20 希望
依頼の内容は単純だった。
木箱を三つ、隣町の商家に届ける。それだけ。
「中身は?」
「陶器です。割れ物なんで丁寧にお願いしますね」
小春はそう言って、荷車を指さした。
「道中の護衛は?」
「いりません。この辺は治安いいんで。まあ、何かあったら時雨さんがいるでしょうし」
時雨さんが無言で頷いた。
「じゃ、よろしくお願いします。届け先はこの地図の通りで」
小春が紙を渡してきた。
「報酬は届けた後、届け先の旦那さんから受け取ってください。私はちょっと別件があるんで」
「分かりました」
「期待してますよ、零さん」
小春がひらひらと手を振って去っていった。
◆
荷車を引いて歩く。
陶器が割れないよう、できるだけ平坦な道を選んだ。先生が地図と周囲の地形を照らし合わせて、最適なルートを教えてくれる。
『マスター。この先に石畳の道があります。そちらを通れば振動が減ります」
「了解」
「なにか言ったか?」
「いえ、独り言です」
時雨さんが怪訝な顔をしたが、それ以上は聞いてこなかった。
巴さんが荷車の横を歩きながら言った。
「穏やかですね、今日は」
「そうですね」
空は晴れていた。風が気持ちいい。
こんな日もあるのだと、少し不思議な気分だった。この世界に来てから、ずっと必死だった。逃げて、戦って、殴られて、這いずり回って。
でも今日は、ただ荷物を届けるだけ。それだけのことが、やけに平和に感じられた。
「レイ様」
「はい」
「少し、顔色が良くなりましたね」
「そうですか?」
「はい。最初にお会いしたときは、死にそうな顔をしてましたから」
巴さんがくすりと笑った。
「今は、ちゃんと生きてる顔をしています」
「……ありがとうございます」
生きてる顔、か。
自分では分からないが、そうなのかもしれない。
◆
隣町の着いたのは、昼過ぎだった。
届け先の商家はすぐに見つかった。立派な構えの店だ。
「海堂商会の依頼で参りました。陶器をお届けに」
番頭らしき男が出てきて、荷を確認した。
「ああ、聞いてる。──ちょっと待ってくれ」
木箱を開けて、中身を一つ一つ確認していく。
「……よし、割れはないな。丁寧に運んでくれたみたいだ」
「ありがとうございます」
「これ、報酬な。銀貨五枚だ」
銭袋を受け取った。前払いと合わせて銀貨十枚。悪くない稼ぎ……いや、仕事内容に対して多すぎるほどだ。
「また頼むかもしれん。小春から連絡がいくと思う。またその時は頼む」
「はい! よろしくお願いします」
商家を後にした帰り道、時雨さんが口を開いた。
「拍子抜けだな」
「ですね」
「何も起きなかった。襲われるかと思っていたが」
「俺もです」
正直、警戒していた。勘助の件があったから、海堂商会を完全には信用できなかった。
でも、今回は何も起きなかった。ただ荷物を届けて、報酬をもらって、それだけ。
「小春って女をどう思う?」
時雨さんが聞いてきた。
「打算的な人だと思います。俺たちを利用しようとしてる」
「だろうな」
「でも、嘘はついてないと思います。少なくとも今のところは」
「甘いな」
「かもしれません」
俺は空を見上げた。
「でも、今は仕事を運んできてくれる相手がいるだけマシかなって。選べる立場じゃないですし」
「……まあ、そうか」
時雨さんが小さく息を吐いた。
「お前、少し変わったな」
「そうですか?」
「最初に合った時は、ただ怯えてるだけのガキだった」
否定できない。あの頃の俺は、本当に何もできなかった。
「まぁ、まだ貧弱だが──考えて動こうとしてる」
「……」
「……悪くない変化だ」
それだけ言って、時雨さんは黙った。
褒められた……のだろうか。この人の場合、判断が難しい。
「時雨様」
巴さんが声をかけた。
「何だ」
「今のは、褒めてらっしゃるんですか?」
「知らん」
時雨さんが足を速めた。逃げたな、と思った。
巴さんと顔を見合わせて、小さく笑った。
◆
町に戻ると、小春が待っていた。
「おかえりなさい。どうでした?」
「問題なく届けました」
「でしょうね。あの程度の仕事でしくじるようなら、見込み違いってことで」
小春が肩をすくめた。
「まあ、合格ですよ。また仕事回します」
「ありがとうございます」
「お礼はいいですよ。私にも利があるんで」
小春が懐から紙を取り出した。
「次の依頼、もう決まってます。来週、少し大きめの護衛仕事があるんですけど……」
「護衛……」
俺の声が少し硬くなった。
護衛。前回、ひどい目に遭った仕事だ。
「ああ、勘助の件、気にしてます?」
小春が俺の顔を見て言った。
「大丈夫ですよ。今度のは私が直接見てる案件なんで。変なことにはなりません」
「……」
「信用できない?」
「正直、まだ分からないです」
「あはは、正直でいいですね」
小春が笑った。
「まあ、無理にとは言いません。やるかどうかは任せます。──でも」
小春の目が、少し真剣になった。
「お宅ら、このまま両替稼ぎだけで食っていく気です?」
「……いえ」
「でしょうね。あれ、そのうち限界きますよ。相場は変わるし、真似するやつも出てくる」
分かっていた。両替の差額なんて、いつまでも続くものじゃない。
「だったら、今のうちに実績作っといた方がいい。小さい仕事こなして、信用を積んで、もっと大きい仕事を取れるようになる。──商売の基本ですよ」
「……」
「考えといてください。返事は三日後でいいんで」
小春が手を振って去っていった。
◆
宿に戻った。
夕飯を食べながら、時雨さんに聞いた。
「護衛の仕事、どう思いますか?」
「受けてもいいと思うが」
意外だった。時雨さんは慎重な人だ。
「前回みたいなことに──」
「ならないとは言い切れん。だが、いつまでも避けてても仕方がない」
時雨さんが茶を啜った。
「お前も分かってるだろ。両替だけじゃ先がない」
「……はい」
「なら、やるしかない。今度は俺もちゃんと目を光らせる」
時雨さんが俺を見た。
「──お前を一人にはさせん」
その言葉に、胸が詰まった。
「……ありがとうございます」
「礼はいらん。同行人が死んだら寝覚めが悪い」
ぶっきらぼうな言い方。でも、この人なりの優しさなのだと、今は分かる。
「わたしも」
巴さんが口を開いた。
「わたしも、一緒に行きます。治療くらいしかできませんが……お役に立ちたいです」
「巴さん……」
「レイ様に助けていただいた恩を、返したいんです」
巴さんの目は真剣だった。
俺は二人を見た。
出会ってから、まだ一月も経っていない。でも、この二人がいなかったら俺はとっくに死んでいた。
「……よろしくお願いします」
頭を下げた。
「二人がいてくれて、本当に──」
「やめろ、気持ち悪い」
時雨さんが顔をそむけた。
「そういうのは全部終わってから言え」
「……はい」
巴さんが小さく笑った。時雨さんは何も言わず、刀の手入れに戻った。
夜。
一人で窓の外を眺めていた。
月が出ている。この世界に来て、何度この月を見ただろう。
『マスター」
「ん?」
『本日の活動報告。依頼完了、報酬獲得。次の仕事の目処が立ちました。順調です』
「そうだな」
『……マスターは、何を考えていますか?』
「母さんのこと」
言葉にすると、急に胸が苦しくなった。
今頃、母さんはどうしているだろう。息子が修学旅行から帰ってこない。警察に届けを出しただろうか。泣いているだろうか。
「帰りたいな」
『……』
「でも、方法がわからない。この世界に来た理由も、帰る方法も、何も」
先生は何も言わなかった。言えることがないのだろう。
「だから──今は頑張ってここで生きるよ」
俺は月を見上げた。
「いつか帰る方法を見つけるまで、死なないように生き延びる」
『了解しました。そのために、私も全力でサポートします』
「頼りにしてるよ」
『……光栄です』
先生の声が、少しだけ柔らかくなった。
この世界に来て、二十日が過ぎた。
最初は、ただ死にたくなかっただけ。
でも今は違う。
仲間がいる。稼ぐ方法があるから。信用できるかもしれない相手がいる。
まだ弱い。まだ何も分からない。
でも──生きていける。
そう思えるようになった。
窓の外で、夜風が吹いていた。
明日も、きっと何かが起きる。良いことか悪いことか、分からないけど。




