23 休息
報酬が入った翌日、俺は提案した。
「少し贅沢しませんか」
時雨さんが眉を上げた。
「贅沢?」
「はい。いい飯食って、温泉にでも入って」
「金は大事に使うもんだ」
「分かってます。でも、ずっと節約ばかりじゃ気が滅入りますよ」
時雨さんが黙った。反論はしない。
「巴さんはどうですか?」
「わたしは、皆さんが良ければ……」
遠慮がちな答え。でも、目が少し輝いている。
「たまにはいいじゃないですか、時雨さん」
「……好きにしろ」
許可が出た。
まずは飯だった。宿場町の外れに、評判の料理屋があると聞いた。小さな店だが、味は確からしい。
「いらっしゃい」
通された座敷は、六畳ほどの小さな部屋だった。窓から夕陽が差し込んでいる。
「何にする?」
「おまかせで」
「あいよ。ちょっと待ってな」
女将さんが厨房に引っ込んだ。
しばらくして、料理が運ばれてきた。焼き魚。煮物。漬物。味噌汁。それに、白い飯。
どれも素朴だが、丁寧に作られているのが分かる。
「いただきます」
箸をつけた。
焼き魚を口にした瞬間、思わず声が出た。
「……うま」
皮がぱりっと香ばしくて、身がふわっとほどける。塩加減も絶妙だ。
「本当ですね。美味しい……」
巴さんも目を丸くしている。
時雨さんは黙って食べていたが、箸の進みが早い。気に入ったらしい。
「煮物も美味い」
「あ、本当だ」
大根と鶏肉の煮物。出汁がしっかり染みていて、噛むと旨味が広がる。
「時雨さんって食にこだわる方ですか?」
「別に。美味いもんは美味いと言ってるだけだ」
「そうですか」
でも、さっきから料理の品定めをするような目をしている。こだわりがないとは思えない。
「時雨様は、お料理されるんですか?」
巴さんが聞いた。
「……昔は少し」
「意外です」
「生きるためだ。腕が立っても、飯が作れなきゃ野垂れ死ぬ」
時雨さんが味噌汁を啜った。
「一人で生きてきた時間が長いからな。嫌でも全部自分でやるしかなかった」
「……」
さらっと言ったが、重い言葉だった。
一人で生きてきた。この人は、ずっと一人だったのだ。
「今は三人ですね」
巴さんが言った。
「だから、お料理はわたしがやりますよ。時雨様には休んでいただきたいです」
「……別に、疲れてはいない」
「でも、たまには誰かに作ってもらうのもいいものですよ」
時雨さんが少し困ったような顔をした。慣れていないのだろう、こういうやり取りに。
「……まあ、任せる」
「はい!」
巴さんが嬉しそうに笑った。
◆
飯の後、温泉に向かった。
この宿場町には、小さな湯治場がある。公衆浴場のようなものらしい。
「男湯と女湯、分かれてますね」
「当たり前だ」
時雨さんに睨まれた。何も変なことは言ってない。
「じゃあ、後で待ち合わせで」
巴さんが女湯の暖簾をくぐっていった。
俺と時雨さんは男湯に入った。
湯船に浸かる。
熱い。でも、気持ちいい。
体の芯まで温まっていく感覚。疲れが溶けていくようだった。
「……はあ」
思わずため息が出た。
隣で時雨さんも湯に浸かっている。目を閉じて、珍しくリラックスした表情をしていた。
服を着ている時は分からなかったが、時雨さんの体には傷跡が多かった。背中、腕、脇腹。古いものから新しいものまで。
聞いてはいけない気がして、目を逸らした。
「見たか」
時雨さんが目を開けずに言った。
「……すみません」
「気にするな。隠してるわけじゃない」
時雨さんが湯を掬って顔を洗った。
「戦ってきた証みたいなもんだ。格好いいとは思わんが」
「……時雨さんは、いつから戦ってるんですか」
「物心ついた頃にはもう刀を握ってた」
小学生くらいの歳から、もう殺し合いの世界にいたということか。
「後悔はないですか」
「ない、と言えば嘘になる」
時雨さんが天井を見上げた。湯気が立ち上っている。
「でも、後悔したところで過去は変わらん。なら、前だけ見て歩くしかないだろう」
「……」
「お前こそどうなんだ」
「俺?」
「後悔してるだろ。この世界に来たこと」
図星だった。
「……してます。毎日」
「だろうな」
「でも、後悔しても仕方ないって。時雨さんに教わりました」
時雨さんが少し目を丸くした。
「俺がそんなこと言ったか」
「言いました。前に」
「覚えてないな」
「俺は覚えてますよ」
時雨さんが鼻で笑った。
「律儀な奴だな」
「よく言われます」
「嘘つけ」
少しの沈黙。でも、気まずくはなかった。
「零」
「はい」
「お前、帰りたいんだろ。元の町に」
「……はい」
「……見つかるといいな。帰る方法」
時雨さんは、それ以上何も言わなかった。
どこから来たのか。元の場所とは何なのか。聞けば答えたかもしれない。でも、時雨さんは聞かなかった。
その距離感が、ありがたかった。
「時雨さん」
「何だ」
「ありがとうございます」
「何がだ」
「色々と」
「……気持ち悪いな」
時雨さんが立ち上がった。
「のぼせる前に出るぞ」
「はい」
◆
湯から上がると、巴さんが待っていた。
頬が上気して、どこか嬉しそうな顔をしている。
「お待たせしました」
「いいえ。──温泉、気持ちよかったです」
「ですね~」
「はい。こんなに広いお風呂、初めてで……」
巴さんが少し照れたように笑った。
「はしゃいでしまいました」
「いいんじゃないですか。たまには」
「……ありがとうございます、レイ様」
時雨さんも、どこか穏やかな顔をしている。普段の険しさが少し和らいでいた。
「帰りますか」
「ああ」
三人で歩き出した。
夜風が気持ちよかった。湯冷めしないよう、少し早足で。
宿に戻ると、小春が待っていた。どうして客人が先に居るのだろうか。
「あれ、お風呂帰りですか。いいご身分ですね」
「たまにはいいでしょう」
「別に責めてませんよ。稼いだ金をどう使おうと自由ですし」
小春が茶を啜った。勝手に俺たちの部屋でくつろいでいる。
「で、何の用ですか?」
「次の仕事の話」
小春が懐から紙を取り出した。
「来週、護衛の依頼があります。結構大きめ」
「大きめって?」
「商隊の護衛です。日数は五日間、報酬は銀貨三十枚」
銀貨三十枚。今までで一番の高額だ。
「何か裏があるんですか」
「鋭いですね。──まあ、ちょっとだけ」
小春が肩をすくめた。
「道中、山賊が出るかもしれない区間を通るんですよ。だから護衛の数を増やしたい」
「俺たちだけじゃない?」
「ええ。他にも何組か雇います。──興味あります?」
俺は時雨さんを見た。
「……悪くない条件だ」
時雨さんが頷いた。
「受けるか」
「受けましょう」
小春に向き直った。
「受けます」
「即決ですね。好きですよ、そういうの」
小春が立ち上がった。
「詳細はまた連絡します。──あ、そうだ」
「はい?」
「他の護衛の中に、ちょっと変わった奴がいるんですよ。元・龍造寺の浪人らしくて」
「龍造寺?」
「ええ。追放されたとかなんとか。腕は立つらしいんですけど、無口で何考えてるかわからないって噂で」
小春がにやりと笑った。
「まあ、仕事で会えば分かりますよ。じゃ、また」
手を振って、小春が出ていった。
元・龍造寺の浪人。
何者だろう。
「気になるか」
時雨さんが言った。
「少し」
「会えば分かる。今から考えても仕方がない」
「そうですね」
名家の一員から浪人へ。時雨さんに通ずるものがあるので、俺は興味があった。
強いのだろうか、気難しそうではあるが。
「また頑張らないと……」
束の間の休息は終わり。また、日常が始まる。




