27 影
偽薬事件から数日が経った。
俺たちの噂は、思ったより広まっていた。
「あんたら、この前の詐欺師を捕まえた連中だろ?」
飯屋で声をかけられることが増えた。
「うちの婆さん、あの薬買うところだったんだ。助かったよ」
「いえ、俺たちは別に……」
ありがたい話だが、居心地が悪い。
「目立ちすぎだな」
時雨さんが小声で言った。
「すみません」
「お前が謝ることじゃない。ただ、気をつけろ」
「何にですか?」
「目立てば、敵も増える」
時雨さんの目が、一瞬だけ遠くを見た。
何かを思い出しているようだった。
◆
その日の夕方、買い出しに出た時のことだった。
時雨さんが、ふと足を止めた。
「どうしました?」
「……いや」
時雨さんは何も言わず、周囲を見回した。
市場の雑踏。人々が行き交っている。特に変わった様子はない。
「時雨さん?」
「何でもない。行くぞ」
歩き出す時雨さんの背中を見た。
何でもない、という感じではなかった。
「先生、何か気づいた?」
『特に異常は検知されていません。ただ、時雨さんの心拍数が若干上昇しています』
「緊張してる?」
『そのようです』
時雨さんが何かを感じ取っている。でも、何なのかは分からない。
俺には、何も見えなかった。
宿に戻ってからも、時雨さんは落ち着かない様子だった。
何度も窓の外を見ている。
「時雨さん、何かあったんですか」
「……何もない」
「嘘でしょ。さっきからずっと外を気にしてる」
時雨さんが俺を見た。少しの沈黙。
「……勘だ」
「勘?」
「見られてる気がする」
見られてる。
俺は窓の外を見た。もう日が落ちて、暗くなっている。人通りも少ない。
「確かに?」
「分からん。ただ、嫌な感じがする」
時雨さんが刀に手を置いた。
「お前たちは部屋にいろ。俺は少し外を見てくる」
「一人で?」
「一人の方が動きやすい」
「でも──」
「零」
時雨さんの目が俺を射抜いた。
「これはお前たちを巻き込む話じゃない。いいな」
有無を言わせない口調だった。
時雨さんは刀を持って、部屋を出ていった。
「追いかけるだろ」
楓が言った。
「え?」
「顔がそう言ってる。追いかけるつもりだろ」
「……分かる?」
「分かりやすいんだよ、お前」
楓が立ち上がった。
「俺も行く」
「危ないかもしれないよ」
「だから行くんだろ。お前一人じゃ足手まといだ」
否定できなかった。
「俺も行こう」
巌さんが言った。
「巴さんは残ってください。何かあった時のために」
「分かりました。お気をつけて」
巴さんが頷いた。
俺と楓と巌さんの三人で、時雨さんの後を追った。
行き着いたのは、町外れの空き地だった。
月明かりの下、時雨さんが立っていた。
そして、その前に──二つの影。
「久しぶりだな、時雨」
低い声が聞こえた。男だ。黒い装束を着ている。もう一人も同じ格好だ。
「……やっぱりか」
時雨さんの声は低く、硬かった。
「弥助を殺せば、次の奴が来ると思っていた」
「当然だろう。裏切り者は死ぬまで追われる。それが霧島の掟だ」
霧島の名を聞いて、俺は身震いした。
諜報の国。時雨さんがかつて所属していた組織。
「影清様は怒っておられる。弥助は優秀だった。それをお前が殺した」
「殺したのは俺の意思だ。文句があるなら、影清が直接言いに来い」
「ふん。相変わらず口だけは達者だな。でもその望みは叶わねぇ」
男が一歩、前に出た。
「ここでお前を始末するからな」
「できるものならやってみろ」
時雨さんが刀を抜いた。
空気が張り詰める。
俺は物陰から、その光景を見ていた。
「どうする」
楓が小声で聞いてきた。
「……今は様子を見る。時雨さんが本気で危なくなったら、助けに入ろう」
「二対一だぞ。いくらあの人で勝てないって」
「……時雨さんは強い。まだ分からないだろ」
巌さんは槍を握りしめていた。いつでも飛び出せる姿勢だ。
時雨さんと刺客が対峙している。
戦いの始まりを告げるように、月は雲に隠れ、犬の遠吠えが聞こえた。




