表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『生存確率0.02%』から始まる異世界転移 ~データなしのポンコツAIが相棒になったけど、強すぎる分析能力で戦乱の世を生き延びる~  作者: 葉泪 秋
「生存」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/13

11 遠い日々

 右腕の痛みは、だいぶ和らいでいた。添え木はまだ外せないが、軽い作業なら問題ない。あと数日もすれば、完治するだろうと先生は言っていた。

 時雨さんは次の仕事を探しに出かけている。俺は街で待機だ。


「暇だな……」


 市場をぶらつきながら、俺は呟いた。この世界に来てから、こんな風にのんびり過ごせるのは初めてかもしれない。


『マスター。暇という状態は、生存に余裕がある証拠です。喜ばしいことです』

「まあ、そうなんだけどさ」


 露店を冷やかしながら歩く。野菜、干物、布、雑貨。どこにでもある市場の光景だ。

 ふと、足が止まった。

 路地の隅で、一人の女性が子供の服を繕っていた。五、六歳くらいの男の子が、母親の膝に頭を預けてうとうとしている。

 女性は優しい目で子供を見下ろしながら、器用に針を動かしていた。


「……」


 その光景が、俺の胸を締めつけた。

 脳裏に浮かぶのは、母さんの姿だった。

 朝早く起きて、俺の弁当を作ってくれていた背中。制服のボタンが取れた時、夜遅くまで縫い直してくれた手。文句も言わず、黙々と働いて、女手一つで俺を育ててくれたすごい人だ。


『マスター。心拍数が上昇しています。何か問題が?』

「……なんでもないよ」


 俺は目を逸らして、その場を離れた。

 市場を抜けると、広場に出た。若者たちが数人、輪になって笑い合っている。

 何かの賭け事をしているらしい。一人が大げさに悔しがり、周りが囃し立てる。馬鹿みたいに笑い転げている。

 俺は、その光景をぼんやりと眺めていた。

 修学旅行の夜を思い出す。旅館の部屋で、友達と馬鹿をやっていた。トランプで負けたやつが罰ゲームで変顔をして、みんなで腹を抱えて笑った。

 祠に迷い込んだ時も、皆で笑っていたんだ。「ヤバそうじゃね?」って。怖いもの見たさで、ワクワクしながら。

 俺のスマホが闇に吸い込まれた瞬間──皆、どんな顔をしたんだろう。俺が消えた後、どうなったんだろう。変わらず時間は進んでいるんだろうなあ。


『マスター?』

「……なんでもない」


 俺は広場を後にした。

 昼飯に、屋台でするものを買った。具が少ない素朴な味だが、温かくて美味い。

 最初の一口を飲んだ瞬間、ふと母さんの味噌汁を思い出した。毎朝、必ず具は豆腐とワカメ。たまに油揚げ。

「毎日同じ味じゃん」と文句を言ったことがある。母さんは「文句あるなら自分で作りなさい」と笑っていた。

 今なら何でも食べるよ、母さん。もう一度食べたい。もう一度、あの食卓に座りたい。


「……」


 気づけば手が止まっていた。


『マスター。食事中に停止するのは非効率です』

「……分かってる」


 俺は残りを一気に流し込んで、椀を返した。

 何だか今日は調子が悪い。やはり暇があると、考えると辛いことばかり考えてしまう。


 夜、宿に戻ると、時雨さんはまだ帰っていなかった。

 俺は布団の上に座り込み、ぼんやりと窓の外を見ていた。星が瞬いている。この世界の星は、地球と配置が違うらしい。先生が前にそう言っていた。

 当たり前だ。ここは地球じゃない。俺の知っている世界じゃない。


「……」


 胸の奥が、じくじくと痛んだ。

 がらり、と戸が開いた。時雨さんが戻ってきたらしい。


「おう。起きてたか」

「おかえりなさい」

「仕事は見つけた。明日から動くぞ」

「わかりました」


 時雨さんは刀を壁に立てかけ、どかりと座り込んだ。俺の顔をちらりと見て、眉をひそめる。


「……何かあったか」

「いえ、別に」

「嘘が下手だな、お前」

「……」


 図星だった。俺は思わず下を向く。

 沈黙が流れる。時雨さんは何も言わず、俺が口を開くのを待っているようだった。


「……時雨さんって」

「あ?」

「俺と会う前って、どんな暮らししてたんですか」

「なんだ急に」

「いや、なんとなく気になって」


 時雨さんは少し間を置いて、天井を見上げた。


「……似たようなもんだ」

「似たような?」

「一人で、あてもなく歩いてた。仕事を探して、飯を食って、寝て、また歩く。その繰り返しだ」

「……」

「弥助たちと別れてからは、ずっとそうだった」

 

 弥助。あの日、時雨さんが斬った人。かつての仲間。


「……寂しく、なかったんですか」


 聞いてから、踏み込みすぎたかと後悔した。でも時雨さんは怒らなかった。


「……慣れた」

「……」

「人は大抵のことに慣れる。寂しさも、痛みも、空腹も。慣れなきゃ生きていけねぇからな」

 

 時雨さんの声は淡々としていた。感情を押し殺しているのか、本当に何も感じていないのか、俺には分からなかった。


「……お前は何だ。故郷が恋しいか」

「……はい」


 気づいたら、言葉が溢れていた。


「母さんが、一人で待ってるんです」

「……」

「父さんは俺が小さい頃に死んで……だから母さん、俺しかいなくて」

「……」

「俺がいなくなって、今頃どれだけ心配してるか考えると……」


 喉が詰まった。目頭が熱くなる。


「帰りたいです。でも、帰り方が分からない」


 情けない声だった。泣きそうな声だった。でも止められなかった。

 時雨さんは黙って俺の話を聞いていた。慰めの言葉も、励ましの言葉もない。ただ、静かに。

 長い沈黙の後、時雨さんがぽつりと呟いた。


「……俺には帰る場所なんてねぇよ」

「……」

「仕えた主は死んだ。仲間も散り散りだ。故郷なんてもんは、とうに捨てた」


 時雨さんは窓の外を見ていた。その横顔は、どこか寂しげに見えた。


「でもな」

「……」

「帰りたい場所があるってのは多分、悪いことじゃねぇ」


 俺は顔を上げた。


「帰りたいから、生きようとする。会いたいから、死ねない」


 時雨さんが、ゆっくりとこちらを向いた。


「そういうのがあるやつは、強いんだよ」

「……」

「俺にはそれがねぇから。お前を少し羨ましく思う」


 羨ましい。

 どんな苦しいことも淡々とこなして、常に冷静な時雨さんの口から、そんな言葉が出るとは思わなかった。


「時雨さんって……何歳ですか」

「あ? 十八だよ」

「え……?」


 高校二年生の俺と、たったニ歳しか離れていなかった。それなのに、こんなに大人で、こんなに現実が見えていて、こんなに強いんだ。

 

「俺……十六です」

「だからどうした。それくらいの歳だとは思っていた」


 時雨さんを見る俺の目が、恐怖ではなく尊敬に変わった。

 俺がのうのうと生きていた十数年間で、この人はどんな修羅場をくぐり抜けてきたのか、想像もできなかった。

 

「……俺は、お前の親代わりにはなれねぇ。なる気も、なる資格もない。……ただ、お前を生かすことくらいならできる」

「時雨さん……」

「……寝ろ。明日から仕事だ」


 時雨さんはそっぽを向いて、布団を被った。会話は終わりということらしい。

 俺は天井を見上げた。

 帰りたい場所がある。会いたい人がいる。それが──強さになる。

 時雨さんにそう言われて、少しだけ救われた気がした。

 俺は弱い。泣き虫で、戦えなくて、情けない。でも「帰りたい」という気持ちだけは、誰にも負けない。

 生きて帰るよ、母さん。

 帰る方法があるのかも分からないけど、俺はとにかく、この世界で生き延びなければいけない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ