腕は落ちてないな」
「当たり前だ」
時雨さんが刀を引き、横薙ぎに斬りかかる。一人が後ろに跳び、もう一人が懐に潜り込んできた。
短刀が閃く。時雨さんが身を捻って避けた。
反撃。刀が短刀使いの腕を掠める。
「ちっ」
男が距離を取った。腕から地が滴っている。
でも、致命傷じゃない。浅い。
『マスター』
先生の声。深刻な声色だった。
『時雨の動きに乱れが見られます』
「乱れ?」
『本来の実力が出ていません。精神的な動揺が原因と推測されます』
俺は時雨さんを見た。
確かに、いつもと違う気がする。動きが硬い。どこか、迷いがあるような──
「どうした、時雨」
刺客の一人が嗤った。
「俺たちが怖えのか?」
「……黙れ」
「そうだよな。怖いよな。普段は馬鹿みてえに強くても、お前は昔から肝心なところで甘い」
刺客が間合いを詰めた。時雨さんが受ける。鍔迫り合い。
「あの村のこと、覚えてるか」
時雨さんの体が一瞬硬直した。
「影清様の命令だった。『村を焼け。一人も逃すな』と」
「……」
「でもお前は逃がした。子供と女を逃がした。命令に背いてな」
刺客が力を込める。時雨さんが押されていた。
「その結果、どうなった?」
「やめろ」
「お前の代わりに、誰が罰を受けた?」
「やめろ……!」
時雨さんの声が震えていた。初めて聞く声だった。
「仲間が三人死んだんだ。お前の甘さのせいで」
刺客が時雨さんを蹴り飛ばした。
時雨さんが地面を転がる。すぐに立ち上がったが、体勢が崩れていた。
「……っ」
「お前は裏切り者だ、時雨。霧島を裏切り、仲間を裏切り、命令を裏切った」
もう一人の刺客が背後に回り込む。挟み撃ち。
「お前が守ろうとした村人も、結局は皆殺しにされた。お前が逃げた後にな」
時雨さんの動きが止まった。
「……」
「無駄だったんだよ、全部。お前の甘さは、誰も救わなかった」
『マスター。危険です』
先生の声が切迫していた。
『時雨の心拍数が異常値を示しています。戦闘続行は困難と判断します』
「どうすれば──」
『介入した場合の生存確率──算出不能。相手の戦闘力データが不足しています』
「それでも!」
『推奨行動は撤退です。しかし──』
先生が珍しく言い淀んだ。
『このまま放置すれば、時雨は死亡します』
俺は拳を握りしめた。
考えている暇はない。
「楓、巌さん」
「分かってる」
「ああ」
俺たちは物陰から飛び出した。
「時雨さん!」
俺の声に、時雨さんが顔を上げた。
「零……? なぜ──」
「話は後です!」
巌さんが槍を構えて、刺客の一人と対峙した。
「……何だ、お前らは」
「通りすがりだ」
巌さんの声は静かだったが、有無を言わせない迫力があった。
楓が時雨さんに駆け寄る。
「立てるか」
「……何で来た。来るなと言っただろう」
「うるせえ。言うこと聞くようなお利口さんじゃねぇんだよ」
楓が時雨さんの腕を引っ張って立たせた。
「ほう」
刺客が俺たちを見回した。
「仲間か。時雨、いつの間にそんなものを作った」
「……」
「まあいい。どうせ全員殺す。手間が増えただけだ」
刺客が短刀を構え直した。
『マスター。撤退を推奨します』
「分かってる」
『現状、正面からの戦闘は不可能です。時雨も消耗しています』
「どうやって逃げる」
『北東の路地に入れば、市街地に出られます。人目があれば、追撃は困難になるかと』
「……それしかない」
俺は声を張り上げた。
「巌さん、楓、時雨さん! 逃げます!」
「逃げる?」
「今は勝てない。逃げて態勢を立て直します!」
刺客が嗤った。
「逃がすと思うか」
「逃げるんじゃないですよ」
俺は刺客を睨んだ。
「また来いって言ってるんですよ。今日は帰れ」
刺客の目が細くなった。
「……面白い口を利くじゃねぇか」
「お前らは二人、俺たちは四人。時雨さん一人なら勝てたかもしれないけど、四人相手に無傷でいられる自信あるんですか」
ハッタリだった。実際には勝ち目なんてない。
でも、刺客も損害は避けたいはずだ。
しばらくの沈黙。
「……いいだろう」
刺客が短刀を納めた。
「今日は見逃してやる。だが、次はない」
「次があるかどうか、決めるのは俺たちです」
「ほう。言うじゃないか」
刺客が背を向けた。
「時雨。お前の仲間、全員殺してやる。お前が見捨てた村人と同じようにな」
時雨さんの体が震えた。
「……」
「楽しみにしてろ」
刺客たちは、闇の中に消えていった。
◆
宿に戻った。
時雨さんは、一言も喋らなかった。
部屋に入っても、壁に背を預けて座り込んだまま動かない。
「時雨様」
巴さんが近づいた。
「お怪我は──」
「触るな」
冷たい声。巴さんが怯んで手を引いた。
「す、すみません……」
「……いや」
時雨さんが顔を伏せた。
「すまない。お前に言ったんじゃない」
重い沈黙が落ちた。
俺は時雨さんの前にしゃがんだ。
「時雨さん」
「……」
「さっき、何を言われたんですか」
時雨さんは答えなかった。
「教えてもらえませんか。何があったのか」
「……知ってどうする」
時雨さんが顔を上げた。
その目は、見たことがないほど暗かった。
「……昔の話だ」
ぽつりと、言葉がこぼれた。
「俺は霧島で、暗殺を生業にしていた。影清様の命令で、何人も殺した」
「……」
「ある時、命令が来た。国境の村を焼けと。反乱の芽を摘むために、一人も逃すなと」
時雨さんの拳が震えていた。
「行ってみたら、普通の村だった。農民と、女と、子供。反乱なんて、するはずがない連中だ」
「……」
「俺は、殺せなかった」
時雨さんが顔を歪めた。
「子供と女だけ逃がした。山に逃げろと言って。……それが、間違いだった」
「間違い?」
「俺が命令に背いたせいで、仲間が三人殺された。見せしめだ。俺の代わりに」
時雨さんの声が掠れていた。
「逃がした村人も、結局殺された。俺が逃げた後、別の部隊が来て……全員」
沈黙が落ちた。
誰も何も言えなかった。
「……全部、俺のせいだ」
時雨さんの声は、今にも消えそうだった。
「仲間も、村人も、俺が殺したようなもんだ。俺の甘さが、全部を壊した」
「時雨さん……」
「お前たちも、俺といたら殺される。あいつらは本気だ。俺の周りにいるやつを、全員殺す」
時雨さんが立ち上がった。
「俺は出ていく。お前たちを巻き込むわけにはいかない」
「待ってください」
「零、お前のためだ。俺から離れろ」
「嫌です。俺のことを思ってくれてるなら、離れないでください」
俺は時雨さんの前に立ちはだかった。
「巻き込まれるとか、そんなの関係ない」
「関係ある。お前らが死んだら──」
「死にません。俺たちは死にません」
時雨さんが俺を見た。
「……何を根拠に」
「根拠なんてないですよ」
俺は真っ直ぐ時雨さんを見返した。
「でも、一人で背負わなくていいって、それだけは分かります」
時雨さんは何も言わなかった。
「時雨さんが昔何をしたか、俺は知りません。でも、今の時雨さんは俺の命の恩人で、俺の仲間です。それ以上……理屈は必要ありません」
「……」
「一人で行かせない。それだけは、絶対に」
長い沈黙が流れた。
時雨さんが、長く息を吐いた。
「……馬鹿だな、お前は」
「よく言われます」
「嘘だろ」
「嘘ですよ」
俺は笑ってみせた。
時雨さんの肩から、少しだけ力が抜けた気がした。




