22 本性
時雨さんが動いた。
一瞬だった。
先頭の男が何か言おうとした時には、もう時雨さんは間合いを詰めていた。
「は──」
男の声が途切れる。刀が一閃、男の腕を斬り裂いた。
「ぎゃあああっ!!」
悲鳴が森に響く。男が腕を押さえてうずくまった。
「て、てめえ……!」
残りの四人が武器を構える。だが腰が引けているのが見て取れた。
「次」
時雨さんが言った。それだけだった。
男たちがじりじりと後退し始める。
「お、おい、聞いてねえぞ……! こんな強え奴がいるなんて……!」
「う、うるせえ! 四人いりゃあ──」
「やれるもんならやってみろ」
時雨さんが一歩踏み出した。
それだけで、男たちの顔から血の気が引いた。
「……っ、撤退だ!」
先頭の男が叫んだ。腕を押さえたまま、森の中に逃げていく。残りの四人も、我先にと走っていく。
あっという間だった。
「……終わりか」
時雨さんが刀を納めた。
「怪我は」
「ありません」
「巴さん」
「わたしも大丈夫です」
時雨さんが振り返った。
「そっちのガキは」
庄吉は、その場に座り込んでいた。
顔が真っ青だ。体が小刻みに震えている。
「庄吉さん、大丈夫ですか」
「──っ」
声が出ないらしい。口をぱくぱくさせている。
巴さんが近づいて、背中をさすった。
「大丈夫です。もう終わりましたよ」
「……っ、あ……」
庄吉の目から、涙がこぼれた。
「こわ……怖かった……」
嗚咽が漏れる。さっきまでの生意気な態度は、どこにもなかった。
ただの、十五歳の子供だった。
◆
少し離れた場所で休憩を取った。
庄吉はまだ震えていたが、水を飲んで少し落ち着いたようだった。
「……」
黙り込んでいる。目が赤い。
「庄吉さん」
「……何だよ」
「怖かったのは、普通のことです」
俺は隣に座った。
「俺もこの前、似たようなことがありました。何もできなくて、殴られて、情けなくて」
「……」
「でも、今こうやって生きてる。それでいいと思います」
庄吉が俺を見た。
「……お前、変な奴だな」
「よく言われます」
「俺、あんなに偉そうにしてたのに。何で普通に話すんだよ」
「仕事ですから」
「それ、さっきも聞いた」
庄吉が鼻をすすった。
「……悪かった」
「え?」
「態度、悪かった。お前らのこと馬鹿にして。──若いからって、時雨さんのことも」
時雨さんは少し離れた場所で周囲を警戒していた。聞こえているかは分からない。
「……あの人、強いんだな。すげえ強い」
「言ったじゃないですか、強いって」
「俺、何もできなかった座り込んで、泣いて。──情けねえ」
庄吉が膝を抱えた。
「親父の言う通りだ。俺は甘ったれてる。何もできねえガキだ」
「そんなことないと思いますけど」
「あるよ。お前だって思ってんだろ。使えねえ跡取りだって」
俺は少し考えた。
「正直、面倒くさいとは思いました」
「だろ」
「でも、使えないとは思わなかったです」
庄吉が顔を上げた。
「さっき、商売の話してくれたじゃないですか。値段とか数量とか納期とか。俺、ああいうの全然分からないんで。ちょっとすごいなって」
「……は?」
「本当に。商売の知識がないんです。両替で稼いだことはありますけど、それだけで」
「両替で稼いだ?」
「ええ。町ごとの相場の差を利用して」
庄吉が目を丸くした。
「それ、お前が考えたのか」
「まあ、はい」
嘘である。
「……すげえな。俺、そういうの思いつかねえわ」
「庄吉さんは商談ができる。俺にはできない。時雨さんは戦える。俺たちにはできない。それぞれ得意なことが違うだけですよ」
庄吉が黙った。
しばらくして、小さく呟いた。
「……お前、本当に変だな」
「だから、よく言われますって」
「二回目だそれ」
庄吉が少しだけ微笑んだ。
意外と無邪気に笑うじゃないか。俺はその笑顔を見て、少し安心した。
◆
日が暮れる前に、宿場町に着いた。
今日はここで一泊し、明日、目的地に向かう予定だ。
本当はもっと早く到着する予定だったが……仕方ない。
「部屋を取ってくる」
時雨さんが宿に入っていった。
庄吉が俺の隣に立った。
「なあ」
「はい」
「さっき言ってたこと。自分で決めたわけじゃないのに、ここにいるって」
「ああ、それ」
「どういう意味なんだ」
俺は少し迷った。
でも、まあいいか。曖昧にしておこう。
「俺、遠くから来たんです。帰りたいけど、帰り方が分からない」
「遠くって、どこだよ」
「すごく遠いところです」
「……何だそれ」
庄吉が首を傾げた。
「お前、訳ありなんだな」
「まあ、そうですね」
「ふうん」
庄吉がそっぽを向いた。
「俺も、訳ありだ」
「跡取りのこと?」
「……親父と、うまくいってねえ」
庄吉が足元を見た。
「母親が死んでから、ずっと。親父は俺を見ると、母親を思い出すんだと。顔が似てるから」
「……」
「だから、俺のことを見たくねえんだ。跡取りとしては必要だけど、息子しては要らない。──そういうこと」
重い話だった。俺には何も言えなかった。
「だから、商談の見習いも、俺を追い出すためだと思ってる。しばらく顔を見なくて済むから」
「……そうですか」
「そうだよ」
庄吉が俺を見た。
「でも、行くしかねえんだ。逃げたって、どうにもならねえから」
その目は、さっきうまでの生意気な少年ではなかった。
自分の現実を、受け入れようとしている目だった。
「庄吉さん」
「何だよ」
「俺も似たようなもんです。逃げられないなら、やるしかない」
「……だな」
庄吉が、ふっと笑った。
「お前、名前なんだっけ」
「零です。時坂零」
「零か。覚えとく」
庄吉が手を差し出した。
「よろしく。──今更だけど」
「よろしくお願いします」
俺はその手を握った。
◆
翌日、目的地に着いた。
大きな問屋だった。庄吉を引き渡し、依頼は完了。
「世話になった」
庄吉が頭を下げた。昨日までとは別人みたいだ。
「お気をつけて」
「ああ。──お前らも」
庄吉が俺を見た。
「……また会えるか?」
「どうでしょう。縁があれば」
「そうか」
庄吉が背を向けた。問屋の中に入っていく。
途中で振り返って、手を振った。
俺も振り返した。
「いい子じゃないですか」
巴さんが微笑んだ。
「最初は大変でしたけど」
「ああいうのを更生させるのが得意なのか、お前は」
時雨さんが呆れたように言った。
「そんなつもりはないんですけど」
「結果的にそうなってる。才能だな」
褒められているのか、からかわれているのか分からない。
帰り道、小春と合流した。
「お疲れ様です。どうでした?」
「大変でしたよ……」
「でしょうね。庄吉くん、評判悪いんですよ」
知ってたのか。
「言ってくださいよ、先に」
「言ったら受けなかったでしょ?」
「……」
否定できなかった。
「でも、うまくやったみたいですね。向こうの番頭から連絡ありました。『礼儀正しい子だった』って」
「それ、俺たちの手柄じゃないです」
「そうですか? まあいいですけど」
小春が報酬の銭袋を渡してきた。
「何ですか」
「特別報酬です。山城屋の旦那から。『息子がまともになって帰ってきたら、礼をしたい』って」
「……まだ帰ってないですよね」
「前払いだそうです。期待されてますよ」
小春がにやりと笑った。
「やっぱり面白いですね、お宅ら」
◆
宿に戻った。
報酬を数える。今回の稼ぎは、銀貨十五枚。かなりの額だった。
「これで、しばらくは食っていけるな」
時雨さんが言った。
「ですね。次の仕事まで余裕ができます」
「……おい」
「はい?」
「お前、あのガキに何を言ったんだ」
「別に、大したことは。ただ話しただけです」
「それだけであんなに変わるかよ」
「さあ……」
俺にも分からなかった。ただ、思ったことを言っただけだ。
「レイ様は、人の心に寄り添うのがお上手なんです」
巴さんが言った。
「わたしも、レイ様に救われましたから」
「大げさですよ」
「大げさではありません」
巴さんが微笑んだ。
時雨さんがため息をついた。
「……まあいい。結果が良ければ、どんな形でもな」
「ですね」
何が待っているか分からない。でも、この三人でなら、なんとかなる気がした。
──そう思っていた頃が、一番平和だったのかもしれない。




