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AIが教える、最も効率的な地獄の歩き方  作者: 葉泪 秋
「生存」

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13 奇跡

 廃屋は、森の奥にひっそりと佇んでいた。

 崩れかけた壁、穴だらけの屋根。かつては炭焼小屋か何かだったのだろう。長い間解放されていたらしく、蔦が這い、床には落ち葉が積もっている。

 それでも、雨風は凌げそうだった。


「ここに寝かせます」


 俺は少女を床に横たえた。着物の上から伝わる体温が、さっきより熱くなっている気がする。


『マスター。対象の体温は40.1度まで上昇しています。早急な処置を推奨します』

「何をすればいい?」

『まず傷口の確認を。感染源の特定が必要です』


 俺は少女の巫女装束をそっとめくった。申し訳ないが、助けるためにはこうするしかない。左の脇腹に、刃物で斬られたような傷があった。応急処置として布が巻かれているが、血と膿で黄色く変色している。

 鉄錆と、何か甘ったるい腐敗臭が鼻を突いた。


「……化膿してる」

『はい。傷口が感染を起こしています。このままでは敗血症に至る可能性があります』

「敗血症……って、死ぬやつですか」

『はい。致死率は高いです』


 俺の背筋を、冷たいものが駆け抜けた。


「治せる? 俺に、何ができるかな」

『現代医療の設備があれば容易ですが、現状では限られた手段しかありません。ただし、試みる価値はあります』

「教えて」

『了解しました。まず傷口の洗浄と消毒。次に解熱。最後に感染を抑える薬草の投与。この三つが必要です』


 俺は振り返った。時雨さんが、入り口に寄りかかって腕を組んでいる。


「時雨さん、お願いがあります」

「なんだ」

「酒と、水と、薬草が必要です。この辺りで手に入りますか」

「酒と水はともかく、薬草ってのは何だ」

『マスター。ゲンノショウコに似た植物を探してください。この気候帯であれば自生している可能性があります。特徴は──」


 先生から聞いた特徴を、俺は時雨さんに伝えた。紅紫色の鼻、葉の形、茎の特徴。

 

「……分かった。水場で見たことがある。取ってくる」

「ありがとうございます」

「酒は俺の荷物に入ってる。少ねえが、使え」

 

 時雨さんは背負い袋から小さな瓢箪を取り出すと、俺に放り投げた。


「……死なせるなよ。せっかく助けたなら」


 そう言い残し、時雨さんは森の中へと消えていった。

 俺は少女の傍に膝をつき、瓢箪の蓋を開けた。鼻を突く酒精の匂い。度数は高そうだ。


『マスター。まず傷口の周囲の布を除去してください。清潔な布で膿を拭き取り、その後、酒で洗浄します。痛みを伴いますが、必要な処置です』

「分かった」


 俺は自分のシャツの裾を破り、清潔そうな部分を選んで布を作った。

 傷口に触れる。少女の体が微かに震えた。


「……すみません。少し痛いかもしれません」


 聞こえているかは分からない。でも、俺は声をかけ続けた。 

 膿を拭き取る。黄色い液体が布に染み、腐敗臭が強くなる。胃液が込み上げてくるのを堪えながら、俺は手を動かし続けた。


『十分です。次に酒で洗浄を』


 俺は瓢箪を傾け、傷口に酒を垂らした。


「っ……!」


 少女の体が跳ねた。眉根が寄り、苦悶の声が漏れる。意識がないはずなのに、痛みには反応するのだ。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 謝りながら、傷口を洗い続けた。酒が傷に染み込むたびに、少女の顔が歪む。その評定を見るのが辛かった。


『洗浄完了です。清潔な布で傷口を覆い、時雨の帰りを待ちましょう』


 俺は言われた通りに傷口を大井、少女の額に手を当てた。まだ燃えるように熱い。

 玉のような汗が、少女の白い肌を伝って流れ落ちる。乱れた黒髪が頬に張り付き、苦しげな息が薄い唇から漏れている。

 こんなに小さな体で。こんなに細い腕で。

 何から逃げてきたのだろう。何を見てきたのだろう。


「……大丈夫ですよ」

 

 俺は少女の手を握った。冷たくて、細い指。力なく俺の掌の中に収まる。

 

「俺が、助けますから」


 時雨さんが戻ってきたのは、それから半刻ほど後のことだった。


「あったぞ。これでいいのか」


 時雨さんの手には、紅紫色の小さな花をつけた草が握られていた。


「確認しました。ゲンノショウコに類似した植物です。使用可能と推定されます』

「ありがとうございます、時雨さん」


 俺は薬草を受け取り、先生の指示に従って調合を始めた。

 葉を潰し、水で煮出す。火は時雨さんが起こしてくれた。小さな土鍋は廃屋に転がっていたものを拾って使う。


『煮出し時間は十五分程度。その後、冷ましてから服用させてください」 


 俺は鍋の中身を見つめながら、祈るような気持ちで待った。

 この世界に来てから、こんなに誰かのために必死になることがあっただろうか。自分が生き延びるので精一杯で、他人のことなんて考える余裕がなかった。

 でも今は、この少女に生きてほしいと思っている。

 名前も知らない。素性も知らない。それでも、死なせたくない。


『マスター。準備完了です』


 俺は土鍋を火から下ろし、少し冷ましてから少女の唇に運んだ。


「少しずつ飲んでください」


 少女の喉が小さく動いた。苦い薬油が、細い喉を通っていく。


『解熱効果が現れるまで数時間かかります。経過を観察しましょう』

「分かった」


 時雨さんが、入り口近くで刀の手入れを始めた。


「お前がやれることはやった。あとは、そいつ次第だ」

「……はい」


 俺は少女の傍に座り、夜通し見守ることにした。


   ◆


 朝陽が廃屋の隙間から差し込んだ頃、少女の瞼が震えた。

 

「……っ」


 俺は慌てて身を乗り出した。

 長いまつ毛が持ち上がり、琥珀色の瞳が現れる。焦点の合わない目が、ゆっくりと俺を捉えた。


「……ここ、は……」

「大丈夫です。もう安全ですよ」


  少女の額に手を当てる。熱が、下がっていた。まだ微熱はあるが、昨夜の燃えるような熱さではない。


「あなたは……だれ……」

「俺は時坂零っていいます。あなたをここまで連れてきたんです」


 少女は目を瞬かせた。何が起きたのか、まだ理解が追いついていないようだ。

 俺は昨日のことを簡単に説明した。僧兵に追われていたこと。俺たちが助けたこと。傷が化膿していて、熱を出していたこと。


「わたしの、傷は……」


 少女が自分の脇腹に手を当てる。巻かれた布の下には、消毒された傷口がある。


「治療してくださったのですか」

「はい。といっても、応急処置ですけど」


 少女は信じられないという顔で傷口を確認し、それからもう一度俺を見た。その目が、微かに揺れていた。


「この傷は……治らないはずなのです」

「え?」

「膿んでしまえば、もう助からない。そう教わりました。白蓮の教えでも、化膿した傷は『天神様のお召し』として、見送るしかないと……」


 少女の声が震えていた。


「なのに……わたしは、生きている……」

「そ、それは……ちゃんと処置をすれば、治るものですから……」


 俺は慌てて説明しようとした。でも、うまく言葉が出てこない。現代医学の知識がある、とは言えない。先生のことを話すわけにもいかない。


「あなた様は……一体何者なのですか……」

「え、いや、俺はただの……」

「もしかして、神託を受けておられるのですか……」

「は? いえ、違います。違いますって。落ち着いて」


 少女が、ゆっくりと体を起こして。まだ本調子でないはずなのに、俺の前に正座し、深々と頭を下げた。


「お名前を、お聞かせください」

「だから、時坂零で……」

「レイ様……」


 少女が顔を上げた。その目が、キラキラと輝いている。昨夜まで死にかけていた人間とは思えない、眩しいほどの光だった。


「わたしの名前は巴と申します。白蓮の巫女見習いでございました。どうか、どうかお側に置いて下さいませ……」

「え、ちょ、ちょっと待ってください巴さん──」

「おい」


 時雨さんの声が、俺たちを遮った。

 振り返ると、時雨さんが腕を組んで立っている。冷たい目が、巴さんを射抜いていた。


「あまり騒ぐな」

「は、はい……!」


 巴さんが萎縮する。時雨さんの威圧感に、本能的に怯えているようだった。


「こいつが何でこんな知識を持ってんのか、俺にも分からねぇ。ただ、人に知られると厄介なことになる」

「……」

「この物騒な世の中で、秘密ってのは簡単に打ち明けるもんじゃねぇ。だから詮索するな。口外もするな。分かったか」


 時雨さんの目が、真剣だった。脅しではない。本気で言っている。

 巴さんは一瞬黙り、それから深く頷いた。


「……承知いたしました」

「いいか。誰にも言うな」

「はい。この秘密、命に代えてもお守りいたします」


 巴さんの目に、決意の光が宿った。

 ……なんか、余計に重くなった気がする。

 

『マスター。彼女の瞳孔が拡大し、心拍数が上昇しています。恋愛感情ではなく、宗教的恍惚状態と分析されます』

「どっちにしろ困るんだよ……」

「レイ様? 何かおっしゃいましたか?」

「あー……なんでもないです。とりあえずレイ様って呼ぶのやめません?」


 俺は頭を抱えたくなった。

 助けたのはいい。助かったのはいい。でも、なんだこの状況は。

 時雨さんが、呆れた顔でため息をついた。


「……面倒な奴を拾ったな」


 まったくだった。

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